[真理子日曜学校 - 聖書の言語入門(フレーム表示) ]
【韓国語文語コース】

主の祈り


  1. 原文
     
    9: 하늘에 계신 우리 아버지여 이름이 거룩히 여김을 받으시오며
     10:나라이 임하옵시며 뜻이 하늘에서 이룬 것같이 땅에서도 이루어지이다
     11:오늘날 우리에게 일용할 양식을 주옵시고
     12:우리가 우리에게 죄 지은 자를 사하여 준것 같이 우리 죄를 사하여 주옵시고
     13:우리를 시험에 들게 하지 마옵시고 다만 악에서 구하옵소서 (나라와 권세와 영광이 아버지께 영원히 있사옵나이다 아멘)


  2. 発音
     
    9: ハヌレ ゲシン うリ アぼジよ イルミ こるキ よギム パドゥシオみょ
     10: ナライ イマおシみょ トゥシ ハヌレそ イるん ごッカッチ ンエそド イるおジイダ
     11:オヌラ ウリエゲ イリョンハ ヤンシグル チュオシゴ
     12:ウリガ ウリエゲ チュェジウンジャル サハよ ジュんゴッカッチ ウリ チュェル サハヨ ジュオシゴ
     13: ウリル シホメ ドゥゲ ハジ マオシゴ タマん アゲソ クハオソそ (ナラワ クォンセワ ヨングァンイ アボジケ ヨンウォニ イッサオナイダ アメん)


  3. 文法説明(9)
     하늘에 계신 우리 아버지여 이름이 거룩히 여김을 받으시오며
     하늘에……하늘が「天」、에が「~に」。
     계신……계시다 ケシダ(いらっしゃる)の現在連体形です。現在連体形の作り方は、動詞の場合は語幹+는、形容詞の場合は語幹+ㄴです。계시다は一応動詞なので계시는となるはずなのですが、계신という形のほうが普通です。계시다は있다[イッタ](ある)および이다[イダ](である)の尊敬語なのですが、있다が動詞的、이다が形容詞的に変化するので、変化がちゃんぽんになる傾向があります。
     우리……私たち。「私たちの」となるときには「の」にあたる의をつけないのが普通です。
     아버지여……아버지が「父」、여は呼びかけの「~よ」
     이름이……이름は「名前」、이は「が」。
     거룩히……거룩하다[コルカダ](神聖で偉大だ)の副詞形。~하다という形の形容詞は~히という形で「~に」という副詞を作ることができます。
     여김을……여기다[ヨギダ](思う、感じる)という動詞の語幹にㅁをつけて名詞を作り、それに을(~を)をつけています。「思うことを」ですね。前語거룩히とあわせて「神聖に思うことを」となるのです。
     받으시오며……ここは現代の辞書類ではお手上げでしょう。「オレは韓国語が得意だ」という方が近くにいらっしゃったら、ここを文法的に説明させてみてください。これが説明できたらその方の語学力を信用してもいいでしょう。
     まず動詞は받다[パッタ](受ける)。それに尊敬の시がついています。시は語幹につきますが、パッチムのある語幹につくときは으시となります。その次の오は実は美化補助語幹の옵[オ]で、通常は自己の行為をへりくだって表現するのに使いますが、こんなふうに偉い相手の行為を丁寧に表現するのにも使います。それに며(~して)という接続助詞がついています。며はパッチムのある語幹につくときには으며となるのですが、옵には「次に으がくるとまとめて오になってしまう」という性質があるのです。そこで오며となっているわけです。まとめると「受けなさって」というので次に続きます。いろいろお祈りをするときは「~して」という意味を表す며だの고だので列挙していきます。


  4. 文法説明(10)
     나라이 임하옵시며 뜻이 하늘에서 이룬 것같이 땅에서도 이루어지이다
     나라이……나라は「国」。이は「~が」という助詞。
     あれっ、이はパッチムのある語につくときの形であり、パッチムのない語には가がつくはずでは? この謎も普通の方はお手上げでしょう。
     なんでも나라は昔나랗のように発音しないㅎパッチムが表記されていたことのなごりらしいです。さすがに改訳改訂版では나라가に直っています。
     임하옵시며……임하다は「臨む」ですが(임は「臨」です)、神様などが地上に降臨するというときに使います。神の王国が地上に現出するというわけですね。それに(9)で説明した美化補助語幹の옵と시がこんどは逆順にくっつき、列挙の며がついて、ここまでで「(神の)国が降臨なさり」。
     뜻이……뜻は「意味・意志」。今でも무슨 뜻이에요?(どういう意味?)というふうによく使います。それに「~が」の意味の이がついています。
     하늘에서……에서は「~で・から」。ここでは「~で」で「天で」。
     이룬……이루다[イるダ](成す・果たす)の過去連体形で「果たした」。なお、主語が「意志が」なのですから本当は受身の意味の이루어지다「果たされる」という動詞を用いて、이루어진としなければおかしいところです。昔の韓国語はこういう点がいいかげんだったのですね。改訳改訂版では이루어진に改められました。
     것같이……は本当は「것 같이」のように分けて書くべきですが、現代でも続けて書かれることが多く、「~ように」という意味を表します。日本語では「果たしたように」のようにいきなり「ように」をつけられますが、韓国語ではいきなり같이をつけることができず、것(こと)をはさまねばなりません。「것 같이」とまとめて覚えましょう。なお、같이は같다(ようだ)、같은(ような)のように変化します。
     땅에서도……땅は「土地」、도は「~も」で、「地でも」。
     이루어지이다……지이다は連用形について「~ますように」という願望・祈願を表します。「果たしますように」。ちなみにこっちは改訳改訂版で「이루어져지이다」としているのかと思ったらしていません。こっちは「神様が意志を地上で実現する」という能動の意味だからということのようですね。
     以上、後半をまとめると「(神の)意志が天で実現されたように、(神の意志を)地でも実現しますように」


