[真理子日曜学校 - 宗教音楽のたのしみ(フレーム表示) ]
  【一般コース】
 

クラシック音楽

 

 
  1. クラシック音楽とは
     「ヨーロッパ音楽史150年周期説」によれば、1750-1900年が一つの時代ということになります。この時代はふつう「古典派」「ロマン派」「国民楽派」の3つにわけられますが、音楽の作り方としては大ざっぱには一緒です。ルネサンス末期の「マニエリスム」が、細かくみれば一つの独立した音楽シーンでありながら、大ざっぱにはルネサンスにまとめられるようなものです。そこで「宗教音楽のたのしみ」でも、「古典派」「ロマン派」「国民楽派」のようにこの時代を細かくわける見かたと、大ざっぱに一つの時代としてくくる見かたとを併用することにします。
     では、1750-1900年を一つの時代としてくくるときに、どう呼びましょうか。
     結論からいえば「クラシック音楽」と呼ぼうと思います。
     考えてみれば、日本のいわゆるクラシック音楽ファンたちが聞いている音楽は、ほとんどがこの時代の音楽であり、せいぜいそれに後期バロックと20世紀の第二次大戦まであたりの時代が加わる程度です。クラシック音楽ファンにとって前代のバロックはバッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディなどを除けば「特殊な時代」ですし、20世紀の音楽もドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーの三大バレエなどを除けばやっぱり特殊で、どちらもあまり聞きません。つまり、クラシック音楽とは実質的にこの時代の音楽そのものなのです。
    いや、クラシック音楽の入門書には「古典派はハイドンとモーツァルトだけだ」みたいなことが堂々と書かれており、それ以外の数多くの古典派作曲家の作品はほとんど聞かれていませんから、どうかすると古典派だってクラシック音楽ファンには特殊な時代かもしれません。
    そんなわけで「宗教音楽のたのしみ」では、
    クラシック音楽=1750-1900年ごろの音楽=古典派+ロマン派+国民楽派
    という用語を使います。世間一般でいうクラシック音楽といえばバロックや20世紀なども含みますが、「宗教音楽のたのしみ」では含まないことに注意してください。

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  3. 音楽の作り方
     前代のバロックで進行した「対位法的音楽→単旋律化した音楽」「低音主体→高音主体」という流れが完成したのがクラシック時代といえます。
     高声部の受け持つ主旋律は、バロックのような即興的なパッセージが多くごたごたした感じのものから、すっきりとした美しく親しみやすいものへと変化、「音楽は旋律が命」となり、メロディアスで親しみやすい音楽が多数書かれるようになりました。一方、低声部は「縁の下の力持ち」化、つまり和声をつけるだけの伴奏へと役割を変えていきました。この結果、響きがより軽やかな感じになりました。
     その一方で、単に旋律が美しいというだけでは曲はもちません。その旋律を変化させたり、二つの旋律を対比させたりという構成上の工夫があってはじめて曲は成り立つのです。そのような構成上の技法が完成したのがクラシック時代の最初の50年間、いわゆる「古典派」の時代です。特に、二つの旋律を対比させる「ソナタ形式」は、さまざまなジャンルで使用され、クラシック音楽を代表する形式の一つになりました。
     ところが19世紀になり、社会が激動すると、形式よりも文学や感情を優先させたいという欲求が高まり、せっかくできあがった形式は次第に解体されていきました。これがいわゆる「ロマン派」です。やがて次の20世紀になると、音楽形式が完全に解体されてしまいます。

