[真理子日曜学校 - 真理子の生活と意見(フレーム表示) ]
性同一性障害について
- 真理子の作り方
真理子は性同一性障害です。生まれたときは男で、ずっと男として生活してきましたが、実は子どものころから、自分は本当は女なんじゃないかと思い続けてきました。
そして2013年1月に性別適合手術を受けて女性の身体を獲得。その後は戸籍上も「真理子・女」になるために奮闘努力しました。
このような私の経験が、同じような悩みを抱えている人たちへのヒントになるんじゃないかと思うので、私の経験した「女の子への道」をまとめてみたのがこのコースです。
- 性同一性障害とは
体の性と心の性が一致せず、心の性にあわせて肉体を改造しようという意思をもった人のことです。
もって生まれた性をなんらかの意味で変えてみたい人たちのことを、ひろく「トランスジェンダー」と言います。このうちのごく一部、一定の条件を満たし、医師から診断を受けて認定された人だけを「性同一性障害」というのです。
「医師から診断を受けて認定された」ということが大きなポイントです。同性愛その他の性的少数者と異なり、性同一性障害は、医師から診断される「疾病」ということになっているので、倫理的風当たりがいくぶん弱まっているように思います。はっきり言えば、ヘンタイという烙印を押されずにすんでいるということです。
その一方で性同一性障害は、自称ができません。医者からそういう診断をもらわずに性同一性障害を自称することは、おカネがかかる局面では詐欺にすらなってしまうかもしれません。とはいえ真理子も長い間、性同一性障害を「自称」していたんですけどね。だって後述のように、性同一性障害の診断って、なかなか下してくれないんですもの。
ある意味、「医者が権力を持っている」わけです。このため、性同一性障害の「患者」の多くは、なんとか診断をもらおうと、医者の前で過剰な演技をすることがよくあります。さらには、やっと診断をもらうと、まだ診断をもらえていない他のトランスジェンダーを「君たちはヘンタイ女装。私は性同一性障害よ、えへん」と差別する、バカげた事態が起こっていたりもします。
- 性同一性障害の今後
その一方で、2013年に米国のDSMという精神障害診断基準が改正され、これまで精神疾患とされてきた性同一性障害は、「性別違和感(GD=Gender Disphoria)」という、個人の生き方の問題になりました。これを受けてWHOの基準ICDも2014年に変更予定。これを受けて日本の診断基準や国内法も、遠からず、「自己申告不要。何らかの動機でもって生まれた性を取り替えたい人は性を替えられる」ようになるかもしれません。私たちが経験した「診断獲得のための苦労」は、今だけの問題で、そのうち「昔は大変だったのよ」という昔語りになるのかもしれません。(ならないかもしれないので安易な期待は禁物だが)
同性愛もかつては精神疾患だとされた時代がありましたが、今ではいかなる意味でもそうでないと認められました。そういうプロセスを今まさに性同一性障害は経ようとしているのです。
その一方で、生き方の問題ということになると、今は「病気だから仕方ない」ということで社会的に認知されているものが、精神的堕落である、つまりヘンタイという烙印をおされてしまう可能性があるので、心してかからねばなりません。この意味では、同性愛者のたどってきた道は、けっして人ごとではなく、いろいろ学ばねばならんと思っています。
- 具体的な経験に即しつつ
このように性同一性障害の現状や今後の展望もまじえつつ、下世話な話、たとえば「オシッコはどうなった? エッチの感覚はどうなった?」みたいなこともまじえつつ、あくまで真理子という具体的な「元男、今女」の私の体験談を語ることにします。だってそんなこと、まじめな参考書には絶対に書いてない。そのくせみんなが知りたがることだろうから。
私の話しか書きませんから、FtM(元女、今男)、Xジェンダー(男でも女でもない性をめざしたい)、手術は望まない(けど性別の取り扱いを変更してもらいたい)、みたいな話まではカバーできていません。そういう方々の書いた他のサイトや本を読んでいただくか、私の話から適当に類推していただくか、ですね。