[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

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[196] ヴォーカル・アンサンブル カペラ 投稿者=真理子 掲示日=2010/01/11(月) 19:48:47 ここから閲覧

今日、カトリック目黒教会(聖アンセルモ教会 http://www.catholicmeguro.org/ )でヴォーカル・アンサンブル カペラ http://www.cappellajp.com/ のコンサートがあったので行ってきました。ルネサンスのミサ曲を実際のミサ形式で演奏するアカペラの合唱団。昨日の日曜日は用事があってどこの教会にも遊びにいけなかったのでちょうどよかったです。ずーっとラテン語のミサっていうのはたまにはいいですね。命の洗濯になりましたわ。声がきれい。天国から降りてくる声だった。
サイトにはまだ書いてないみたいですけど、次の公演は4/7(水)東京オペラシティ近江楽堂でジョスカンのミサ「ラソファレミ」のレクチャーコンサート、それから7/19(月祝)カトリック目黒教会サルヴェの祈り(ポスト・ジョスカン世代フランドルの作曲家たちによるマリア・モテット)です。ぜひお聞きにいくことをおすすめいたしますわ。

今日はとても寒かったんで教会はなおさら寒いだろうと思ってちょっと厚着して行ったら、座席の暖房がきつくて暖かかったです。こんなことならいつもみたいにミニスカナマ足で行けばよかったわ。私、女と生まれたからにはスカートよ、スカートはくならナマ足ナマパンじゃないと美的じゃないっていう熱烈なミニスカ党なものですから。だんなは「年を考えろ」っていうんですけど、余計なお世話だわ。

[195] 投稿者=真理子 掲示日=2010/01/09(土) 07:35:25 ここから閲覧

ふと思い立って、自画像を書いてみました。mixiのプロフィールのところ、こんなのどーでもいいと思って、今までは何も写真をあげていなかったんですが、ちょっとさびしいかなと思って顔をあげてみました。本当にmixiのプロフィールなんかどうでもいいと思って一番最初に適当に入力しちゃったんで、気がついたら誕生日入力ミスしてましたわ。9月26日なのになんか5月26日になってました。プルダウンのコンポボックスの操作をミスってたようです。
写真と違って絵なら、化粧も整形もしなくても、実物より美化することなんか思いのままですからね。あはは。鏡も写真も見ずにフリーで描きましたけど、人間、そんなふうに描いた人物画は、どことなく本人の風貌に似てくるものですので、面影はあると思います。Windowsのペイントみたいなソフトで絵を描くの苦手なんで、紙に鉛筆で描いてスキャンして、細かいとこだけ画像ソフトで修正。
で、実はこれはmixi用というより、今せっせと入力しているばべるの引照データ中に、自分の意見を書いてみようと思って作ったんです。引照データの打ち込みはあまりに味気なくてしんどいんで、せっかくだから、私の勝手な意見もちりばめていこうかしら。そういうところには、というアイコンを「ここは真理子の意見よ」っていう印としてつけよう、そのアイコンを作るためにこの絵を描いたのです。
内部的には、__face__(faceの前後に_を2字ずつつける)という文字列になっていて、これをこういう顔文字に変換するようにしていますんで、検索で聖書を「引照(日T)」とし、同時表示聖書を適当に選んでいただいて__face__を検索していただけると、私の感想を書いた部分がずらっと出てきます。
※なお、この掲示板CGIでは、タグを書いても全部削除するようにしてありますので、普通の人はタグを書いてもムダです。画像は入りません。あくまで私だけの特権で特別に画像を入れました。

[194] 暗いお正月 投稿者=真理子 掲示日=2010/01/05(火) 16:22:35 ここから閲覧

今年のお正月はなんか暗い。
ばべるに載せてる通読表、364日で完結するもので、だから毎年1-2日ずつ開始がズレていくんですけど、今年はたまたまイザヤ12-17。ちょー暗いところから始まりましたねぇ。
FEBCの新年最初の放送は岩島神父の難しい講義で頭痛かったし、新年最初の日曜礼拝は秋田楢山教会の川島隆一牧師で、FEBCの日曜礼拝の牧師の中でも一番ムズい話をする人でこれも頭痛かったです。偶然にも[191]で書いた、アブラハムがイサクをささげようとする話に関するものだった点は興味深かったですけど。
今日はmixiのとある不寛容な牧師のやってるコミュから追いたてをくらっちゃった。
新年はいろいろお客様が来て料理を作るのに忙しく、[193]で書いた引照データ入力は全然できなかった。
あんまりいいことないわ、新年になって。

