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真理子日曜学校
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キリスト真理自由教会(フレーム表示)
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祈りについての考え方
原則
マタ6:9-13
でイエス様がこう祈れと教えてくださったにもかかわらず、キリスト教、特にプロテスタントでは自由な内容で祈らせます。「どう祈るか」のサンプル集みたいな本まであるほどです。もちろん自由に祈ってもいいのですけど、どう祈ればいいかがわからなくなるほどじゃ困ります。南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経だけですむところはかえってラクですよ。口ではそういいながら祈りたいことは心の中でだけで祈るのです。
そんなわけで当教会では「主の祈り」に立ち返りたいと思います。これをしっかりやりましょう。本当に祈りたいことは、これを祈りながら心の中で祈ってください。
そして、祈りが長いと続きません。短くていいから日々決まった時間に祈りましょう。起床時、就寝時、あとは主の祈りの内容からしてご飯を食べる前。これで5回です。偶然にもイスラム教の回数と同じですね。
主の祈り
新共同訳をベースにしました。途中の「御心が行われますように。天におけるように地の上にも」という倒置法はお祈りにふさわしくないので改めました。
天
《
てん
》
におられるわたしたちの
父
《
ちち
》
よ、
御名
《
みな
》
が
崇
《
あが
》
められますように。
御国
《
みくに
》
が
来
《
き
》
ますように。
天
《
てん
》
におけるように
地
《
ち
》
の
上
《
うえ
》
にも
御心
《
みこころ
》
が
行
《
おこ
》
われますように。わたしたちに
必要
《
ひつよう
》
な
糧
《
かて
》
を
今日
《
きょう
》
与
《
あた
》
えてください。わたしたちの
負
《
お
》
い
目
《
め
》
を
赦
《
ゆる
》
してください、わたしたちも
自分
《
じぶん
》
に
負
《
お
》
い
目
《
め
》
のある
人
《
ひと
》
を
赦
《
ゆる
》
しましたように。わたしたちを
誘惑
《
ゆうわく
》
に
遭
《
あ
》
わせず、
悪
《
わる
》
い
者
《
もの
》
から
救
《
すく
》
ってください。
伝統的には、最後に「国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり」という語句があるのですが、後代の付加なので除きました。祈りとしてもあまり意味を持つとは思えませんし。
それから重要なことですが、
最後の「アーメン」はやめましょう
。そんなの言う必要ないの。ここに引用した主の祈りにも書いてないでしょ? 当教会ではすべての祈りからアーメンを抜かしています。
「何だか短いな。三遍とか百遍とかくりかえさなくていいの?」 そんなことありません。一回で十分です。しかし、さしさわりのない限り「声に出して」ください。
末尾のアーメンをおすすめしない理由
アーメンってお祈りの末尾に「その通り」っていう意味でつける言葉です。口語訳聖書では「アァメン」っていう表記ですけど、ばべるばいぶるで検索するとずらずら出てくるでしょ? メンドくさければ
これをクリック
すればOKよ。どう?
申27:15-26
なんかリフレインしてますよね。
ところがこの結果見てごらんなさい。福音書がひとつもないでしょ? つまりイエス様って、福音書で見る限り、一度も末尾にアーメンをつけなかったんですよ。
では次に、アクセントなしギリシア語聖書(NoAcc)で「4福音」から「αμην」を検索してごらんなさい。メンドくさければ
これをクリック
してごらんなさい。84件もヒットするでしょ? ざっと見ると、みんな最初につけてるでしょ? お祈りの最後にアーメンっていう習慣を皮肉って、イエス様は最初にアーメンって言ったのです。これを口語訳聖書ではそれを「アァメン」って訳さず「はっきり言っておく」みたいにごまかすから気づかないだけです。
このイエス様の皮肉のアーメンを、ラテン語聖書まではちゃんとamenって訳してたんだけど、ルターやKJV以降はごまかすのよね(どう訳してるかはばべるばいぶるで上の結果を同時表示聖書を変えればすぐわかるんだから調べること)。つまり、イエス様が一度もアーメンって末尾につけなかった事実を隠蔽したいわけね。そこまでしてアーメンって言いたいかしら?
アーメンって、普通の日本人が聞くと引くわよ。キリスト教系大学のこと「あそこはアーメン大学だからさ」とかバカにして言うじゃない? 誠実な祈りはどんな形式でも通じるのよ。アーメンってつけないで祈ってごらんなさいって。アーメン廃止を世の流れにしましょうよ。讃美歌21でも末尾のアーメン廃止したでしょ?
臨時の祈り
お願いごとがあるときにはいつでも祈ってください。
ただし、人前で口に出して祈る場合は、祈りの内容を具体的に言うのはできる限り避けましょう。上記の主の祈りを唱えつつ、心の中
だけ
で具体的な祈りをしてください。
修行としての祈り
修行としてならば、長々と祈るのもいいでしょう。詳しくは「
修行
」を見てください。