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2024年4月26日(金) 通読(本日=エレ47-52,バル3,クル-43回 明日=ルカ7-8,1イミ22,クル-44回) |
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節表示・修正 | 口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題 〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第5章 |
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第五章。聖書を読むについて 聖書を読む目的は、言葉遣いを学ぶのではなく、その中に真理を探るのである。 すべて聖書はそれが書かれた精神によって読まれるべきである。 聖書を中に求めるべきことは言葉の巧みさではなく、われわれの魂に役立つものでなければならない。 要するに、われわれは聖書の中の崇高で深遠な書と同じように、敬虔で単純な書をも好んで読まなければならない。 決して作者の名前にこだわってはいけないし、文章の巧拙などは問うべきではない。 純粋な真理への愛にのみひかれて聖書を読むべきである。 誰が書いたのかにはこだわらず、何が書かれてあるかに注意しなければならない。 |
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人間は死んで消えてなくなるが、「主のまことはとこしえに絶えることがない」(詩117:2)。 神は人をえこひいきなさらず、われわれに「いろいろな方法」(ヘブ1:1)で語られる。 われわれが聖書を読むとき、好奇心がじゃまをすることが多い。つまり、単純に読めばいいところをことさらに難しく解釈したり議論したりしようとするのである。 もし聖書を読んで利益を得ようとするならば、心を謙遜に単純にし、信仰によって読むべきである。決して物知りだという評判を得ようとしてはならない。 ためらわずに疑問点を質し、黙って聖者たちの言葉を聴きなさい。また先輩たちの意見をしりぞけてはならない。それらは理由なく語られたわけではないからである。 |