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  5. 音楽の担い手
     最初の50年間、いわゆる「古典派」の時代はまだまだ音楽の主たるスポンサーは貴族と教会でした。が、経済の発展によって富裕になった市民がだんだん主たるスポンサーになり、公開コンサートと楽譜の出版が音楽の主たる場となっていきました。
     市民という「不特定多数の大衆」がスポンサーになると、音楽シーンが聞き手の趣味によって左右されることが少なくなり、むしろ作り手である作曲家の主張が強く反映されるようになりました。それに19世紀は「あたかも神が世界を創造したように、神の意志を体現した作家が創造したものが作品である」という作家主義の考え方が信じられた時代でしたから、そういう作品を勝手に変更して演奏したりするのはもってのほかであり、演奏家も聞き手も、作曲家の作った作品をそのまま受け入れることがよしとされるようになりました。
     そもそも市民というのは、難しいことをかえって有り難がってしまうスノビズムがあるものですし、演奏の訓練をしていない素人が楽譜を購入して演奏するようになると、楽譜に書いてあるとおりにしか弾けず自由に即興演奏をすることができません。
     さらに19世紀になってメンデルスゾーンが、過去の名曲を再発見してコンサートのプログラムにとりあげるようになると、コンサートのプログラムは新作よりも過去の作品が主となり、過去のすぐれた作品を手を加えずにそのまま演奏して聞くという(ジャンルとしての)クラシック音楽のあり方が確立されました。
     さらに、過去の作品がもてはやされるようになると、音楽が一種の学問となり、アカデミズムの場で音楽理論や歴史が研究されたり、演奏者が養成されたりするようになりました。

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  7. 中心地
     古典派の時代の音楽の中心地はなんといってもイタリアであり、イタリアのオペラがもてはやされました。イタリア人音楽家やイタリア留学経験のある音楽家が各地の宮廷で幅を利かせ、「イタリア人でなければ音楽家ではない」という風潮がありました。ちょうど「レゲエはやっぱりカリブのミュージシャンよね。日本人のレゲエなんて二流よ」(「レゲエ、カリブ」を「ボサノヴァ、ブラジル」「タンゴ、アルゼンチン」「ジャズ、アメリカ」…と変えて、このような意見はあらゆるジャンルでよく耳にしますよね)というように、オペラはやっぱりイタリアのものだったのです。
     バロック時代のもう一つの中心地フランスは、革命のおかげで宮廷が崩壊、フランスバロック的な音楽は一挙にすたれ、19世紀には貴族のサロンが音楽の主たる場となりましたが、そこではイタリアやドイツの音楽がおこなわれ、フランス独自のものは乏しく、音楽では脇役の地位になってしまいました。
     ドイツは音楽的には後進国でしたが、19世紀になって音楽が学問化すると理論に秀でたドイツが優位になりました。ドイツ音楽のあり方に即して理論が組み立てられたため、ドイツ音楽の野暮ったさはむしろ形式的な緻密さとして賞賛され、ドイツ音楽が音楽史の中心として記述され、イタリア音楽の得意分野であった声楽よりドイツ音楽の得意分野であった器楽曲が重要なものとされました。日本ではクラシックといえばドイツの器楽曲という風潮がありますが、それはこういう状況をそのまま輸入したためです。
     また、ロシアやオーストリア帝国領内のスラブ民族の民族意識の高まりによって、スラブ人作曲家たちによってドイツ音楽にスラブ的なテイストを加えた音楽が書かれました。これらの音楽を「国民楽派」と呼ぶことがあります。

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  9. 宗教曲
     18世紀の古典派の時代には宗教曲は多く作られましたが、19世紀になって教会の地位が低下すると、宗教曲はもはや主たるジャンルではなくなりました。「宗教曲も書く」作曲家はいても、「宗教曲専門、たまに世俗曲を書く」という作曲家はいなくなりました。
     また、宗教曲の形を借りていても、作曲者の感情の表出が強すぎて、典礼には使えないコンサート用宗教曲も書かれるようになりました。ベートーヴェンの荘厳ミサ曲、ヴェルディのレクイエムなどはその代表ですし、ブラームスのドイツ・レクイエムも歌詞がドイツ語のためカトリックでは使えません。
     その一方で、シューベルト、メンデルスゾーン、リスト、ブルックナーなどには数多くの宗教作品があるのですが、彼らの交響曲や器楽曲などの蔭にかくれて現在ではあまり演奏されていないのが実情です。ここらへんは「埋もれた名曲」としてもっと光をあてていいのではないでしょうか。

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