真理子の聖書日記
真理子の聖書日記
このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。
掲示板運営方針(必読)
検索語[] ヒット数983
[495]エス・ギ2章
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/02/13(日) 13:05:22
ここから閲覧
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=esg&chapter=2&mode=0
新共同訳ではA章、つまり付加部分の続きです。前回の1章の話をしていなかったので、まとめてしちゃいます。
時代はペルシア帝国の王アハシュエロスの治世の第2年。
さて、このアハシュエロスっていったい誰なのかってことですね。
ペルシアの王様は、クロス(キロス)−カンビセス−ダリオス(ダレイオス)1世−クセルクセス1世−アルタクセルクセス1世……と続きます。
で、実はアハシュエロスって、クセルクセス1世(前486-465)のヘブライ語表記です。
ところが、ここからがややこしいんですが、ギリシア人たちはこれを、次のアルタクセルクセス1世のことと誤解しちゃうんですね。アで始まるせいかしら。
「エステル記・ギリシア語」は、簡単にいえば「ヘブライ語版エステル記」+「ギリシア人向け解説」という構成になっていますが、その解説で間違えちゃしょうがないですね。
新共同訳のエス・ギはその間違ったギリシア語表記に基づいて「アルタクセルクセス」と訳していますが、真理子のおまけのほうは、クセルクセスと書くのもはばかられるのでアハシュエロスとごまかしました。真理子のおまけの固有名詞表記は、できるかぎり口語訳聖書にあわせるという方針でもありますから。
もう前々代の初代王クロス(キロス)のときにユダヤ人はバビロン捕囚から解放されますが、60年も異国にいると、そこに生活手段ができてしまって、パレスチナに戻らず、バビロンなりスサなり、ペルシアの版図に残ることを選択したユダヤ人も多いんですね。
在日韓国人だって、日本に移住したのは植民地時代で、いまさら本国には戻れないんですから、「韓国に帰れ」なんて絶対に言っちゃダメですよ。
だんなは、私と結婚して今は本籍が現住所の横浜ですけど、もとは北海道。でも北海道には戻る家なんかないです。
そんなわけで「在ペルシア・ユダヤ人」となった人々の中に、ベニヤミン族に属するモルデカイ、エステルという兄妹がいまして、それがこの話の主人公。
付加部分A(当ばべるばいぶるでは第1・2章)にはまだエステルが出てきませんが、このモルデカイが不気味な夢を見た話が第1章、そして王の暗殺計画をチクってその功績が記録されたという話が第2章です。この話はその後の伏線になりますので覚えておきましょう。
[494]1コリ1-2章
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/02/13(日) 12:48:24
ここから閲覧
エス・ギ2章もありますけど、長くなるので別々に書きます。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=1&mode=0
コリント(コリントス)というのは
http://maps.google.com/?ll=37.9486,22.9666&z=13
アテネの西方にある都市。ギリシアって、足でボールを蹴ってるような形をしてますが、そのボールがペロポネソス半島。つながってるんですね。その継ぎ目にある交通の要衝で、商業的にも文化的にも重要な都市。建築のほうではローマのパンテオンみたいな、柱頭にいろいろ装飾がある柱のことをコリント式なんて言ったりします。
ちなみに、だんながコリントときいてすぐ連想するのはコリントゲーム。
http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/dg_kolin.htm
私はリアルタイムには知りませんけど、昭和40年代前半まではけっこう遊ばれていた、テーブル式パチンコですね。そういえばどっかのさびれた温泉宿の遊技場に置いてあったような。これはコリント式とは関係ないみたいです。小林脳行が輸入したんで小林→コリンなんだそうです。ほんとかしら。
で、パウロがコリントスの教会にあてて書いた手紙が二つあって、新共同訳だと「コリントの信徒への手紙一」「二」となってます。口語訳は「コリント人への第一の手紙」、文語訳は「コリント人への前の書」、明治訳は「コリント人(びと)に贈れる前書(さきのふみ)」、こんなふうに日本語では第一だの前だのが書名のあとのほうに来ますけど、英語ではThe First Epistle of Paul the Apostle to the Corinthiansみたいに、数字のほうが先に来ますので、1coなんて略したりします。それにならって、略号でいうときには日本語でも「1コリ」と言うのが普通ですので、以下そのようにします。
聖書に並べられたパウロの書簡の順序に深い意味があるのかどうかよくわかりませんが、ロマ書にならんで1コリは重要な書簡です。案外「重要度順」なのかしら? 13章は有名な愛の賛歌ですしね。カトリックがニッポン放送(メインは京都放送)で朝やってる心のともしびの冒頭のせりふ「心に愛がなければどんなに美しい言葉も相手の胸に響かない」っていうのは、ここからの自由な引用です。
そのくせ、例によって馬鹿パウロのことですから、無神経きわまりない女性蔑視発言も飛び出したりするので、油断のならない手紙ですけどね。
原始キリスト教団は早くもこの時代から分派がいろいろあったんですね。そんな中で、知恵だの何だのじゃなくて、「十字架につけられたイエス様」という原点に戻りなさいと訴えております。
ちなみに、一コリ2:2で「十字架につけられたキリスト以外は何も知るまい」とパウロが言ってるのは、裏の意図もあるんですよ。パウロって、生前のイエス様を知らないんです。だからイエス様の言行に接した弟子たちに対して弱いので、「そんなことはどーでもいい」と強く主張するわけですね。