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2024年5月22日(水) 通読(本日=詩75-77,二マカ10,アル27 明日=箴7,ユディ12,アル28)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第13章
第13章
アルマの説教つづく。神の御子の神権。大祭司たち。按手礼によって聖任をするわけ。メルケゼデクとアブラハム。

アルマはなお言葉をつづけて言った「さて、わが兄弟らよ。私は主なる神がこの法令をその子たちである世の人々に下したもうた時のことに、あなたたちの注意を向けたいと思う。主なる神はこの法令をその民に教えて伝えるために、人を選んで按手礼によって神の聖なる神権の祭司らに任命をなしたもうたが、神の聖なる神権はすなわち御子の神権と同じである。
この祭司たちは神の御子の神権に任ぜられたが、この任命の仕方は贖い救われるためにはどのように神の御子を待ち設けるかを、人々に知らせようとして定めた仕方である。あなたたちはよくこれを覚えていてほしい。
祭司たちが聖任された仕方は次のようである。かれらはそのすぐれて堅固な信仰と善い行いとがあるために、神の先見の明によって創世の前からすでに選んで備えておかれた。かれらはまず善を選ぶのも悪を選ぶのも心のままに許しておかれたが、すでに善を選んでその信仰がすぐれて堅固であったから、聖い召を受けてこの職に召された。この聖い召はこれを受ける資格のある者たちのために備えられた贖いによって備えられ、またその贖いの計画によって備えられた。
かれらがこの聖い職に任ぜられたのはその信仰に由ったのであって、ほかの人々はそのこころがかたくなでその精神が暗いために神の「みたま」をたびたび拒んだのであった。もしもこう言うことがなかったならば、その兄弟たちと同様に大きな特権を受けたであろう。
または、要するにかれらは最初その兄弟たちと同等であった。そしてこの聖い召は心をかたくなにしない者たちのために創世の前から備えてあったものであって、かねて備えられた神の生みたもうた独子(イエス・キリスト)の行いたもうはずの贖罪を通して、またそれによって定められたのである。
それであるから、祭司たちは世の人々もまた神の安息に入れるように神の命令をこれらの人に教えるため、この聖い召によって選ばれ、按手礼によって神の聖なる神権の大神権に任ぜられた。
この大神権はすなわち神の御子の神権の大神権であって、神の御子の神権は創世の前から存在していた。或は言い換えると、この大神権は始めもなく終りもなく、万物にかかわる神の先見の明によって無限の過去から備えられ無限の将来につづくものである。
さて祭司らの任ぜられた仕方は次のようである。すなわち、聖い召によって選ばれ、聖い儀式により聖任せられて聖なる神権の大神権を受けた。この召と儀式と大神権とはどれもその存在に始めもなく終りもないものである。
このように永遠にその祭司たちは御父の生みたもうた独子(イエス・キリスト)の神権の大祭司となり、この御子(イエス・キリスト)は始めもなく終りもなくましまし、恩恵と正義と真理とに満ちたもう。まことにその通りである。アーメン。
さて私がすでにこの大神権が属する聖なる神権について話したように、按手礼を受けて神の大祭司に聖任されたものが多かったが、これは全くその人たちのすぐれて堅固な信仰と、心からの悔改めと神の御前に於ける義しい行いとによるものであって、この人々は亡びるよりはむしろ悔い改めて義しいことを行う方を好んだ。
それであるから、この人々はこの聖なる神権に召されて聖くせられ、小羊(イエス・キリスト)の血によってその衣を白く洗われた。
今やこの人々はすでに聖霊によって聖くせられ、その衣を白くせられ、神の御前に清浄になったのであるから、罪悪を憎み嫌うのを禁ずることができなかった。このように浄くされて自分の神である主の安息に入ったものが非常に数多くあった。
