真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[825]罪のない者がまず石を投げよ
投稿者=真理子
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掲示日=2011/08/07(日) 03:59:35
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今日は立秋、今日から秋ですんで壁紙の色も秋色になりました。
あれ、昨日菅直人さんは脱原発を言ったんですか? 私の耳ではあんまりはっきり聞こえなかった、というか、あの程度では脱原発って言えないような気がするんですけど、またしても(不信任案のときに退陣を言ってないのに「退陣を」と報じたような)新聞の誤報でしょうか。
さて、「罪のない者がまず石を投げよ」ですけど、これは読者のみなさんが「娼婦っていうのは石打刑にするほどの罪びとと言えない」というふうに、娼婦に対して感情移入ができるから成り立つ話なんで、そうでなければ、あらゆる悪徳に対する懲罰を無力化してしまう危ない話だと言えるんじゃないでしょうか。
「姦淫の女」のところに「カンニング学生」「駐車違反者」「万引き犯」「強盗犯」「レイプ魔」などいろいろ代入していけば、そのことがよくわかります。
とすると私たちは、売春っていうのはたいした罪じゃないし、むしろ売春をしなければ生きていけない女性をかわいそうと思ってる、悪いのは社会や女を買う男って思ってるってことなんでしょうか。
ヨハネ8章は人気のある箇所でしょうが、「罪なき者が石を投げよ」という論理は、非常に限定された状況でなければ成立しないってことを知りながら読むべきところだと思います。
ついでに売春の話。
かねがね書いておりますように、私自身は売春肯定、少なくとも否定はしません。人間の性の非常に根深いところに根拠を持つ商売で、どんな社会にもなんらかの形で必ず存在するものなので、法律や道徳で禁止しても無理なんじゃないかと思います。
まして多くの日本人のように、「人に迷惑をかけない」ことを唯一の倫理基準としていると、売春っていうのは誰にも迷惑をかけていないので、禁止する根拠がありません。援助交際をする少女を大人が叱ることができるのかっていうのが、宮台真司先生が問いかけたことなんじゃないでしょうか。
先日書いた近親相姦と同様に、売春を否定するなら「ダメなものはダメ」ということで否定しなきゃいけないし、それでも破る人は多い。少なくとも近親相姦よりははるかに破る人が多いんじゃないでしょうか。
[824]ヨハネ7-9章、シラ24章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/08/06(土) 10:15:13
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●ヨハネ7-9章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=7&mode=0
8章の「罪のない者がまずこの姦淫の女に石を投げよ」という話は、ヨハネの中で一番人気のある美しい話ですけどねぇ……。
はっきり言いますがヨハネはイカレたトンデモ野郎です。そんなヨハネが描くイエス様はやっぱり大変態の大馬鹿野郎です。マリア様に対して「婦人よ、それがおいらと何の関係があるんだよ」と毒づく大罰当たり者だったじゃありませんか(ヨハ2:4)。
今日のところは何? 生まれつきの盲人を見たら「この男が盲人になった理由は、神のみわざが現れるため」ですって(ヨハ9:3)。
わかります、これ?
いくらヤハウェ神さんやイエスさんが全知全能でも、最初から眼の見える人の眼を見えるようにすることなんてできません。眼を治すという奇跡という名のパフォーマンスを演ずるためには、盲人が必要なわけです。「おいらが奇跡という手品を演ずるために、こいつは盲人になったんだ」って言ってるんですよ。とんでもない大馬鹿野郎ですよね。
こんな大馬鹿ヨハネの描く大馬鹿イエスの奇跡をありがたがってるクリスチャンはみんな大馬鹿です。説教の中でヨハネ9章をほめる人を私は信用しませんのよ。
まあ、このくらいのことで怒っていては、とてもヨハネ福音書なんて読めません。来週はもっとトンデモナイ話が出てきますのよ。名づけて「ラザロ見殺し事件」です。また来週言いますわ。
こんなふうに、ヨハネは自分の言いたい哲学のためにイエス様の行状をねじまげて描くクセがあります。まあそんなもんだと思ってください。
そんなヨハネですから、「罪のない者がまずこの姦淫の女に石を投げよ」なんて美しい話を描くはずがないんです。
はっきり言ってここは後世の付加です。ヨハネを書き写してたある修道士が、自分の聞いた美しいエピソードをちょこちょことメモしたら、次に書き写した人がそれを本文だと勘違いして、本文にまぎれこんじゃったみたいです。
しかし思うんですけど、この話ってそんなに美しいですかね?
先日Twitterで、これを原発にあてはめてた人がいましたわよ。
@SekiyaHiroshi 2011/8/5
ああそうか。今の状況って、まさに新約聖書のヨハネ8章にある「姦淫の女」のエピソードにそっくりなんだ。姦淫の女=事故を起こした原発、と考えればしっくりくる。だからこそ、原発をやたら叩きまくる連中に対して違和感を覚えるんだろうな。罪なき者がまず石を投げよ。
著作者人格権を尊重してちゃんとアカウント入りで引用してあげましたわ。
こういうふうに使われると、この美しい話もとってもまがまがしくなりますよね。濫用厳禁よ。
じゃこの「罪なき者がまず石を投げよ」という論法は、どういう場面で私たちの心を打ち、どういう場面でまがまがしく響くんでしょうか?
みなさん、これはちょっと宿題にしますから(実は私も整理がついてないんで)、今日一日じっくり考えてみましょう。
菅直人も松井広島市長も脱原発をうたえなかった情けない原爆の日に。真理子。
●シラ書24章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=sir&chapter=24&mode=0
知恵を擬人化して賛美しています。ヨハネの描くイエス様も、アブラハムの生まれる前からいた(ヨハ8:58)んだそうですが、シラ書の描く知恵も、この世が始まる前に創造され、永遠に存続する(シラ24:9)ものだそうです。