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2024年5月16日(木) 通読(本日=箴5-6,ユディ11,アル23 明日=エゼ7-12,アザ1,クル-49回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第11章
第十一章
判事とその俸給。ニーファイ人の貨幣と度量法。ゼーズロム、アミュレクに言い破られる。

モーサヤ王の立てた国法には、判事たる者も判事の職に任ぜられる一切の者も、その前に引き出される人を裁くに費す時間に応じて俸給を受けるものとすると定めてあった。
もしもある人が他人に借金をしてこれを返さないならば、判事に訴えられる。すると判事はその権力を用いて下役をつかわし、この人を自分の前につれてこさせ、国法とその人に対する証拠とによって裁判をし、その結果強制力を以て借金を支払わせる。それでも借金を返さないとその持物を取り上げ、または盗賊として民の中から放逐した。
判事はその時間の長短によって俸給を受けたが、その額は一日毎に金一セナイン、または銀一セヌムで銀一セヌムは金一セナインに相当していた。立てられた国法にはこのように定めてあった。
ニーファイ人の用いた金銀の貨幣の名をその価格の順番にあげると次のようである。これはニーファイ人のつけた名であって、ニーファイ人はエルサレムに居たユダヤ人の使った計算法と升目とは用いなかった。判事治世の時になるまでは、民の意見と事情とに応じて時代毎に計算の仕方と升目とを変えたが、モーサヤ王の時に王がこれを一定にした。
すなわち金貨にはセナイン、セオン、シャム、リンムナがあり、
銀貨にはセヌム、アムノル、イーズロム、オンタイがあり、
銀一セムナは金一セナインに当り、どれも大麦一升または各種の穀物一升に替わる。
金一セオンは二セナイン、
金一シャムは二セオン、
金一リンムナは一シャムと一セオンと一セナインとを合せた価に当る。
また銀一アムノルは二セヌム、
銀一イーズロムは四セヌム、
銀一オンタイは一イーズロムと一アムノルと一セヌムとを合せた価に当る。
また計算に使う価の低い貨幣は次のようである。
一シブロンは半セヌムであって大麦半升に替わる。
一シブルムは半シブロン、
一リーアは半シブルムに当る。
小貨幣の計算法は以上の通りである。
また金一アンテオンは三シブロンと同じ価であった。
さて判事たちは事件を裁くに費す時間に応じてその俸給を受けたから、自分の裁判をする事件の数を多くし、また利益を得るために民をおだてて一揆を起させ、ある騒ぎや悪事を行わせた。これは自分のところへくる訴訟によって金銭をもうけようとするのであるから、このたびも民をそそのかせてアルマとアミュレクに逆らわらたのである。
さきに言ったゼーズロムはアミュレクに向って「お前はいま問いかけようとするわずかの質問に答えてくれるか」と言ったが、ゼーズロムは善を破ろうとするために悪魔のはかりごとに熟練している男であるから「お前は私の質問に答えてくれるか」と言ったのである。
それに対しアミュレクは「もし答えることが私の中にある主の「みたま」にかなうならば答えるが、主の「みたま」にかなわないならば私は何も答えない」と言った。するとゼーズロムはアミュレクを試みて「見よ、ここに銀六オンタイある。汝がもしも全能の神がないと言うならわたしはこれをみな汝にやろう」と言った。
ここに於てアミュレクは答えて「ああ地獄の子よ、なぜ私を試みるか。義人はこのような誘惑に従わないことを汝は知っているではないか。
汝は神がないと信じているか。いやいや、汝は神があることを知っている。しかし汝は神よりもそこにある銭を愛している。
汝は今神の前で私にうそを言っている。汝は今私に『この大枚の六オンタイを見よ。これを汝にやる』と言ったが、本当は始めから私にくれないと心にきめているのであって、ただ私に生ける真の神はないと言わせて私を亡ぼす口実を造ろうとするだけである。見よ、この大きな罪のために汝はその報いを受けるであろう」と言った。
