真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[815]ヨハネ5-6章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/07/30(土) 20:48:44
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=5&mode=0
今日のところは本当に読むのが苦痛で、何を書こうかと思い悩んでいるうちに夜になってしまいました。いえ、私の書くのはキリスト教批判と決まってるんですが、それじゃ申し訳ないと思ってずるずる夜になっちゃったんです。でも偽らざる実感ですから、やっぱり書きますわ。
ヨハネといえども福音書ですから、イエス様の奇跡などのご行状を書いた部分、今日のところでいえばヨハ5:1-18とかヨハ6:1-25みたいなところもあるんですが、ヨハネ福音書の真骨頂は、ヨハネがイエス様に説教させている小難しい理屈です。
5章のほうじゃ、私を信じる者は永遠の命を受けるとか、6章のほうじゃ、私は天から下ってきたパンであり、私を食べる者はいつまでも生きるとか。
えっと、私、永遠の命なんていらないです。永遠に生きるなんて苦痛じゃないですか。7-80年ごとに死というリセットをされて、次の生を受けるほうがはるかにありがたいです。
そう思うのは私だけじゃなく、大方の日本人はみんなそうじゃないかしら。
昨日発売されたプレジデント別冊の「仏教のチカラ」に、ベッカーさんという京大の先生が「キリスト教と仏教」という本で、終末思想のあるユダヤ・キリスト・イスラム教は、21世紀を生きる知恵を提供してくれない。むしろ、仏教と神道をベースにした日本の輪廻転生思想が21世紀を生きる知恵を提供してくれる、と説いています。
そこで言ってらっしゃることを下敷きにしながら、ヨハネの説くイエス様に私の率直な気持ちを言いましょう。イエス様は永遠の命を説いていらっしゃいますけど、その一方でこの世はなくなっちゃうわけです。どうせなくなっちゃうわけですから、どれだけ放射能にまみれたっていいんですよ。放射能だのなんだのに汚染に汚染されたところで神の国が来て、この世はポイ。キリスト教の考えには、どこかにそういうのがあるんじゃないかしら。
でも私にとって、永遠の命っていうのは、7-80年ごとにリセットされながらこの世を生きること。死んだら最後の審判(私は個別に随時あると思ってます)を受け、その結果で次のステージに進める。最悪の場合はそれっきり。たいていの人は「じゃまた次がんばってね。真理子ちゃんはちょっとエロすぎるから、次のステージでは不感症になってもらうからね。まじめな修道女として処女のまま一生を生きてもらおうかな」みたいに、今回の生き方を総括されて、次の生き方をスタートする。
そして、次のステージは、やっぱりこの世界のどこかなんですよ。
だからこそ私たちは、この世をポイしちゃだめなんです。原発続けたら、次に生まれ変わる私たちが、放射性廃棄物の処理に苦しむんです。
たぶん、イエス様が説いた永遠の命って、こういうものだったんじゃないかしら。2000年前のヨハネがトンデモさんだったんで、今みたいなヘンな福音書になっちゃいましたけどね。
[814]ダニエル7-12章、シラ20章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/07/29(金) 12:54:58
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●ダニエル7-12章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=dan&chapter=7&mode=0
ダニエル書は前半と後半でまるきりテイストが異なります。前半はおとぎ話のような楽しい(むごたらしい処刑シーンも突っ込みどころ満載だし結局助かりますからね)話だったのですが、後半はヨハネ黙示録のようなおどろおどろしい感じです。ヨハネ黙示録というのはあれだけが特異なのではなく、ああいう文学(黙示文学)の系譜が昔からあったんですね。
もっともヨハネ黙示録は、トンデモさんたちがヘンな解釈をいろいろしてますけど、当時のローマの皇帝を批判してるなんてみんなバレバレで書いてるんです。例の666だって、皇帝ネロのことだなんてみんな知ってる。だからある写本では、皇帝ネロをヘブライ語で書いたらホントはこうなるはずだ、666は間違いだって、わざわざ計算し直したものまであるほどです。
ダニエル書後半も、7章こそびっくりしますが、8章以後では著者はわざわざ自分で謎ときをやっちゃってますので、これはこれでとてもわかりやすくなっています。シャガールの絵のような世界を思い描きながら読むことです。
なお、ダニエル書本編は12章で終わりますが、こういう終わり方が不満だった人がいるのか、13章として「スザンナ」、14章として「ベルと竜」、さらに3章で炉に投げ込まれた3人が思い切り大見得をきって唱える祈りが追加されたバージョンがありまして、バルバロとかフラ訳とか、カトリックの聖書では、最初からそれがダニエル書に入っています。新共同訳では「旧約聖書続編」として別のページになっています。当通読では10月中旬くらいにまわってきますのでお楽しみに。
●シラ20章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=20&mode=0
冒頭、1節の「叱責が的外れに終わり、黙っているほうが賢かったということもある」と、2節の「心の中でいらいらするより、はっきりとがめたほうがいいこともある」は、まったく逆ですね。だいたいことわざっていうのは、逆のものが必ず用意されているものです。