[193] 年頭の抱負 投稿者=真理子 掲示日=2010/01/02(土) 02:58:07 ここから閲覧

一年の初めなので、今年一年かけてやりたいことを書いておきます。

1.引照データ入力
 ばべるで引照データの入力を始めています。紙媒体の聖書で引照を活用している人はほとんどいないと思いますが、引照っていわばリンクですから、ちょうどネットサーフィンするように聖書をサーフィンできてとっても面白いです。通読表のスケジュールを追いかけてなんとか一年間で入力を終えたいと思います。

2.聖書データ
 とりあえず現在追加中なのは、ブリッジマン漢訳とモリソン漢訳。あとは会員専用のものがいろいろありますけどここに書くのはさしさわりがありますので割愛します。
 あと、会員以外の一般モードのデフォルトは口語訳聖書なんですけど、これには続編がついてません。聖公会の文語を口語訳したりしながら、真理子独自の続編データを付け加えたいです。デフォルトの聖書はばべるがサポートしているものを全部サポートしたいですから。

3.日曜学校
 どのコンテンツも全然できてないんですけど、言語の入門は完成させたいです。

[192] フラ訳レビ記 投稿者=真理子 掲示日=2010/01/01(金) 03:30:27 ここから閲覧

あけましておめでとうございます。
本年もばべるばいぶる/真理子日曜学校をよろしくお願いします。

さて、年が明けまして、1959年に死亡した人の著作、および集団名義で著された1959年発表の著作の著作権保護期間が満了、フリーになりました(以下「著作権が切れた」と書きます)。
はべる関係でいいますと、フランシスコ会聖書のレビ記が1959年ですので、これの著作権が切れたわけです。そこでレビ記の註つきテキストと解説部を一般利用のほうに移動しました。
また、ばべるのフラ訳(一般利用)のほうにもレビ記のテキストを追加しました。ここはルビつきです。すでに公開している創世記はルビなしですが、近日中にルビをつけたいと思います。

wikipediaには年ごとに生まれた人死んだ人をまとめたページがありますが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:1959%E5%B9%B4%E6%B2%A1
を見ますと、今日1月1日で著作権が切れた人は、永井荷風、阿部次郎、高浜虚子などですね。

[191] ハンナの確信 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/29(火) 03:45:44 ここから閲覧

FEBCの12/27の礼拝の説教、富山県の石動(いするぎ)教会の井幡先生のお話、ひさびさに面白い説教だったわ(意外に日曜礼拝の説教で感心したもの少ない)。サム上1:1-20なんていうちょっとマイナーなところからで、サムエルの母ハンナが子どもが生まれず一生懸命祈った話。ハンナが18節でなぜ表情がかわったか、よく読んでみると、子どもが授かったからじゃないですよね。この時点じゃそんなことわからないんだから。子どもの一生を主にささげるとまでお祈りし、神様への信頼という自分の方向性への確信を得たからっていうの、なるほどね。
関連して思うのは、創世記22章で、やっとの思いで生まれたアブラハムの子イサクを神様が「ささげなさい」とからかう(としか私には思えなかった)話、神様も大バカ野郎だし、それに従うアブラハムも大バカ。よくこんな話が美談になるわね(映画「天地創造」みたいに)って思ってたけど、この観点から考えると納得できるかもしれないわ。悩みに悩み、祈りに祈って、神様への全幅の信頼ができたからこそ、絶対に悪いようにはならないってアブラハムは確信したのね。

この日の「北信越の牧師たち」に出てきた横井先生の話にも、神様が試練を与えるのは強くしてくださろうとする愛からだって話が出てきたし、長年「神様の大バカ野郎」と疑問に思ってきたことが解決できそうになってきたわ(でもまだ創世記22章には納得してない)

[190] 難しい聖句への答え 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/27(日) 12:04:21 ここから閲覧

備忘録として書いておきますが、
http://www.hoshuha.com/Japanese/bible/index.shtml
ファンダちゃんたちが聖書の矛盾にどう強弁するかのマニュアルみたいです。

[189] 新共同訳朗読 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/27(日) 11:58:05 ここから閲覧