さて、私の兄弟よ、私はあなたたちもまた神の安息に入るようにその御前にへりくだり、悔改めにふさわしい実を結んでもらいたい。
まことにメルケゼデクと言う人の時代の民のように謙遜になれ。メルケゼデクは私が今話をしたこの神権の大祭司であって、永遠に大神権を受けた人である。
私たちの先祖のアブラハムがその一切の持物の十分の一を納めたのはこのメルケゼデクであった。
さて、前に示した儀式が神権によって施されたのは、神の御子の神権のひながたである。いやむしろ御子の神権そのものである。それはこれによって人々に神の御子を待ち設けさせるため、また人々に自分の罪を赦されようとして御子を待ち望み、ついに主の安息に入らせるためにさきのように行われたのである。
メルケゼデクはサレム国の王であったが、その民は悪事と憎むべき行いとに耽り、ことごとく迷ってあらゆる罪悪をほしいままにした。
しかしメルケゼデクは信仰が堅固で神の聖なる神権の大神権の職を受けていたので、その民に悔い改めなくてはならないことを勧めた。ところがその民はそれを聞いて悔改めをしたため、メルケゼデクは残る生涯の間全国に平和な政事を布いた。それでメルケゼデクは平和の君ととなえられた。かれはサレム国の王でその父に代って国を治めたからである。
メルケゼデクよりも前にまたメルケゼデクよりも後に多くの人があったが、これよりも優れて偉大な人は一人もなかった。それであるからメルケゼデクのことは特に述べてある。
しかし、私は今これをくり返すには及ばない。今までに言ったことで十分であろう。ごらん、聖文はあなたたちの前にある。あなたたちがその意味を曲げて解釈するならばあなたたちは亡びる」と。
アルマはこのように話してから民に向って手を伸し大声に呼ばわって言った「救いの日が次第に近づいてくるから、今は悔い改めねばならぬ時である。
主の御声は天使たちの口を借りてこれを万国の民に告げたもうている。これは万国の民にまことに喜ばしい音ずれを告げるためである。主は全世界に散っている主の民にこの喜ばしい音ずれを響かせたもうから、その音ずれは私たちの所へもきた。
その音ずれは私たちが誤なく会得をするように明らかな言葉で私たちに教えて伝えられる。これは私たちが不案内な国にさまよっている者たちであるからである。この音ずれはすでに私たちの全国いたるところに知れわたっているから、私たち深く恵まれている。
今天使たちは、私たちの国の多くの人にこの喜ばしい音ずれを伝えているが、これは世の人々が、主が栄光を具えて降臨したもう時、その御言葉を受け入れるような心がまえをさせるためである。
それであるから私たちはただ、主が今降りたもうと言う喜ばしいしらせを天使の口から聞く時を待つだけである。このような時は必ずくるのであるが、どれくらい速くくるかは解らない。私は自分の生きている間にその時に逢うことをこいねがう。しかしながら、その時が早くても遅くても私は必ずその時がくるのを嬉しく思う。
なぜならば、私たちの先祖がその身の中にある予言の「みたま」の言わせるままに主について述べた言葉がそのまま成就をするよう、主が降りたもう時になって天使らは聖くて正しい者たちに主の降臨を知らせるであろう。
さて、私の兄弟たちよ、私の心の底からこいねがい、胸が痛むまで心配をしているのは、あなたたちが私の言葉に聞き従い、自分の罪をすて、悔改めの時を延ばさず、
主の御前にへりくだり、その聖い御名を呼び、自分に堪えられない誘惑に逢わないようたえず目を覚して祈り、これによって聖霊の導きを得、謙遜、柔和、従順であって忍耐強く堪忍と愛情とに富み、
主を信じ、永遠の生命を受ける望みを抱き、終りの日にあげられて神の安息に入ることができるよう、常に神の愛を心に忘れないようにしてほしいことである。
ねがわくは、あなたたちが主の怒りを招かず、地獄の鎖につながれず、第二の死を受けないように、主があなたたちを悔い改めさせたもうよう祈り奉る」と。
アルマはなお多くのことを民に宣べ伝えたが、ここには書き誌さない。

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