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第十四章 アビナダイ、ノア王の祭司たちにイザヤの言葉を引いて語る。イザヤ書第五十三章と比較せよ。 まことにイザヤも次のように予言したではないか「だれがわれらの告げることを信じたか。主の能力はだれに現われるか。
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かれは柔かい苗木のように、また乾いた土から出る株のように主の御前にそだつ。かれは美しい形もなくまた美しい色もない。だからこれを見るとき人のしたい寄るうるわしさがない。
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かれは人にいやしみ捨てられ、悲哀の人であって悲しみの味を知る。われらはまた自分の顔をかれから隠すかのようにふるまう。かれが憎まれたときにかれを貴ばなかった。
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かれはまことにわれらの悩みを負いわれらの悲しみをになった。ところがわれらはこれを見てかれは悩まされ神にうたれて苦しめられると思った。
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しかしかれはわれらのとがのため傷を負い、われらの罪悪のために打たれたばかりでなく、またわれらの代りにこらしめを受けてわれらに安心を与えた。われらはかれが打たれるによって癒されるのである。
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われらは皆羊のように迷って各々心のままに道を歩くけれども、主はわれらの悪事をことごとく贖う責めをかれに負わせたもうた。
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かれはしいたげられ、苦しめられたが何事も口にせず、小羊のようにほふり場に引いて行かれたが、羊がその毛を切る者の前に黙っているように何事も口にしなかった。
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かれは牢屋と法廷から引いて行かれたが、生ある者の地から絶たれた。だれがその代を承け継ぐ者であるか。かれはわが民のとがのために打たれた。
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かれは死ぬ時罪ある者と共にその墓を設けたが、また富んだ者と共に墓を設けた。それは一つの悪も行わず一つの偽りも口にしなかったからである。
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しかしながら、かれを打つことは主のみこころに適った。主はかれを悩ましたもうた。かれ自身を汝が罪祭の供物にしたもうとき、かれはその子孫を見ることができ、その年は永くて主のみこころはかれによって栄える。
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かれは自分自身のわずらいを見て満足に思う。わが正しい僕は多くの人の罪を負うて、自分の知識によってその人々を正しいとする。
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それであるから、われはかれに偉大な者たちと共にその分け前を取らせよう。かれは強い者と共に獲物をわけ取る。これはかれがかれ自身をいけにえとし、罪人の中に数えられ、多くの人の罪を負い、罪のある人たちのためにとりなしをしたからである」と。
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