ブログに音声データをあげてるといえば、
http://galileejpbible.seesaa.net/?1261112214
に、新共同訳の朗読をあげ始めている人がいます。その趣旨は
http://homepage2.nifty.com/mikamiwositaite/
にありますが、お亡くなりになった友人の方が死の直前に新共同訳聖書全部を朗読したというテープを、埋もれさせるのがもったいないので章ごとに切り分けてあげてるというものです。
素人とは思えない美しい声、はっきりした発声、とてもすばらしい朗読なんですけど、いかんせんこれをブログにあげるっていうの、なんとかしてほしいわ。いまマタイとガラテヤあげてるだけですけど、ダウンロードしようとするといちいち「規約に同意して…」などというダイヤログが出るし、ファイル名は無味乾燥な16進数なんでいちいち入力しないといけないし、章は順不同だし、30個程度のファイルをダウンロードするだけでほとほと疲れます。この調子で1000個以上あげられたらたまらない。
mixiの某コミュでこれを見つけて「ホームページ作ることおすすめします」と提案したんだけどなしのつぶて、ブログのほうでもアップロードミスがいくつかあって、それを指摘するコメントを書いたら(連絡先教えてるのに)何も返事せずに訂正して私のコメントはばっさり削除。ちょっとひどいなって思いますけどね。
今のうちならまだダウンロードする気にもなるでしょうから、聞きたい方は今のうちから順次、アップされ次第ダウンロードなさることをおすすめしますわ。

[188] 関口先生の1957年度ラジオドイツ語講座 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/27(日) 11:44:09 ここから閲覧

関口存男先生の1957年度NHKドイツ語初級講座(もちラジオです)の音声をドイツ哲学者の牧野紀之先生がブログにあげ続けていましたが、このほど全部完結しました。
http://www.voiceblog.jp/kero1228/ (4-6月)
http://www.voiceblog.jp/2kero1228/ (7-9月)
http://www.voiceblog.jp/3kero1228/ (10-12月)
http://www.voiceblog.jp/4kero1228/ (1-3月)
牧野先生は1956年度の音声も持ってて、こっちのほうは売り物としてご自身の経営する鶏鳴出版から45000円!で売ってますけど、こちらは無料です。1956年の講座は内容がものすごくハードだったので57年のものはレベルを相当に落としたということですけど、どうしてどうして、57年のもすごいです(56年のほうは45000円も払う気がしないので買ってませんけど)。牧野先生の気が変わって有料にならないうちに、全部ダウンロードなさることをおすすめします。

[187] 神様の管 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/27(日) 11:35:16 ここから閲覧

ここのところFEBCを聞いてなくて数日前のものから聞いてますが、12/25金曜日の「MeguのCCM insight!」で、「神様の管(くだ)」という言葉が出てきたのが気に入りました。いい曲を作ろうと思わなくていいから、ただ、神様の言葉を運ぶ管であればいい、そのための管の掃除をしっかりする、ということ。ああ、これって私のサイトの役割にちゃっかり使っちゃおうかしら。

[186] サン・サーンスのクリスマスオラトリオ 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/27(日) 11:31:53 ここから閲覧

今日の「音楽の泉」(NHKラジオ第一放送日曜朝8:05-55)ではサン・サーンスのクリスマスオラトリオなんていうちょっとマイナーな曲がかかってました。途中から聞いたので最初は曲がわからず、「モーツァルトかしら。でももっと近代的よね。えっ、メンデルスゾーン?」とか思い巡らしながら聞いたらサン・サーンス。そういう謎解きの面があったからかもしれないけど、けっこう楽しめました。最初からサン・サーンスと知ってたら聞かなかったかもしれないし。

[185] クリスマス 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/25(金) 02:32:45 ここから閲覧

クリスマスといってもクリスチャンではない真理子は教会にも行かず、自宅で過ごしました。一応ローストチキンを作って、シャンパンを空けて、FEBCでクリスマス礼拝番組を聴いていたら熟睡してしまいました。

[184] こんてむつすむん地 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/21(月) 23:58:02 ここから閲覧

伝トマス・ア・ケンピス作の名エッセー『キリストにならいて』をきりしたん時代に訳した『こんてむつすむん地』、ローマ字版とかな版とがありますが、かな版のほうを修道会ページにアップしました。

