真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[617]2コリ6-8章、2マカ6章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/04/24(日) 12:35:55
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 復活祭おめでとうございます。移動祝日ですので日本ではちっともなじみがないですが、キリスト教国ではクリスマスとならぶ一大イベント。教会暦はこの復活祭を基準にして組み立てられていますからね。一年のはじまりみたいなものです。そう、お正月ですからね。うっかりこの時期にキリスト教国を旅行などしようものならどこもお店が営業していなかったなんていうのが普通です。


●2コリ6-8章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=6&mode=0
 今回の範囲はややこしいです。
 2章14節以降7章4節までがA。
 どんなに苦しくてもがんばろう。イエス様だって命がけだったんだから、ぼくたちも命がけで宣教しようという話でしたよね。
 今回はその続きで、神様のめぐみをいたずらに受けることなく、苦しいときもみんなのためにがんばろうという話です。
 ところが二コリ6:14-18、ひょっとしたらその次の二コリ7:1までは、突然に不信仰なやつらとは付き合うなとか、偶像とかベリアル(悪魔信仰みたいなものらしいです)とかを寄せつけるなとか、まるで一昔前の創価学会のようなことを言ってますね。ここはひょっとしたらFなのかもしれないという話もあります。とりあえず墨を塗っておいてください(笑)。そうすると、二コリ6:13の「心を開いてくれ」というのと、二コリ7:2の「心を開いてくれ」というのが、すんなりつながるでしょ?
 まあそんなわけで、コリントの人たちに、つらいことがあっても心を開いて私たちと一緒にがんばろうと訴えてAはおしまいです。

 7章5節以降は、2コリ冒頭1章から2章13節までと続けて読んでC。Cは7章でおしまいです。
 パウロさんたちはたいへんな迫害を受ける中でマケドニヤへの旅行を企画していたんでしたよね。
 マケドニヤというのはギリシアの北部。コリントの属するアカイヤ州の北隣になります。
 で、マケドニヤに着いたら、テトスがやってきて助かったとか、テトスがあなたがたの気持ちを伝えてくれたので慰められたなんてことを言っております。
 二コリ7:8の「手紙」というのはBです。10章以後ですのでまだ読んでません。

 8章はD。Dは8章だけです。マケドニヤの諸教会の募金活動を高く評価し、コリントでもやってくれと言っております。

●2マカ6章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=6&mode=0
 6-7章はギリシアの生活習慣のおしつけに抵抗した人の話。6章はエレアザルという律法学者が、豚肉を食べようとせずに殺されたという話です。
 老人なんだから食べるふりをして生きながらえてもしょうがない。むしろそのことで若者たちに悪影響を与えることを恐れる。その気丈さは感動ものです。

[616]ルカ1-2章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/04/23(土) 10:13:00
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=1&mode=0
 今日から福音書はルカに入ります。
 マルコによって、イエス様の言行録をまとめるという福音書というジャンルが生まれたのですが、マルコはリアリストすぎてあんまり救いが感じられない、出生の伝説もなければ復活もハッキリ書かれておらず、しかもイエスの弟子を批判している、一種の危険文書だったので、より穏当な形で書かれたのがマタイとルカです。マタイのほうは主にユダヤ人を読者に想定しており、旧約聖書の引用がいっぱいあったり、冒頭から系図を長々と書いたりというところがありましたが、ルカは異邦人を読者に想定しています。
 なにしろ冒頭のテオピロ(テオフィロ)様というのがローマ人らしいですし(もっとも、テオ=神、フィロ=愛ですから、神野愛夫といったいかにも作り物めいたあざとい名前ですけどね)、ルカ自身がシリア人の医者ということになってます(コロ4:14)。たしか、イザヤ・ベンダサンこと山本七平さんが『日本人とユダヤ人』の中で、「フランス人マルクス主義者がロシア人を読者に想定して、マルクス主義に都合がいい材料だけを組み立てて書いた日本史の本」みたいな比喩をしていました。そういう本が日本人にはちっとも関係がないようなもので、ルカはユダヤ教を脱皮したキリスト教の立場から書かれた福音書と言えます。
 ユダヤ人のことをよく知らないクリスチャンには一番読みやすいうえ、続編として弟子たちの活躍を書いた「使徒行伝(使徒言行録・使徒のはたらき)」という文書もあるので、「新約聖書を読むならまずルカを読んで、次に使徒に行くべし」とよく教えられます。

 1章はけっこう長く、しかも内容がもりだくさん。他の福音書と違って洗礼者ヨハネの出生伝説も扱っているのが特徴です。洗礼者ヨハネの母エリザベツとイエスの母マリヤとは親戚だったことになってます。また受胎が6ヶ月前ということなので、ヨハネの誕生日は6月25日とされています。
 ルカ1:46-55のマリヤの賛歌は、ラテン語訳聖書の冒頭の語magnificatからとって、マニフィカトと呼ばれます。プロテスタントはマリヤを特別視せず、ただの女性ということにしていますけど、一応この詩は聖書に根拠がありますので、これを用いた宗教曲はプロテスタントでも歌われます。バッハも作曲してますね。日本聖書協会の交読文にも43番として入ってます。
 ついでにそのあとのルカ1:68-79のザカリヤの預言も交読文44番として入っています。こっちはマニフィカトほど有名じゃないですけど。
 2章でイエス様が誕生しますけど、ルカ2:49のこまっしゃくれた言いぐさは困ったもんですね。たぶんこの時点(12歳)でイエス様は、自分のお父さんが本当のお父さんじゃないということを知って、ぐれて家出をしかけたんじゃないかと思ってます。