[真理子日曜学校 - 真理子の生活と意見(フレーム表示) ]
 

飲酒・喫煙


 
  1. 真理子のことから
     真理子の学生時代は「高校卒業したら誰はばかることもなく酒もタバコもやって当然」でしたから、うわばみと言われたほど酒飲みでしたし、タバコもたしなみました。でも今ではタバコはきっぱりやめましたし、お酒も真理子にとっては調味料でしかありません。
     タバコにお金かけるのもったいないですから。禁煙の場所も多くて肩身狭いですからね。
     お酒をやめたのは、ばべるばいぶるを作りはじめてから。ひまさえあればこの仕事をしているんで、酔っ払ってるヒマなんかありません。寸暇を惜しんでうちこめることを見つけるのがお酒をやめる一番の方法だと思います。
     だんなもタクシー運転手なんで飲むと仕事にさしさわりがあってほとんど飲みません。飲む日は1年に数日程度です。

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  3. クリスチャンは飲酒・喫煙していいか
     この手の議論をネットでさんざん読むんですけど、どうぞご自由に、です。聖書の時代にはタバコなんてなかったし、イエス様も酒飲んでました。キリスト教って原則として「これこれをしちゃいけない」っていうのが一切ないんですよ。酒飲んじゃいけないイスラム教と一番違う点です。

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  5. 超教派のつきあいでは
     ただ、教派によっては独自に厳しい規律を持っているところがあります。あなたがそういうところに属しているなら、それに従ってください。イヤなら他教派に移りましょう。
     超教派のつきあいでは苦い思い出があります。学生時代に入っていた聖書研究会が合宿やコンパで酒を出すかどうかでもめたんです。ノンクリから厳しい教派の人までさまざまな人がいて、なまじ聖書研究会なもんだから「聖書は飲酒を禁じていない」「エフェ5:18には『酒に酔うな』とある」など、聖書を引き合いに出して言い合うもんだからひっこみがつかない。分裂寸前まで行ってやっと「飲みたい人だけ別の場で飲む」というバカバカしい結論に落ち着きました。
     こういう経験からして、教派を超えたつきあいをするのでしたら、飲酒・喫煙はトラブルのもとになるのでやめておいたほうが無難かもしれません。

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  7. タバコをやめたきっかけ
     ずばりお金です。大学卒業→結婚→離婚というプロセスを経ているうち、世はすっかり不景気になってしまい、新卒でないバツイチ女を雇ってくれる会社なんてなかなかありません。手元に千円札すらなく、友達の家を渡り歩くいという日もありました。そんな身分ではすぱすぱタバコを吸うわけにもいきませんよね。
     そしてそのころ、なんとか見つけた会社が、喫煙女は採用しないというところで、「タバコなんて吸いません」とウソをついてもぐりこみました。実際、それ以来1本も吸ってないんで、結果的にはウソにはなりませんでしたけど。
     やめるときは大変でした。数時間たつと、街中の「たばこ」の看板がやたら目につくようになる。そのうち冷や汗は出るわ指先はふるえるわ、最初の一週間がたいへんでしたね。
     半年たつと、タバコを吸う夢をやたらに見るようになりました。「あ、そういえば私は禁煙していたんだ。ガーン。うっかり破っちゃった。じゃ吸っちゃえ」みたいな夢です。体内のニコチンが最後の抵抗を試みていたんでしょうね。それを過ぎれば吸いたくもなくなります。
     しかし、例の会社、男女関係なく喫煙者は採用しないっていうんならいいんですけど、女にだけ禁煙をおしつけて自分はスパスパという社長だったのには憤慨しましたね。男女の非対称には強く憤る私です。が、結果としてタバコをやめることができたのはよかったかしらね。そう思うことにします。とっくにつぶれちゃったけど、あの社長いまどこで何をしているかしら。
     禁煙をひろめるコツは、倫理の問題にしないこと。「周囲の人に受動喫煙させてしまう」みたいな話にしてしまうと、小谷野敦さんみたいに「禁煙ファシズム」と批判する人が出てきます。徹底して「喫煙はカッコ悪い。不潔」というイメージを広めることだと思います。教会で禁煙運動をしたいなら、参考にしてください。

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  9. お酒も飲まないに越したことはない
     渡部昇一さんが2010年末に出した『知的余生の方法』のp.33で、晩酌にかける時間を内発的興味にかけろと提唱しています。お酒と知的作業は両立しないというわけですね。たしかに私も、お酒を飲んでいた時期は、学生のくせにちっとも勉強しないか、そもそも勉強と関係ない仕事についていたかのどっちかでしたね。そういうときって、お酒を飲む以外にストレスの発散法がなかったり、お酒の好きな友達とつきあっていたりで、お酒を飲まずにはいられなかったですもの。
     WEBサイトを作るようになってから、お酒がぴたりとやみました。WEBサイトの仕事をしていると自然と疲れてしまい、お酒がなくてもすんなり眠れます。
     また、料理が好きになると、お酒の量が減ります。だってお酒以外においしいものはいくらでもあるし、お酒を飲んでしまうとそういう料理の味がわかんなくなっちゃいますから。
     ヨハ2:10の「普通の人はさきにいい酒を出して、あとからまずい酒を出すけど、あなたはいい酒をとっておいた」っていうの、笑っちゃいます。実際、お酒がおいしいのは最初の一杯だけ。お酒が多くなると料理の味はおろかお酒の味までわかんなくなっちゃう。お酒を飲むなら最初の一杯だけにとどめておくことです。
     イエス様が最後の晩餐で酒なんか飲んじゃったものだから、ミサでは赤ワインが欠かせなくなっちゃいました。カトリックや正教会のように、頭よりも五感全体の宗教的経験を大事にするようなところだと、ちょっと酔っ払っちゃたほうがいいのかもしれませんけど、できる限り理性で神様をとらえようとする教派(当ばべるばいぶるもそうです)では、ぶどうジュースで代用したほうがいいですね。

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  11. お酒のうえでの痛い失敗
     いやな経験なので今まであんまり人に言ってこなかったんですが、過去の罪を悔いて吹っ切るために、お酒の量が多かった学生時代の痛い失敗をあえて書きますね。
     とある合コンの席。♀より♂のほうが圧倒的に多かったんですけど、一次会、二次会と進むにつれ、カップルになっちゃった人たちがどんどん抜けていき、最後に残ったのは♂数名で♀は私だけ。
     そう、おブスな私は見事に売れ残っちゃったわけです。
     そんな席で私は正体がなくなるまで飲んでしまい、むしゃくしゃしていたこともあり、「売れ残りどうし、慰め合おっか」みたいなことを言っちゃったらしいんですね。そのうちの一人の男の家にみんなで行って、私は次から次へとエッチをするはめになってしまいました。要するにまわされたわけですね。
     ひょこひょことついていく私が悪い。自業自得なんですが、その中の誰一人も連絡先がわからず、それどころか名前すらわからず、泣き寝入りでした。何人としたのかすらわからない。そのうちの一人が近所に住む友達数人に電話をかけて「やれる女がいるから来い」みたいに呼びこんだらしいです。
     風俗嬢じゃあるまいし、今まで経験した男性の数を正確に答えられないっていうのはまったく情けないです。そのときの男性の数が5未満なら「十数人」、5以上なら「二十数人」になるんですけど。
     さらに悪いことに、交際中の彼氏がしばらくしてこの話を聞きつけ「こんなふしだらな女だとは思わなかった」と、あっさりふられてしまいました。
     父親のわからない子をはらんでしまうことがなかっただけまだ不幸中の幸いだったというところです。お酒には気をつけましょう。

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