[183] Holy Bible Ja 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/19(土) 18:42:55 ここから閲覧

http://holybibleja.org/
文語訳や口語訳のスキャン画像、口語訳のMP3データを配布しています。
こんなサイトがあったんですね。

[182] Re:ケセン語聖書 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/17(木) 01:47:23 ここから閲覧

ただね、ケセン語への翻訳の仕方は賛否両論かもしれない。ばりばりの動的等価法というか超訳というか、たとえばヨハネの冒頭は「初めに在ったのァ/神様の思いだった」というのですから、その超訳ぶりがお分かりでしょう。気持ちはわかりますけどね、これは田川建三先生だったら言葉を尽くして非難をあびせる(それとも徹底無視かしら?)でしょうね。
巻末には、「ドイツ聖書協会から翻訳許可を得た」とか「日本聖書協会から著作権の許可を得た」とか書いてますけど、こんな訳なら原典からの訳とは言いがたく、そんな許可の必要ないんじゃないか(法律的にはたとえ忠実な訳だとしても許諾をとる必要はないですけどね)って思うほどです。
その一方で、本の半分以上は解説で(こういうところもカトリック的ね)、しかもギリシア語に関する註も多く、ホントにギリシア語勉強して訳したみたいですね。内容的にもとても面白く読み応えがある解説です。

[181] ケセン語聖書 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/17(木) 01:29:49 ここから閲覧

岩手県大船渡市のお医者さん、山浦玄嗣(やまうら・はるつぐ)さんが岩手県気仙地方の方言で福音書を訳した「ケセン語聖書」、前々から気になっていたのですが、ちょっと入手してみました。書ごとの分冊で各5600円(ルカだけ5800円)、それぞれB5版の書籍にCD3枚(ルカは4枚)がついてて、山浦さんの全文朗読がおさめられています。
これって書籍が主体でCDが附録なのでしょうが、真理子は逆に、これはCDが本体で書籍がつけたしって気がします。そのくらいこのCDはすごいです。
山浦さんの朗読がすばらしい。声もきれいだし朗読技術もアナウンサーなみ。ケセン語知らない人もぐいぐい引き込まれる。だいたいわかりますしね。
書籍のほうはローマ字表記とかな漢字表記の併用なんだけど、どっちにしろとても読みにくいし、もうこのすごい朗読を聴いてしまったあとでは空しい抜け殻って感じ。
やっぱり言語は音声なのよ。文字は抜け殻でしかないわ。これ聴いちゃうとホントにそう感じます。

4冊も買う気がしないけど1冊なら買えるって人は、マルコだけ買うといいです。マタイの発刊記念でケセン語でミサをやったらしく、そのときに山浦さんが作詞作曲したケセン語聖歌もおさめられていますから。

[180] モリソン漢訳 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/17(木) 00:55:14 ここから閲覧

ばべるにモリソン漢訳のマタイ、ルカ、ヨハネ、ルツをアップしました。これで一応「福音書+ルツ」という形になりました。
ただ、モリソンはとりあえずこのくらいで一休みして、ブリッジマンの漢訳(訓点つき)のほうを優先したいです。もうすでに聖書図書館で新約は全部コピーしてもらいましたし、旧約は国会図書館で少しずつコピー中です(国会図書館にも新約は蔵書されてないんです)。

[179] 涙声はやめて 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/14(月) 13:05:34 ここから閲覧

今日12/14のFEBC「恵子の郵便ポスト」、体に障害を持って生まれた男性が「どうして僕はこのように生まれてきたのか」ってきいてきた手紙。吉崎恵子さん、答えだけでなく手紙を読んでいるときから涙声で読んでるの、ドン引きしたわ。ちょっとやめてほしい。こういうのは、サラっと読むほうが心にしみいってくるのよ。

