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2024年5月17日(金) 通読(本日=エゼ7-12,アザ1,クル-49回 明日=ルカ13-14,1イミ25,クル-50回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第23章
第二十三章。死についての黙想
死はあなたにすぐに来るだろうから、あなたの今の状態がどうであるかを改めて考えなさい。今日人は生きていても、明日は見えなくなってしまうのである。
そして姿が見えなくなってしまったら、人はすぐに忘れられてしまうのである。
だから、目の前のことばかりを考え、少しも将来の準備をしない人々は、なんと心が鈍く、頑固であるだろう。
あなたはすぐにも死のうとするかのように、自分の行為や考えのすべてにその準備がなければならない。
もしあなたの良心に曇りがないなら、死は何も怖れることはない。
だから、死は逃れようとすべきではない、むしろ罪を犯さないように気をつけなさい。
もし今日準備しないならば、どうして明日できるだろうか。
明日はあてにならない。どうしてあなたにとって明日が絶対にあるとわかるだろうか。
われわれが善に進むことがこれほど少ないならば、長生きするのも何の益があるだろう。
ああ、長生きしても必ずしもわれわれは善に進まないし、かえって罪が増えることが多いのだ。
ああ、どうか一日であっても、清らかにこの世で生きてみたいものだ。
自分が修道生活を始めてからの年数を数える人は多いが、その結果として善に進んだことはほとんどないのである。
もし死ぬのが恐いなら、長生きするのも危険だろう。
いつも死の時が眼の前にせまっていると思い、そのために毎日準備をする人は真にさいわいである。
もし、他人が死ぬのを見たならば、自分もまた同じ道を行くと思いなさい。
朝には夕方まで生きられぬと思いなさい。
夕方にはまた朝があるとは決して期待してはならない。
いつも準備をして、死が不意に来ないように、生きることを油断してはならない。
多くの人は、突然に、準備なく死ぬ。「思いがけない時に人の子が来るからである」(ルカ12:40)。
しかも、最後の時が来ると、それまでの生涯のすべてはまるきり違ったように思い始め、自分がどれほど怠けて不注意だったかを嘆くことだろう。
死が来た時にこうありたいと思って、そうなるように生きている間に努力している人は、なんと幸福で賢いことだろう。
世を全く軽んずる思い、徳に進もうとする熱心な願い、訓練を愛する心、苦行をすること、喜んで服従すること、我欲を捨て去ること、キリストを愛するためにどんな苦難にも耐へ忍ぶこと、こういうことが、幸福に死に臨むための大きな自信を与えてくれるのである。
体が丈夫なうちはよい事がたくさんできるが、病気になってしまったら何ができるだろう。
病気になってしまうと、徳に進み善に改まるということはめったにない。たくさん巡礼の旅をしたからといって聖者とされた人などほとんどいないようなものである。
友人や親戚をあてにしてはならない。また自分の魂の救いを将来まで延ばしておいてはならない。あなたが思う以上に人はあなたのことを忘れてしまうからである。
むしろ時間があるうちに自分で準備して、よい事をした功績を天にたくわえておきなさい。死後に他人の祈りをあてにするよりはるかによい。
もし今自分のために配慮しなければ、将来だれがあなたのために配慮してくれるだろうか。
今こそ真に貴重な時なのである。「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」(二コリ6:2)。
今こそが、あなたが永遠に生きるための功績を遂げることのできる時なのに、有効に用いないならあなたは悲しむべきである。
あなたが善に進むための一日あるいは一刻の時間を将来にほしい思うことがあるだろうが、それが果して許されるかはわからないのである。
愛する者よ、もしあなたが絶えず死を恐れて警戒しているとしても、はたしてどんな危険を取り除き、どんな恐怖から免れられるというのだろう。
むしろ、死が来てもそれを恐れずに喜んで迎えることができるように、今あなたが生きることに努めなさい。
つまり死んでからキリストとともに生き始めるために、今この世に対して死ぬことを学びなさい。
自由にキリストのもとに行けるように、今すべての物を軽んずることを学びなさい。
確実な自信をもつことができるように、今あなたの肉体を苦行でこらしめなさい。
ああ、愚かな人よ、一日たりとも安全を保証できないのに、長生きをしようと思いわずらうのか。
まだ生きられると思い込まされているうちに、突然に肉体から引き離されてしまう人が多いのだ。
だれがつるぎで殺された、だれが水におぼれて死んだ、だれが高い所から落ちて首の骨を折った、だれが食事の最中に息をつまらせた、だれが遊んでいて突然に死んだ、あなたはこういう話を毎日耳にすることだろう。
火で、つるぎで、病気で、盗賊の手にかかって死んだと。すべての人に死はやって来る。すると人生は影のように消えてしまうのだ。
あなたが死んだ後、だれが覚えていてくれるだろう。だれがあなたのために祈ってくれるだろう。
愛する者よ、できる限りのことをしなさい。いつあなたは死ぬかわからないのである。あなたが死んだ後、何が来るかわからないのである。
あなたまだ時間があるうちに、永遠の命のための財産を積んでおきなさい。
あなたの魂の救い以外に何も考えてはならない。神のことだけを考えなさい。
神の聖者たちを尊敬し、その行為にならって、それを今あなたの友としなさい。
あなたがこの世と別れるときに、あなたを「永遠のすまいに迎えてくれる」(ルカ16:9)ためである。
自分は「地上では旅人であり寄留者である」(ヘブ11:13)と思いなさい。そうすればこの世のことには何も関わり合いになることはないのである。
「この地上には、永遠の都はない」(ヘブ13:1)。だから、あなたは心をこの世から離して、天の神にだけ向かわせなさい。
そして、日々祈りと嘆きを神のみ前に捧げなさい。死後にあなたの魂が、幸福に主のもとに行くのにふさわしくなるようにである。アーメン。

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