真理子の聖書日記
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[872]箴言26-27章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/09/08(木) 11:20:24
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pro&chapter=26&mode=0
雑多なことわざが並んでいるところはまとめようがないので、いくつか気に入ったものをとりあげるしかありません。今回は思い切って一つにしぼります。
箴27:17 「鉄は鉄をとぐ、そのように人はその友の顔をとぐ。」(口語訳)
ケンカなのか切磋琢磨なのか、いずれにせよそういうことですよね。
で、なにげなく新改訳を見ると、
鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。
あれれ、受身になってるわ。どっちが正しいの? というわけで、今日はこの点にしぼります。
まずはいろいろデータを並べておきます。
BHS:???????? ?????????? ????? ??????? ????? ???????????????
文語:鐵《てつ》は鐵《てつ》をとぐ 斯《かく》のごとくその友《とも》の面《かほ》を研《とぐ》なり
フラ:鉄は鉄を研ぎ、人は友の心を磨く。(注:「心」は文字どおりには「顔」。教育を与える方法は友人と共に切磋琢磨することである。箴13:20参照)
新共同:鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。
岩波:鉄は鉄によって磨かれる。人はその友の顔を磨く。(注:「磨く」と訳した二つの語は、マソラ本文の母音符合を変更した結果。「切磋琢磨」の意味に解した)
関根:鉄が鉄を鋭くするように、人はその友の機智を鋭くする。(注:機智は原文「顔」)
新世界:鉄はまさしく鉄によって研がれる。同じように,ひとりの人が他の人の顔を研ぐ。
リビング:鉄で鉄を打つと火花が散るように、友だち同士の熱のこもった議論は、互いの刺激となります。
KJV:Iron sharpeneth iron; so a man sharpeneth the countenance of his friend.
RSV:Iron sharpens iron, and one man sharpens another.
こうして見ると、顔をどう意訳するかというポイントもあるようですが(ちなみにKJVのcountenanceは「顔色、顔つき」)、それも無視して受身かどうかの話にします。岩波の「マソラ本文の母音記号を変更」なんてビビっときますものね。でも、そしたらちゃんと解説してほしいんだけど。訳者の勝村弘也さん。
問題となっている動詞は、?????(ヤハド)です。2番目に出てくるほうは目をよくこらして見ると?????。これは最初のほうが休止形という形で、句読点が来たために母音が変化しているんです。テキストによっては?????となっていることもあります。そっちのほうが正しいかもしれません。読み方もたいした違いはありません。
で、?????というのは、たまたま「みんなこぞって」とか「結合」という副詞として使われる名詞とまったく同形ですが、?????(ハダド)のヒフィル体・未完了・3人称・単数・男性形で、「鋭くする」という意味をもった動詞です。ヒフィル体というのは、PaQaR(P,Q,Rが子音)という基本形動詞に対して、hiPQiyRという形をとる派生動詞です。
未完了・3人称・単数・男性形ではyaPQiyRつまりヤフィールみたいな感じになりますが、今回の動詞はひとくせもふたくせもあるイヤなもの。第一子音が?つまり喉音のものはくせのある変化をし、さらに第二子音と第三子音が同じというのも悪質な変化をします。ここらへんになると簡単な文法書だと割愛されてたりします。私もうまく説明できません。Davidson(p.307)を信頼しましょう。
この分析が正しければ、これを受身に訳すのはダメで、能動で訳さなきゃダメです。
岩波や新世界が最初のほうを受身にしているのは、 ??????????(ベ・ヴァレゼル)が「鉄によって」「鉄を用いて」だからなんでしょう。
いずれにせよ、両方能動体にするか、前半受身・後半能動体にするかというところですね。
[871]詩編114-116編、シラ書40章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/09/07(水) 20:16:38
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●詩編114-116編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=114&mode=0
114編。口語訳だとわかりにくいですが、ヨルダンというのはヨルダン川。その流れが退いたというヨシュア記での奇跡の話。海が逃げたほうは例の出エジプト記の話です。山や小山(他の訳では丘)が踊ったというのは契約をもらったときの地震の話(出19:18)です。神はわれらに契約を与え、おどろくべき奇跡をおこなってくださるという話です。
115編は信者には大事かもしれませんがつまらない詩。偶像とわれらの神とはどう違うかという話です。偶像は人間が金属で作ったもので口があっても語れない…なんて陳腐な批判です。昔の偶像崇拝は本当にそういうくだらないものだったかもしれませんが、時代がたって人々は、偶像は神様のような目に見えないものを見えるようにするかりそめのシンボルにすぎないという理屈を編み出しましたので、いまやキリスト教でも平気で偶像使ってます。
116編は冒頭2節を見ると神様への信頼を高らかにうたった詩なのかと思いますが、メインテーマは後から出てくるかもしれませんので注意です。どうもこの人は死を目前にして、神様に「救って下さい」と言っているらしい。私はいまわのきわにこんな祈りを祈れるかしら。
●シラ書40章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=40&mode=0
後半、AもBもいいんだけど、もっといいのはCだ、というリフレイン。19節では名誉より妻だと言ってます。わかった? ダーリン?