真理子の聖書日記
真理子の聖書日記
このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[816]1テモ1-3章、シラ21章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/07/31(日) 10:11:41
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●1テモ1-3章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ti&chapter=1&mode=0
1テモ、2テモ、テトの3書簡は原始キリスト教団の運営に関する話題を主としている似通った内容で、「牧会書簡」と呼ばれています。いずれもパウロ真正の書簡ではないとされています。
原始キリスト教団は今の観点からするとかなりカルト的なあぶない教団で、それだけに迫害も多かった。私たちは迫害というと映画『クォ・ヴァディス』みたいなローマ当局による弾圧を思い浮かべますが、むしろユダヤ教の側からのものが多かった。だって自分たちと同じようでその実まるきり違う主張をはじめる人が突然増殖してヘンなことをはじめるわけですからね。今だってキリスト教諸教派は、他宗教には寛容でも、エホ証とか統一教会とか、異端には厳しいじゃないですか。そんなもんです。
どこも最初は異端だったのさ。うちもキリスト教に輪廻思想を持ち込んだり、エロを肯定して立川流を標榜していますけど、うちだって時がたてば立派な教派に成長するかもよ。そしたら私は聖人よ。今のうちにちゃんと献金持ってきなさい。
それはそれとして、世間様はそういう異端教会を何で判断するかというと、世俗の生活習慣なんですよね。教義の論争は結局コップの中の嵐でしかありません。「あそこはえらそうなこと言ってるけど、あそこに入ると信者はスカンピンになっちゃう。大学にも行けない。ケガしても輸血できない。集団結婚とか性を抑圧している……」などというところではかるんです。あ、じゃうちはやっぱり異端のままね。昔からエロを肯定した宗派教派が栄えたことはないのよ。せいぜい密教かしら。でも真言宗だって、エロ経典の理趣経、わざとヘンな読み方して意味わからないようにしてるのよ。
ですから今日のところでも、ともかく世間から見て道徳的にしっかりして、後ろ指をさされないようにということを教えています。
まあ基本的にはいいんだけどさ、でも私は、2章の後半はまともに読めないわ。何これ? 偽パウロだから安心して読めるかと思ったら「女は静かにしてろ」だって。「アダムがさきでエバはあと」って、それは聖書がまるきりウソなのよ。生物っていうのは女が先で男が後なのよ。何これ「アダムはだまされなかったが女はだまされた」? そうやってすぐ男は女のせいにするんだから。で何これ? 「女は子を産むことで救われる」? 石女で悪うございましたわね。こっちだって苦しんでるのよ。ヒマさえあれば主人から聖体拝領、いえ、精子拝領の努力をしてますわよ。主人はなかなか射精してくれないから、興奮させるために、スカパーでエロ番組契約して常時つけてるし、SMだのコスプレだの母乳(私の胸に牛乳を塗って主人に飲ませる)だの着用ずみ下着だのシャワーなしクンニだの、苦労をしてるのよ。あ、やっぱりうちは異端ね。
ちなみに最近、「バッドチェック」という、ティッシュ型の糖尿、性病チェックシートがバカ売れなんだそうで、うちも購入してチェックしてます。主人の糖尿ですよ。これはシャワーなしセックスで発覚したんです。勇気をふるってフェラったら、くさくないどころか甘いんですもの。これはヤバいと思ったものですから。今のところ大丈夫みたいですけどね。
●シラ21章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=21&mode=0
「愚か者の頭は口についている。賢い者の口は頭についている」(26節)をはじめ、愚か者に関する爆笑格言満載。
[815]ヨハネ5-6章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/07/30(土) 20:48:44
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=5&mode=0
今日のところは本当に読むのが苦痛で、何を書こうかと思い悩んでいるうちに夜になってしまいました。いえ、私の書くのはキリスト教批判と決まってるんですが、それじゃ申し訳ないと思ってずるずる夜になっちゃったんです。でも偽らざる実感ですから、やっぱり書きますわ。
ヨハネといえども福音書ですから、イエス様の奇跡などのご行状を書いた部分、今日のところでいえばヨハ5:1-18とかヨハ6:1-25みたいなところもあるんですが、ヨハネ福音書の真骨頂は、ヨハネがイエス様に説教させている小難しい理屈です。
5章のほうじゃ、私を信じる者は永遠の命を受けるとか、6章のほうじゃ、私は天から下ってきたパンであり、私を食べる者はいつまでも生きるとか。
えっと、私、永遠の命なんていらないです。永遠に生きるなんて苦痛じゃないですか。7-80年ごとに死というリセットをされて、次の生を受けるほうがはるかにありがたいです。
そう思うのは私だけじゃなく、大方の日本人はみんなそうじゃないかしら。
昨日発売されたプレジデント別冊の「仏教のチカラ」に、ベッカーさんという京大の先生が「キリスト教と仏教」という本で、終末思想のあるユダヤ・キリスト・イスラム教は、21世紀を生きる知恵を提供してくれない。むしろ、仏教と神道をベースにした日本の輪廻転生思想が21世紀を生きる知恵を提供してくれる、と説いています。
そこで言ってらっしゃることを下敷きにしながら、ヨハネの説くイエス様に私の率直な気持ちを言いましょう。イエス様は永遠の命を説いていらっしゃいますけど、その一方でこの世はなくなっちゃうわけです。どうせなくなっちゃうわけですから、どれだけ放射能にまみれたっていいんですよ。放射能だのなんだのに汚染に汚染されたところで神の国が来て、この世はポイ。キリスト教の考えには、どこかにそういうのがあるんじゃないかしら。
でも私にとって、永遠の命っていうのは、7-80年ごとにリセットされながらこの世を生きること。死んだら最後の審判(私は個別に随時あると思ってます)を受け、その結果で次のステージに進める。最悪の場合はそれっきり。たいていの人は「じゃまた次がんばってね。真理子ちゃんはちょっとエロすぎるから、次のステージでは不感症になってもらうからね。まじめな修道女として処女のまま一生を生きてもらおうかな」みたいに、今回の生き方を総括されて、次の生き方をスタートする。
そして、次のステージは、やっぱりこの世界のどこかなんですよ。
だからこそ私たちは、この世をポイしちゃだめなんです。原発続けたら、次に生まれ変わる私たちが、放射性廃棄物の処理に苦しむんです。
たぶん、イエス様が説いた永遠の命って、こういうものだったんじゃないかしら。2000年前のヨハネがトンデモさんだったんで、今みたいなヘンな福音書になっちゃいましたけどね。