真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[833]ヨハネ10-12章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/08/13(土) 09:02:44
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=joh&chapter=10&mode=0
 11章は「ラザロのいやし」と呼ばれるところですけど、どこがいやしなもんですか。はっきりいって「ラザロ見殺し事件」じゃありませんの? イエス様のなさることとも思えない大スキャンダルでしょう。
 だって、ラザロが病気だという知らせを受けても、イエス様は急ぐ気配もなし、それどころか、わざわざ2日間待ってから出かけるんです。
 その2日の間に何か危険なことがあって行くことができなかったというわけじゃありません。現に、2日後に出かけようというと弟子は「危ないからやめましょう」とひきとめたほどです。
 そしてイエス様は弟子たちに、ラザロが死んだことをはっきりと宣言します。病気だという知らせは来たのに、死んだという知らせは来ていません。超能力で知ったのでしょうか。
 そしてラザロの埋葬後4日たってようやくイエス様は到着。マリアやマルタに「先生がいてくださったら助かったのに」と言われながらもラザロを復活させます。
 ではなぜイエス様はわざわざ時間稼ぎをしたのでしょうか。
 4節にハッキリ書いてます。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」。また15節には「わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである」と。
 わかります?
 いくら神様イエス様でも絶対に不可能なのは、生きている人を復活させることです。復活という奇跡、いやさパフォーマンス、いやさ手品を演ずるためには、被験者に死んでもらうしかありません。しかも、死後すぐに復活させたのでは、実は死んでなかったのではないかという疑いが残ります。マコ5:22-43とかルカ7:11-17なんかはその類でしょう。だからわざわざ時間稼ぎをしたのです。ラザロが墓に葬られ、屍体が腐乱しかけたころを見計らって出かけ、復活パフォーマンスを演じたわけです。
 これってひどくないですか?
 生き返ったからそれで万々歳というわけじゃないでしょう。
 死に際してラザロが味わった苦痛、遺族たちの悲しみを、イエス様はどう考えているのでしょう。自分が復活パフォーマンスを演じたかったから、それで「神様ってすごいんだ」と神の栄光があらわされ、弟子たちが信ずるようになるために、わざわざこんなことをしたんですよ。
 今こんなことをお医者様がやったら、結果的に完治したとしても、絶対に訴訟ざたになるでしょう。
 私は、こんなイエス様を信ずる気にはとてもなれません。
 聖書無謬説を信ずる人は、このエピソードをどうとらえてるんでしょうか。一人ひとり聞いてまわりたいです。ちなみに福音派御用達の『新聖書注解』は、わざわざ遅れて行ったことを脳天気に認めています。バカか!

 前回言ったように、変態ヨハネは、自分の言いたい事を言うためにイエス様の言動をねじまげるくせがあります。実際には不慮の事態でイエス様は到着が遅れたんでしょうが、それをヨハネがねじまげて書いたんです。
 パウロにも自分の言いたい事のためにいろいろヘンな理屈をこねるクセがありますが、パウロのほうはまだナマイエスを知らないのでヘンな理屈だけですみます。しかしヨハネは、イエス様の言動をだしにして書いているので、余計に罪深いです。

 12章ではもうマリア(ラザロの姉妹)の香油大量消費事件ですね。他の福音書では過越祭の直前ですが、ヨハネでは6日前。他の福音書では2日前です。いずれにせよ、もうイエス様の受難は近いんですね。でもヨハネはここからが延々と長い。イエス様の大演説が17章まで続きます。

[832]ホセア8-14章、シラ27章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/08/12(金) 07:43:02
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●ホセア8-14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=hos&chapter=8&mode=0
 何度も出てくるエフライムというのは、単にイスラエル12部族のうちの1つということではなく、北王国の代表的な部族ということです。イスラエルの民は今ではユダヤ人と呼ばれますが、これはユダ族を中心とする南王国のほうが残ってバビロン捕囚を経ても他民族と同化しなかったため、実質的にイスラエルの民といえばユダ族ということになったからです。実際、イスラエルの民全体を指すいいかたとしてのユダヤ人という言葉は、エズラ記4章が初出です。だからもし、北と南の運命が逆転していたら、いまごろはユダヤ人じゃなくエフライム人と呼ばれていたかもしれません。
 前回ホセアは、娼婦あがりの子持ち女と結婚した経験を、不義の民を神がゆるす話にしていますが、今回11章では、親子の関係になぞらえています。一般に神様は不義の民を本当に滅ぼしてしまうこわい存在ということになっていますが、ホセ11:8のように、実は神様はけっして民を捨て去ることができないんです。

●シラ書27章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=27&mode=0
 26章の最後で突然お金もうけの話になったと思ったら、その話が3節まで続いてますね。章の切り方がなんかおかしいわ。
 一般にはユダヤ人というのは金融をこととする民というイメージがありますが、それは中世ヨーロッパで彼らがそれしかできなかったという歴史を経ての話で、もともとは商売に対して決して積極的な思想をもってたわけじゃないです。まだイスラム教のクルアーンのほうが、商売の話がいっぱいでてくるほどですね。
 金持ちのユダヤ人というのもごく一部の人の話で、一般のユダヤ人はドジでマヌケで貧しいお人よしというのが、アメリカのユダヤ文学のメインカラーです。なんか最近Twitterではフジテレビ攻撃にからんで韓国に対する排外的なつぶやきが多いですけど、ソフトバンクの孫さんが大もうけしてるとか、パチンコ屋やってる在日が大もうけしてるなんていうのはごくごく一部の話。一般の人の話ってなかなか報道されないですからね。こういうところこそ文学の出番。本来は映画やドラマやマンガもそういうふつうの人の姿を描くのに役立つはずなんだけど、ドラマはドラマで、普通じゃない生活を描いてますからね。韓流ドラマに描かれているような生活を一般の韓国人がしてると思ったら大間違いです。田園都市線沿線に住んでる私たち夫婦が、「金曜日の妻たちへ」(古い!)のような生活をしてると思ったら大間違いというのと同じ。