で、「たぶんここをひいてくるかもね」と思ったヨハ9章、うまれつき目の見えない女性は、誰が罪を犯したのかっていうエピソードを、案の定ひいてきたわね。予感的中よ。私も聖句引用のセンスが出てきたかしら。
でもね、これ、イエス様が「誰の罪でもなく、この人に神の業があらわれるためだ」と答える、ここまではいいんだけど、その後に泥にツバをブレンドした塗り薬作って目を治しちゃうわけでしょ。すると「神の業があらわれるため」っていうのは「奇跡をあらわすためには、もともと体が悪くなけりゃいけない」っていうことに矮小化されちゃわないかしら。
現実にはこういう奇跡なんてなかなか起きないし、この男性もたぶん体はよくならないと思うんですけど、じゃ神の業が現れなかったのかっていうと、そうじゃない。そういう障害をもっているからこそこうやってキリスト教にも接することができたわけでしょ。健常者だったら一生信仰心をもてなかったかもしれないわ。神の業って奇跡じゃなくて、むしろそういうことじゃないかしら。
健康な人は病人の苦しみを理解できないから逆に精神は不健康っていう逆説もあるくらいで、障害があればこそ健常者には経験できないことを経験したんじゃないかしら。それがさしあたりの真理子の答えよ。
でも、こういう答えって、私みたいな毒舌家が言ったんじゃ、逆に反感もたれちゃうでしょうけどね。

[178] 信仰獲得は言語形成みたいなもの 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/14(月) 03:28:17 ここから閲覧

ちょっと遅れたけど、FEBCの12/11(金)の「恵子の郵便ポスト」、サイトのほうには「自分が良いと思っても、伝えるのは難しく…」とありますけど、そんなことより私が興味をもったのは、手紙の主の女性、洗礼も受けてないし家もクリスチャンホームじゃないのに、幼稚園、中学、高校がキリスト教の学校だったために、一時的に教会から離れることがあってもやっぱりキリスト教にひかれてしまう。で、結果的に子どもをキリスト教の学校に入れてしまうってこと。
この人は、洗礼を受けてなくても、並のクリスチャンよりよっぽど強い信仰を持ってるといえるかもしれない。
そういう私も、仏教の家に育って、子どものころからお経あげてたから、いざ、窮地に陥って「助けて」とすがる相手、そして窮地を脱して感謝のお祈りをする相手は、キリスト教の神様じゃなく、仏様。
そういう窮地ですがるものこそが本当の信仰よね。
大人になってから理屈で覚えた信仰って、いざとなると弱い。
やっぱり子どものころに何度も何度もお祈りして、体で覚えた信仰って強いわよね。
ちょうど、言語形成期の子どものころにはすいすい言葉を覚えるのに、大人になるとなかなか覚えられないのに似てる。
信仰の獲得って、言語形成みたいなもんかしら。

[177] 続篇通読表 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/09(水) 10:39:25 ここから閲覧

でも考えてみたら、できあいの通読表で続篇サポートしてるものはほとんどないし、できあいのものを使わなきゃならない理由は何もないんで、来週から新年度がスタートするのをいい機会に、とりあえずでっちあげてしまいました。
続篇の章数は合計181章で、2をかけると362。つまり2日に1ぺん続篇を読むとすれば、最後の1回だけお休みにすればちょうど1年のプランになるわけです。ですから機械的に2日に1章ずつ割り当てちゃいました。
エステル記とエス・ギみたいに本編と関連のあるものもあったりしますけど、そんなの一切関係なく割り当てちゃいました。
これで1年やってみて、ムリなところとかヘンにだぶるところとかを調整していきたいと思います。

[176] 通読表 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/09(水) 09:43:57 ここから閲覧

最近ばべるにつけた通読スケジュール表示機能、
http://www.bible-reading.com/bible-plan.html
のサイトのものを流用してるんですが、このサイトのスケジュールの年間初日は来週月曜日12/14スタートです。ヘンなときにスタートする感じですけど、1996年1月1日をスタートとして、364日周期で来る(7で割り切れるので、必ず同じ曜日=月曜日=からスタートとなります)ので、毎年1~2日ずつズレてきた結果、こんどの新年度は12/14からスタートすることに相成っているわけです。これを機にぜひ聖書通読にチャレンジしてみてください。1年間で66書全部読めるプランです。

続篇はサポートしてないんですけど、聖公会の聖務日課見たら続篇も入ってるんで、続篇だけでも聖公会のを借りちゃおうかしら。

[175] Re:趣味のドイツ語 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/04(金) 01:51:39 ここから閲覧

11/23に予告したこの本、アップしました

[174] デーケン先生 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/04(金) 01:38:31 ここから閲覧

下で紹介したデーケン先生に関するサイト、もっといいものがありましたわ。
http://members3.jcom.home.ne.jp/deeken-class/index.html
まだお元気でこんな講座やってらっしゃったのね。

[173] キリスト教と笑い 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/04(金) 01:26:39 ここから閲覧

