真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[877]民数記29-32章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/09/12(月) 10:30:02
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=29&mode=0
 29章は新年祭の話。[784]で書いたように、ユダヤ暦の新年は7月から始まるんです。
 30章は誓いの話。似たような話がレビ27申23にもありますが、実際にこういう食べ物断ちみたいなことを伴う誓いっていうのがどの程度行われていたのかよくわかりません。実は聖書にも具体例がないんですね。唯一あるのが例の士11:30-40。エフタの娘の話ですよ。私が旧約聖書中で一番ふんがいしているあれです。お父さんがバカな誓いをたてるもんだから娘が処女のまま死ななきゃいけなかった。ヤハウェもヤハウェ、お前そんなに処女がいいのかっていうあの話です。こうしてみると誓いっていうのはしょーもないですね。イエス様の言うとおり(マタ5:34)、いっさい誓うな。ミ・オモーサイ・オーロス、Do not swear at all.ですわ。なお、昔、山本七平さんの宣誓論争っていうのがありましたが、この件については、
http://www.babelbible.net/lang/lang.cgi?lang=en&doc=en_swear&mode=frame&imode=0
をごらんください。

 さて、ここからがまた民数記らしいキナ臭い話です。
 31章。ミデヤン人と戦って勝利、大虐殺をします。ここでいうミデヤン人とは25章でいうモアブ人のことで、例のハニートラップです。イスラエルの民はミデヤン娘の色香にはまって神様の怒りにふれて24000人も死んじゃった、その復讐というわけで、子どもだろうと容赦はしません。男は殺し、女も非処女は殺す。ただし処女とはこれからエッチをするので生かしておく。モーセもえげつないですね。

 でも、そんなに処女っていいのかしら。私、はじめてのとき、相手がヘタクソだったんでなかなか入らず苦労したんですけど。最後にはじれったくなって自分から相手の上に乗っかって騎乗位でやっと入りました。私らしい処女喪失でしたが、おかげで相手からは、お前処女だって言ってたのウソだろう、血も出てないじゃないかと言われる始末。そうです。世が世なら私は処女の証拠を出せずに石打ち刑になる身(申22)なの。私みたいな魔女は聖書に殺されちゃうのよ。そんなわけで、聖書で処女論議が出てくるたびに私はむかむかします。
 ついでながら源氏物語で、光源氏が正妻の葵の上と最初なかなかうちとけられなかったっていうの、あれたぶん、セックスがうまくいかなかったってことの婉曲表現なんじゃないかしら。源氏もさまざまな女性と、特に六条御息所からの性のてほどきをうけてやっと葵の上を愛せるようになって夕霧を産んだってことじゃないかしら。男も女も、はじめてのセックスは、経験豊富な人からてほどきを受けるのがその後幸せになる気がします。
 エロチャンネルのパラダイスTVでやってる「処女喪失」シリーズ、処女の素人さんが出演の応募して、経験豊富な男優さんに処女を卒業させてもらえるという番組ですけど、女の子たちがみんな本当に幸せそうな表情してて「よかったね」ってこちらも幸せな気分になれる番組です。私もああいう処女喪失をしたかったです。

 で、32章。こんどはルベン(レウベン)族とガド族がうじゃうじゃ言ってきます。家畜も多いし、ここに定住しようよ。もう約束の地なんかいいよ、というわけですね。
 こういうところ、福音派系の解説を見ると、教会でみんなで一つのことをやろうとしているときに数人のものが反逆したり挫折したりすると全体の一致を乱して教会の成長を止めるっていうんですけど、私はそういう読み方をしたくないです。人にはそれぞれ事情があるんで、途中であきらめて目標を過小修正するってことはよくあること。そういう弱い人の側にたってくれるイエス様の愛が、モーセにはちっともないのよね。

[876]ヘブ1-4章、シラ42章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/09/11(日) 06:14:26
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●ヘブ1-4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=heb&chapter=1&mode=0
 ヘブライ人への手紙。著者は不明。伝統的にはパウロとも言われますが、早くから疑いも多く寄せられています。だいたいパウロだったら手紙の冒頭や最後やその他あちこちに自分の名前をちりばめるはずですけど、この手紙には一つも名前が出て来ません。だからこそ聖書無謬説の方々は、今までのニセ・パウロの手紙については「パウロが書いたなんてウソだ」と言うと怒るのですが、これについては怒りません。そういうふうに言ったとしても聖書本文に間違いが出てくるわけじゃありませんから。
 題名のとおり、ヘブライ人つまりユダヤ人にイエスこそがキリストであることを説明するために、旧約聖書のあちこちを引用しながら説明した手紙です。福音書でいえばマタイみたいな感じ。4つの福音書のなかでマタイが一番読みやすいと思う人は、この手紙も読みやすいかもしれません。

 とはいえ、冒頭はなんか難しいですね。しかも4章ぶんもわりあてられているので大変。大ざっぱには、イエス様は神の御子であり、いままでの預言者や御使いよりもえらく、もちろんモーセよりもえらい、私たちを救う大祭司であるってことなんですけど、ここでは話を第4章にしぼります。
 著者は私たちが救われること、神の国に入ることを「神の安息に入る」と言ってます。でもこの約束は、私たちが悪いことをすると反故にされてしまう可能性があります。3章に書いてあるように、そして月曜日に民数記を読んできたように、イスラエルの民は砂漠の行軍が大変だ大変だとぶつぶつ言って反乱を起こしたりしたので、結局エジプトを出発した第一世代はヨシュアなどの例外を除いてみんな約束の地に入れなかった。
 では、神の安息に入れないような悪いことって何かというと、4章によれば、それは安息日を破ることらしい。ポイントはヘブ4:4-5ですが、前半の「7日目に休んだ」はもちろん創2:2、また出20:11です。後半の「彼らを安息に入らせない」は、またここでなんて書いてますけど全然違うところ、詩95:11です。この人にとっては旧約聖書に書いてあれば全部同じところなのかもしれませんが、もともとは、エジプトを脱出したイスラエルの民が四十年間さまよったあげく、約束の地に入れなかった話です。それを安息日と結びつけるのもずいぶん強引ですが、いずれにせよ著者は大まじめにこう主張しているわけです。
 神様が休んだ日に休まないようなやつは、最終的な神様の休み=救いにあずかれないぞ、というわけですね。ユダヤ人が、殺すなかれみたいな重要な十戒を平気でやぶるのに、安息日みたいなどーでもよさそーなものを守ろうとする意味が、なんとなくわかってきました。

●シラ書42章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=42&mode=0
 前章と反対に、恥じてはいけない、やることをためらってはいけない、積極的にやりなさいという話。いろいろ面白いことが書かれてますけど、最後には言いたい放題、14節「徳のある女より悪い男のほうがましだ。女は恥辱と不評をもたらす」みたいに女を悪者にするのはなんだかなぁ。
 で、15節以降はシラ書のあらたなステージに入り、主の作った自然や過去のイスラエルの歴史を回想しながら主の偉大さをたたえるという内容に入っていきます。