  5. 文法説明(11)
     오늘날 우리에게 일용할 양식을 주옵시고
     오늘날……오늘が本当にtodayという意味の「今日」なのに対して、오늘날は「現在・最近」という意味の「こんにち(今日)」になります。しかしここはギリシア語原文はσήμερονだから「今日(きょう)」だったんじゃないかしら。誤訳っぽいですね。
     우리에게……「~に」を表す助詞は、人のときは에게、モノのときは에です。
     일용할……일용하다は漢字で書けば「日用하다」なんでしょうが、いまはこんな語使いません。「毎日する」という意味で言っているのでしょう。할は하다の未来連体形。現代日本語にはこういう語法がないので使い方が難しいですが、仮定の話のときには未来連体形を使います。ちなみに古代日本語では「日々食は飯」というふうに「む(ん)」を入れました。
     양식……漢字で書けば「糧食」。今では「糧(かて)」のように抽象的な食事という意味にしか用いません。今양식なんていったらむしろ「洋食」じゃないかしら。
     주옵시고……주다(与える・くれる)に美化語幹の옵と尊敬の시と継続の고がついて「くださって」。


  6. 文法説明(12)
     우리가 우리에게 죄 지은 자를 사하여 준것 같이 우리 죄를 사하여 주옵시고
     죄 지은 자를……一気に発音します。「죄」は「罪」。このあとに를をつけるとおかしいです。それは자の次の를とだぶるからというわけではありません。一般に韓国語では日本語よりも助詞を節約する傾向があります。どういうときに助詞をつけどういうときにつけないかは、場数を経て体得するしかありません。지은は짓다(作る)の過去連体形。짓다は罪を犯すというときにも使います。
     자は「者」ですが、現代では文章語でしか使いません。普通は사람(人)を使います。
     사하다……漢字語「赦하다」です。今ではまず使いません。普通は용서하다でしょう。


  7. 文法説明(13前半)
     우리를 시험에 들게 하지 마옵시고 다만 악에서 구하옵소서
     시험……試験。今では学校などのテストのときにしか使いません。
     들게 하지 마옵시고……들다は「入る」。語幹+게 하다は「~ようにする」で、一種の他動詞・使役表現としても使います。말다は単独では「やめる」ですが、語幹+지 말다とすると禁止表現になります。禁止ですから말다の部分は命令形ないしそれに類する表現になります。말고の場合は手短に訳すと「~せずに」となりますが、それだと「~せずに」である語幹+지 않고との違いがわかりません。できる限り一度切って、「~しないでください。むしろ(そうではなくて)…」と訳したほうがいいでしょう。韓国語の~고は「~て」とつなげたりせず、いったん切ったほうがいいことが多いのです。
     なお、말다のようなㄹ変則用言は、ㄴㅂㅅ以外に오の前でもㄹが落ちます。오は現代語でほとんど出てこないので要注意です。
     다만……後に뿐などの「だけ」を意味する語と呼応すれば「ただ~(だけ)」ですが、そうでないときは「ただし」「けれども」のような逆接的な語になります。
     악에서……악は「悪」(漢字語です)、에서は「~で・から」。もちろんこの場合は「から」。なお、「から」という助詞には부터もありますが、これは時間専用なので、この場合に使ったら間違いです。
     구하옵소서……구하다は「救う」。「救하다」という漢字語です。一応現代でも使いますが、現代語で구하다と言ったら「求하다」、つまり「求める・買う」などの意味のほうが多いと思います。
     소서は願望を示し、「~たまえ、~なさいませ、~ください」などと訳します。パッチムのある語には으소서という形でつきますが、美化補助語幹の옵にはそのままつけることができます。
     「私たちを試みに入れさせないでください。むしろ悪から救ってください」


  8. 文法説明(13後半)
     나라와 권세와 영광이 아버지께 영원히 있사옵나이다 아멘
     나라와 권세와 영광이……권세は「権勢」、영광は「栄光」。와は「~と」という助詞。パッチムのある語には「과」。ふつうは를/을、는/은のように、パッチムのない語には子音で始まる助詞、パッチムのある語には母音で始まる助詞がつくのですが、와/과はまったく逆です。
     아버지께……께は偉い人用の에게「~に」。
     나이다は「~ございます」。よく옵と一緒に옵나이다という形で使います。現代では時代劇専用語です。