FEBC 12/3の「バスターかずのいてくれてありがとう」面白かったわ。笑いの大切さというお話。

福音書の中のイエスは一度も笑わなかったわけですけど、でも「キリスト教と笑い」というのは一つのテーマになってるようね。真理子が子どものころにきいた上智大のデーケン先生
http://www.sophia.ac.jp/J/press.nsf/Content/337_07 この人ね
のお話でも、一般的に中世は暗い時代ってことになってるけど実は笑いにあふれていたっていうのが印象的でした。
「キリスト教と笑い」といえば、そのものずばりの本がありますね。宮田光雄『キリスト教と笑い』(岩波新書)。えっ、これ品切重版未定なの? 困ったわね。修道会で何とかしようかしら。
あとはリチャード・コート『笑いの神学』(聖母の騎士社)とかね。
このテーマ面白そうだわ。追求しようかしら。

[172] 信じられない、祈れない 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/04(金) 01:12:56 ここから閲覧

FEBC 12/3の「恵子の郵便ポスト」。神様が信じられない、祈れないという男性の手紙。吉崎恵子さんの応対でいいと思うんですけど、真理子はさらに進んで、「信じられないんなら信じようとしなければいい」「祈れないなら祈らなければいい」とまで言っちゃいますわ。本当に祈りたくなったときに祈ればいいのよ。そして、そういうときに祈る相手こそが、その人がホントに信じている神様よ。
真理子にとって「神様を信じる」っていうのは、「真理子の立場と意見」に書いたように、頭の中のソロバンをはじくソロバンの名人みたいなものです。このたとえ、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』に出てきたたとえだったかしら。面白いんで拝借しちゃいますわ。
頭の中のソロバンをはじく人にとってソロバンは実在しているのであり、実在しているから「ソロバンの存在を信じる」なんて告白する必要すらないわけです。その人にとっては、頭の中のソロバンは生活の一部なのよね。
だから、「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず」「我はその独り子、我等の主イエス・キリストを信ず」なんて言ってるうちは、本当に信じているのかどうかなんてわかったもんじゃない。真理子にいわせれば、窮地に立ったとき、たとえばお財布落としちゃったときとか、恐いおじさんに刃物をつきつけられたときとか、痴漢されてるときとかに、誰にどういうお祈りをするか、それでその人の信仰が分かると思うんですけどね。
この意味で真理子は「ご利益宗教」とか「おまじない宗教」ってバカにしないわよ。困ったときに助けを乞うののどこが悪いの? 逆に、こういうときにこそその人のホンネの信仰がいやおうなくあらわれてくるって思うわ。

[171] フランシスコ会訳テキスト化 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/03(木) 14:17:52 ここから閲覧

ばべるにあげてあるフランシスコ会訳創世記、いままで画像であげていましたが、一応テキスト化が完了しました(ルビは未入力)。まちがいがあるかもしれませんが、ルビの入力にあわせて点検していこうと思います。
来年にはレビ記の著作権が切れます。来年といってももう来月ですね。今からOCRにかけて、年明けにはあげたいですね。

[170] サーバーメンテナンス予定 投稿者=まんどぅーか 掲示日=2009/12/02(水) 20:26:03 ここから閲覧

真理子のだんなです。
当ばべるばすぶるが使用しているレンタルサーバーのメンテナンスが下記日時にあります。

2009/12/5(土) 3:00a.m.-6:00a.m.

つまり今週金曜日深夜です。当サイトの表示も断続的に不可能になりますのでご注意を。
なお、修道会ページは別サーバーですので大丈夫です。

[169] 一神教が好戦的? 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/29(日) 18:01:01 ここから閲覧

ついでながら下の小林先生の説教の中で「一神教が好戦的」説を否定するのに、ICUの並木浩一先生の言葉として「多神教のほうが非寛容」と言ったのなんのということをあげてます。その発言のソースがわからないんで論評できないんですけど、ともあれこれに関する真理子の考え。

