真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[500]ヨブ記19-20章、エス・ギ4章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/02/17(木) 12:19:14
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●ヨブ記19-20章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=19&mode=0
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=20&mode=0
 区切りが悪いですけど、ビルダデへの反論(19章)と、ゾバル(ツォファル)の第二ラウンドの演説。
 例によって、口語訳も新共同訳も新改訳も訳文が面白くないので、リビングバイブルのリンクを書きました。こうやってURLで直接リンクすると、修道会以外の方も見られます。
 要約しちゃうと、私は何も悪くないのに神様からいじめられたというヨブに、罪びとの末路は破滅だと説く友人、という相変わらずの内容です。
 でもヨブは、根底のところで神を信頼しているので、反論は神様への恨みでおわるのではなく、最後は神をたたえて終わります。今までもそういうところがありましたが、今日のところではヨブ19:25-27。「私は知っている。私をあがなう方は生きておられる」というのは、ヨブ記の中でも一番有名なことばです。生きているうちは苦しめられても、死後のさばきでは救われると確信しているのです。

●エス・ギ4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=esg&chapter=4&mode=0
 ヘブライ語版エステル記の2章とまるっきり同じ。
 アハシュエロス(ギリシア語版ではアルタクセルクセス。ヘブライ語版ではクセルクセス)王の宴会を王妃ワシテ(ワシュティ)がすっぽかした事件のあと、新たに王妃になったのは、エステルという美しいユダヤ人。いとこのモルデカイとともにペルシアの首都スサに住んでいました。
 宦官たちの王の暗殺計画をモルデカイが通報した話は以前出て来ましたね。当ばべるばいぶるの章番号では2章、新共同訳の章番号ではA章です。ギリシア語版エステル記は、ヘブライ語版エステル記だけでは外国人にわかりにくいと思われる部分を付加しているのですが、ここは余計な付加という感じです。ただ、2章(A章)のほうでは、この暗殺計画はモルデカイとぜんぜん関係なく、たまたまモルデカイが耳にしたということでしたが、こちら4章(2章)では、モルデカイの重用がきっかけとなった恨みでこの暗殺計画が生まれたということになってます。
 ところで、エステルとモルデカイがどうしてスサにいたのかというと、前王朝の新バビロニアによるバビロン捕囚でつれてこられ、解放されても戻らずに住み続けたんですね。エステルという名はペルシア語名で、ホントの名前はハダッサ(7節)。そしてユダヤ人であることを隠して生きてきました。このあたり、まるで在日朝鮮人ですね。
 60年も異国にいると、そこに生活の根がおりちゃって、いまさら帰るに帰れない。ユダヤ人だとわかると迫害される可能性もあるし、たとえそれがなくても、異国にいれば自然と異国の習慣で生きるようになり、異国の名前を名乗っちゃうっていうのは、きわめて自然ですからね。だんながよく言ってますけど、渡辺さんとか木村さんとか日本人の名前でタクシーのオーダーが入ったので迎えに行ったら、カタコトの日本語でしゃべる外国人だったなんてことはよくあるそうです。それは別にウソをついてるわけじゃなく、そういう名前で生活してるんでしょうね。電話で外国名を名乗ってもうまく聞き取ってくれないので、日本名を名乗るほうがラクなんです。
 日本名を名乗って生活している在日に「本名を名乗るべきだ」と強要する人っています。しかもそれ在日の地位向上のためだと信じて強要するんですから始末におえませんが、そんなの、本名を名乗ろうが通名を名乗ろうが、その人が便利だと思うほうの名を名乗らせてあげりゃいいと思うんですけどね。
 「エステルってペルシア語名だったの? ユダヤの名前を名乗らないなんて、熱心なユダヤ教徒じゃないのでは?」なんて思った人、あなたもあやういですよ。正義を人に強要するのはやめましょう。
 長くなるのでこの話はあらためてまとめましょうか。

[499]詩編27-29編
投稿者=真理子
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掲示日=2011/02/16(水) 11:11:06
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=27&mode=0
 3編とも勇気を与えてくれる祈りの詩。日本基督教団の交読文には27、29編が入っています(8、9)。
 詩編というのは祈りにぴったりのようでいて、現代人の感覚だといまいちなじめない。敵をやっつけてくれみたいな復讐心をあおるものが多いですから。その点、この3編はそういう復讐心が希薄なので、素直に読むことができます。