真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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検索語[] ヒット数476

[212]知恵の書10章
投稿者=真理子
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掲示日=2012/02/17(金) 11:44:17
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=10&mode=0
 昨年度の記事は[0:703]
 ここからしばらくはイスラエルの歴史が続きますが、神と書くべきところを知恵と書いているのが特徴です。前回([191])書いたように、神様が本来持っていたさまざまな特徴のうち、男性のイメージとしてとらえられた神様のイメージからこぼれ落ちてしまった特徴を「知恵」という形で結実されているんだと思います。

[211]イザヤ書51-55章
投稿者=真理子
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掲示日=2012/02/17(金) 11:39:39
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=51&mode=0
 昨年度の記事は[0:504]
 やっぱりこの部分は、「苦難の僕」を書くしかないかしら。
 53章の苦難の僕は、別にイエス様のことととる必要はなく、一般的に他人の罪を背負って犠牲になる人の姿ととっていいと昨年書きました。もちろん、一般的に他人の罪を背負って犠牲になる人だってことは、その代表であるイエス様ととってもいいんですけどね。
 じゃもともとは誰のことを想定していたんだろうと思うんですけど、その次の54章を読むと、イスラエルの民が栄えることが書かれているので、イスラエルの民全体がそうだと言ってるんじゃないでしょうか。神に選ばれたはずのイスラエルの民がなんでバビロン捕囚のような苦しみにあうのか、それは全人類の代表として、人々の罪を背負って苦しめられているのだ、と言っているようです。