[真理子日曜学校 - 宗教音楽のたのしみ(フレーム表示) ]
  【一般コース】
 

J.S.バッハ


 
  1. 略歴
     私がまとめるのも面倒くさいのでWikipedia - ヨハン・ゼバスティアン・バッハでもご覧ください。
     バッハの略歴で覚えておくポイントは「仕事場」です。19世紀の中ごろまでは作曲家はよくも悪くも職人です。オペラ劇場となんのコネもないのに「ここらでひとつオペラでも書いてみるべぇ」みたいなことをこの時代の作曲家は考えたりしません。仕事場こそが作曲家の仕事を規定するのです。
    1. ヴァイマール時代(1703-1717つまり18-32歳)……宮廷楽団に就職しましたが近郊都市アルンシュタットやミュールハウゼンの教会のオルガニストもしています。よってこの時期はオルガン曲が多く、また宮廷でカンタータ(ほとんど世俗曲)を書いています。
    2. ケーテン時代(1717-1723つまり32-38歳)……音楽禁止のカルヴァン派を奉ずる領主なので教会音楽の需要はなく、宮廷で演奏する器楽曲を大量に書きました。
    3. ライプツィヒ時代(1723-1750つまり38-65歳=死ぬまで)……聖トマス教会の音楽監督として多数の教会音楽を作曲。かたわら世話をしていた大学生の楽団のために協奏曲を書くなどもしています。聖トマス教会はルター派ですから当然宗教曲はすべてルター派の曲なのですが、カトリックを奉ずるドレスデンの宮廷への就職活動もしていたらしく、例外的にロ短調ミサのようなカトリックの曲もあります。

  2.  
     
  3. 音楽史上の評価
     あまりにビッグネームなので「すべての流派はバッハに注ぎ、すべての流派はバッハから生まれる」みたいに思っている人も多いかもしれません。しかし実は、バッハ抜きでもバロックから古典派へという当時の音楽シーンは語れてしまうのです。バッハの音楽は当時の音楽シーンからすれば時代遅れでぽっかり浮き上がった存在だったのです。
     そして、実はこのことこそがバッハの音楽に永遠の命を与えたのです。つまり同時代の前古典派の作曲家の作品が、その傾向をさらに発展させたハイドンやモーツァルトのおかげで「時代遅れ」「中途半端」になってしまったのに対し、バッハの音楽は時代から取り残され、その傾向の後継者がいなかったからこそ、これ以上時代遅れになることなく、永遠の輝きを得ているというわけです。
    日本の近代文学史でいえば夏目漱石みたいな存在かもしれません。漱石は日本の近代文学史の流れから孤立しており、どの流派にも属しませんし、弟子もほとんどが文学以外の道に進みました。文学史的にはむしろ、日本初の言文一致小説を書いた二葉亭四迷や、多くの文学者を育てた尾崎紅葉のような人のほうが重要です。しかし二葉亭や紅葉の作品が今では古臭くなってあまり読まれないのに対し、漱石の作品は時代から孤立しているために、いつまでも光り輝いているのです。文学史(音楽史)的に重要な作品が必ずしも芸術的にすぐれているとは限らないのです。むしろ、歴史を語る上で重要な作品とは、シーンの転換点にたって新たな方向をスタートさせたにすぎず、芸術的にはまだまだ未熟であり、その方向を進化させたその後の作品のほうが芸術的に優れているというのが普通なのでしょう。
    19世紀にメンデルスゾーンらによって「再発見」されるまで、バッハは鍵盤曲の練習曲作者としての評価が高かったのです。ベートーヴェンが「バッハはBach(=小川)ではなく大海だ」と言ったのは、こういう評価をダジャレをまじえて言ったにすぎません。モーツァルトが「バッハのようになりたい」と言ったバッハとは、J.S.バッハではなく、その末息子でロンドンで活躍していたJ.C.バッハのことです。
     むしろバッハは、19世紀に再発見されて後、ロマン派や20世紀の作曲家たちに影響を与えているといえます。

  4.  
     
  5. おすすめサイト
     
    1. Great Bach……韓国のサイトなので韓国語が読めないとつらいかもしれませんが、そういう苦労をしてでもぜひ利用したいサイト。ほとんどすべての作品の楽譜がPDFで登録されており、またかなり多くのMIDIもあります。トップページのW(Worksの意味)から探してください。たいていは英文表記も併記してあるのでなんとか探せることでしょう。各作品データでは、声楽曲ではViewをクリックすると歌詞が独英または羅英対訳で出てくるし、Scoreでは楽譜が見られます。一番したのところで楽章にチェックをいれてSendボタンを押すとMIDIで音を聞ける場合もあります(データ未入力で無音のものも多い)。これほど資料が充実しているサイトはたぶんヨーロッパにもありません。

  6.