まず私は、キリスト教は一神教だとは思いません。実は多神教だと思います。下で書いたように神とキリストの二神教。聖霊を入れたら三神教。さまざまな守護聖人を入れたら多神教ですよ。植田重雄先生の(だんなの名字と同じね。でも無関係よ)『守護聖者―人になれなかった神々』(中公新書)ごらんなさい。あらこれ絶版なの? じゃそのうち修道会で…… まあ何でもいいわ。原書房の『図説キリスト教聖人文化事典』でも。ともかくこういうの見ると、ヨーロッパのキリスト教って、日本の「受験のときには天神様、安産祈願は水天宮」なんていうのと全然変わらないって思います。
だからそもそも「キリスト教=一神教」ととらえてそれが好戦的かどうかという問題のたてかた自体がそもそもナンセンス。
で、どんな社会でも戦争がある限り「戦勝祈願」「武運祈願」って絶対必要だから、どんな宗教にも好戦的な面があるはず。それだけの話。
「一神教だから好戦的」がナンセンスなら「多神教が非寛容」と並木先生が言ったというのも(ホントなの)ナンセンス。

で、下で私が「やっぱり一神教って恐いわよね」って書いたのはジョークなんですけど、伝統的なカトリックや東方正教会のそういう多神教的なあり方を否定して「聖書のみ」をうたい、一神教的なあり方を強調する教派ほど、ファナティック、好戦的な気がして真理子は恐いと思います。プロテスタントでもルター派とか聖公会みたいなところだといいんですけど、一部の、真理子にとってはほとんどカルトなんじゃないかという某教派とか某教派とか……。どうも真理子には恐くて耐えられないわ。

[168] ライト先生 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/29(日) 03:58:32 ここから閲覧

私はどうも牧師先生と相性が悪いのか、FEBCの番組でもプロテスタント系牧師先生の説教はあんまり感心しないことが多いです。カトリックの神父さんの話には面白いなと思うことが多いのに。

11/27の小林和夫先生の詩篇の講義「幸いを告げるうた 詩篇」、詩76の講義でした。「よく、一神教は好戦的で多神教は平和的というけれど、そんなことはない」といいながらこの詩を掲げ、「ヤーウェは戦いを鎮める神なのだ」とおっしゃっていました。11月の10日ぐらいに、民主党の小沢さんが、仏教会の会長に「キリスト教文明は排他的で独善的だ」と語ったことが話題になってたんで、そういうからみかしら。ただ、たしかに詩76は平和な神さまのようですけど、ほかのところではやっぱりこの神様は好戦的なところがあるし、やっぱり一神教は恐いわよね。
……って、「聖書はスキだけどキリスト教はキライ」と公言している真理子の感想でした。
ただ、キリスト教って実質的に神さまとイエスさまの2神教化してるし、カトリックや聖公会や正教会だといろいろな聖人への信仰もあって実質的に多神教化してるんで、そういうあり方は真理子は好きなんですけどね。

ところで小林先生の説教の中で、ライト先生が米大統領の顧問になってベトナム戦争を聖戦だと擁護したっていう話があって興味深かったです。ライト先生っていうのは、『概説聖書考古学』なんかを書いているアメリカの旧約学、聖書考古学の大先生。立派な先生だと思ってたけど、そういう面もあったのね。やっぱり聖書って、毒にも薬にもなるのね。使い方注意。

[167] 婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/26(木) 23:57:09 ここから閲覧

FEBCの11/25「恵子の郵便ポスト」。
ヨハネ2:4の
イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
とのお言葉にマリアが(2:5)
しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
というところに、マリアの素直な、イエス様を深く信頼しているお気持ちをとても強く感じました。

っていう読者の手紙の紹介。へぇぇぇ、こんなところに感動する人もいるのねぇ。真理子はここ、福音書の中でもトンデモなところだと思ってたのに。いくら何でも実の母にむかって「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです」はないでしょ? 「婦人よ」のγύναιは大人の女性への尊敬の情を込めた自然な呼びかけで、決して失礼ではないとか、「わたしとどんなかかわりがあるのです」は「私にお任せください」の意味だとかいう説もあるみたいですけど、そうやっていろんな人がごにょごにょ言うってことは、みんなここをヘンだと思ってるっていう何よりの証拠よね。真理子なんかこういうところを根拠に、イエスは私生児なので家族とウマがあわなかったって思うくらいなのに、こういうところに感動しちゃう人もいるんだ、世の中には。へぇぇぇ。

この手紙の最後で、だんなさんが洗礼を受けるとき「こんな(罪深い)私たちだから、イエス様は十字架に死ななきゃならなかったんだんだね」って言ったって書いてます。この言葉は名言ね。真理子、もらいます。