そこでゼーズロムがまた「それならば、汝は生ける真の神があると言うのか」ときくと、
アミュレクは「さよう、生ける真の神はまします」と答えた。
そこでゼーズロムが「神は一つよりも多いか」と問うと、
アミュレクはそうではないと答えた。
またゼーズロムが重ねて「それではどうしてそれらのことを知っているか」ときくと、
アミュレクは「天使が私に示した」と答えた。
またゼーズロムが「降臨をするはずの者はだれか、神の子であるか」と聞くと、
アミュレクは「その通り、神の御子である」と答えた。
またゼーズロムが「神の子はその民を罪があるままに救うのか」ときくと、アミュレクはこれに答えて「いや、その通りにはお救いにならない。自分が仰せになった誓約の言葉を違えたもうことはできぬからである」と言った。
ここに於てゼーズロムは民に向って言った「諸君、この言葉を忘れたもうな。この男は神はただ一つであると言いながら、また神の子は降りたもうてもその民を救わないと言った。これは神に命令する権能をもっているかのような言葉ではないか」と。
さてアミュレクはまたゼーズロムに答えて言った「ごらん汝はうそを言っている。私が神の御子はその民を罪があるがままにはお救いにならないと言ったから、汝は私が神に命令をする権能を握っているかのように言ったと言う。
私はもう一度汝に言う。神の御子はその民を罪のあるままに救いたもうことはできない。私は神が誓約で言いたもうた言葉を否定することはできない。神は不潔な者は天の王国に住むことができないと誓言をなさった。それであるから、もしも天の王国に住むことができないならば、どうして救われることができるか。従って、あなたらは罪のあるままに救われることはできない」と。
そこでゼーズロムはまたアミュレクに「神の御子は真の永遠の父であるか」と聞くと、
アミュレクはこれに答えて「さようである。神の御子は天地と天地の間にある万物との永遠の父である。神の御子は始めにしてまた終り、最も前にしてまた最も後である。
また神の御子はその民の罪を贖うためにこの世に降臨し、その名を信ずるすべての者の罪とがを負いたもう。このような人たちは永遠の生命を受ける者であって、そのほかには一人も救いを与えられない。
従って、悪人は神の子による罪の贖いがなかったと同じような有様であって、ただ一つ死の縄目だけは解かれるのである。ごらん、ある人は皆死から復活して神の御前に立ち、それぞれの行いに応じて裁判を受ける日がくる。
世には肉体の死と名づける死があるが、キリストの死によって肉体の死の縄目が解かれあらゆる人がこの肉体の死から復活することができる。
ここに於て霊と体とは再び合して完全な形となり、手足も骨の関節も私たちが今持っている本来の形に返り、私たちが今持っているような知識を保ち、明らかに自分が持っている一切の罪を思いめぐらしてそのまま神の御前に引き出されるのである。
この復活はあらゆる人が全部受けるのであって、老若男女の区別なく悪人と善人とを問わず奴隷と自由人とのへだてなく、一すじの髪の毛さえも失われずに、総身の何れの部分もあたかも今の世にあるようになり、完全な形にかえるのである。それから後で、その行いの善し悪しに応じて裁判を受けるため、一つの永遠の神会を成すお方、すなわち御子なるキリストと父なる神と聖霊との法廷に召される。
今私は肉体の死と肉体の復活とについてあなたたちに話したが、この死ななくてはならない肉体は不死不滅の体となって死からよみがえる。すなわち、第一の死から復活して後に永遠の生命を受けるのである。それであるから、人はもう死ぬはずがない。人の霊は体と合していつまでも再び離れない。そしてこのように相合したものはみな霊性体となって不滅となり再び朽ちることがないのである」と言った。
さてアミュレクがこのように話し終るとアモナイハ市の民はまた驚きゼーズロムもまたおののきはじめた。これでアミュレクの話したことは終った。私が誌したアミュレクの言葉はこれだけである。

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