真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[876]ヘブ1-4章、シラ42章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/09/11(日) 06:14:26
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●ヘブ1-4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=heb&chapter=1&mode=0
ヘブライ人への手紙。著者は不明。伝統的にはパウロとも言われますが、早くから疑いも多く寄せられています。だいたいパウロだったら手紙の冒頭や最後やその他あちこちに自分の名前をちりばめるはずですけど、この手紙には一つも名前が出て来ません。だからこそ聖書無謬説の方々は、今までのニセ・パウロの手紙については「パウロが書いたなんてウソだ」と言うと怒るのですが、これについては怒りません。そういうふうに言ったとしても聖書本文に間違いが出てくるわけじゃありませんから。
題名のとおり、ヘブライ人つまりユダヤ人にイエスこそがキリストであることを説明するために、旧約聖書のあちこちを引用しながら説明した手紙です。福音書でいえばマタイみたいな感じ。4つの福音書のなかでマタイが一番読みやすいと思う人は、この手紙も読みやすいかもしれません。
とはいえ、冒頭はなんか難しいですね。しかも4章ぶんもわりあてられているので大変。大ざっぱには、イエス様は神の御子であり、いままでの預言者や御使いよりもえらく、もちろんモーセよりもえらい、私たちを救う大祭司であるってことなんですけど、ここでは話を第4章にしぼります。
著者は私たちが救われること、神の国に入ることを「神の安息に入る」と言ってます。でもこの約束は、私たちが悪いことをすると反故にされてしまう可能性があります。3章に書いてあるように、そして月曜日に民数記を読んできたように、イスラエルの民は砂漠の行軍が大変だ大変だとぶつぶつ言って反乱を起こしたりしたので、結局エジプトを出発した第一世代はヨシュアなどの例外を除いてみんな約束の地に入れなかった。
では、神の安息に入れないような悪いことって何かというと、4章によれば、それは安息日を破ることらしい。ポイントはヘブ4:4-5ですが、前半の「7日目に休んだ」はもちろん創2:2、また出20:11です。後半の「彼らを安息に入らせない」は、またここでなんて書いてますけど全然違うところ、詩95:11です。この人にとっては旧約聖書に書いてあれば全部同じところなのかもしれませんが、もともとは、エジプトを脱出したイスラエルの民が四十年間さまよったあげく、約束の地に入れなかった話です。それを安息日と結びつけるのもずいぶん強引ですが、いずれにせよ著者は大まじめにこう主張しているわけです。
神様が休んだ日に休まないようなやつは、最終的な神様の休み=救いにあずかれないぞ、というわけですね。ユダヤ人が、殺すなかれみたいな重要な十戒を平気でやぶるのに、安息日みたいなどーでもよさそーなものを守ろうとする意味が、なんとなくわかってきました。
●シラ書42章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=42&mode=0
前章と反対に、恥じてはいけない、やることをためらってはいけない、積極的にやりなさいという話。いろいろ面白いことが書かれてますけど、最後には言いたい放題、14節「徳のある女より悪い男のほうがましだ。女は恥辱と不評をもたらす」みたいに女を悪者にするのはなんだかなぁ。
で、15節以降はシラ書のあらたなステージに入り、主の作った自然や過去のイスラエルの歴史を回想しながら主の偉大さをたたえるという内容に入っていきます。
[875]使徒1-2章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/09/10(土) 07:58:12
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=act&chapter=1&mode=0
土曜日は福音書を読んできましたが、今日からは使徒行伝。聖書によっては「使徒のはたらき」「使徒言行録」「初代教会」など変わったタイトルをつけています。
著者はルカ。冒頭にあるように、ルカ福音書の第二巻というわけです。ルカ自身はこの2巻の著作を何とも呼んでいません。ということはルカ福音書を「福音書」なんて一度も呼んでいませんし、使徒行伝を「使徒なんたら」とも呼んでいないわけです。このことは田川先生がいろいろ言ってます。特に今週やっと出た使徒行伝では(p.679)、使徒行伝の著者が一度もパウロのことを「使徒」と呼んでない、呼ぶとしても例外的にバルナバと列挙して呼んでいるだけだ使14:4,14ということを指摘しています。
いずれにせよイエス様の言行については情報源が4つもあったのですが、使徒たちのことは、書簡の一部にちらちらと出てくることを丹念に読むというのもありますが、基本的に使徒行伝を読むしかありません。
さて、復活したイエス様はしばらく地上に滞在していたのですが、40日めに天にのぼっていってしまいます。ウルトラマンの3分間よりははるかに長いとはいえ、この地上は、一度死んだ人にとってはよっぽど住みにくいのでしょう。今でも教会ではこの日を祝いますが、木曜日になるためあんまりはでなことはしません。ここから後にいうペンテコステまでは親分がいないわけでして、弟子たちはさぞや不安だったことでしょう。カトリックではこの9泊10日間は連夜のお祈りをするらしいです。
そんな中で欠けた12人めの弟子を選任。しかし、使1:18のペテロの発言によれば、ユダはずいぶん悲惨な死に方をしたようですね。そういえばルカ福音書ではユダの最期の話は書かれておりませんでした。あとはマタ27:3-5によれば首吊りらしいんで、かなり矛盾してますね。たった数日しかないのに、もうこうやって話には尾ひれがついてしまうようです。
で、第2章になるとペンテコステ。弟子たちに聖霊が降臨して、いろんな言語をしゃべりはじめます。その画像は
http://mmbox.seesaa.net/article/109686664.html
だとかわいいんですけど、リアルに考えたらべろべろって汚そうですね。日本人は言語活動の象徴を「口」といいますが、あちらさんは「舌」ですからね。
で、このいろんな言語、地名のようにも読めますが、文脈的には言語リストですね。当時の世界の言語一覧表みたいになってるんですが、ユダヤというのははあるのに、肝心のギリシア語がないっていう話を加藤隆さんが指摘しています。そのくらい、エルサレムではギリシア語のほうが当然で、むしろヘブライ語・アラム語のほうが珍しかった(ガリラヤ出身の弟子たちはなまりがひどくて標準的なことばがしゃべれなかったという意味もあると思います)ってことですね。
さあて、これで弟子たちは力を得て宣教を始めるのですが、2章の最後によれば、当初は原始共産制。もちものは全部共有、必要に応じて分け与えたようです。財産全部出せなんてこれはカルトですねぇ。もっともこの制度はすぐに崩壊、使徒行伝の中でも少しずつ変化していきます。こういう教会の経済体制に着目しながら読むというのも面白いものです(これも加藤隆先生の視点)