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【総合案内コース】

古典語は現代語式に読みましょう


  1. アナタノ日本語ノ発音ハダメデスネ
     突然ですが、次の和歌(万葉集巻2(No.133)にある柿本人麻呂の歌です)を朗読してみてください。
    ささの葉は深山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば
    当然、こんなふうに読みましたよね?
    ささのはわ、みやまもさやに、さやげども、われわいもおもう、わかれきぬれば
    「来ぬれば」を「こぬれば」って読んじゃダメですよ。「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形、「な・に・ぬ・ぬる・ぬれ・ね」ね。連用形接続だから上の「来」は「き」です。念のため。
     さて、そう読んだところに、日本の古典を勉強している外国人学生がやってきて、次のように言ったとします。
    あなたの日本語の発音はダメですね。間違いだらけです。
    1. まず「ささ」。サ行は奈良時代には「ツァ・ツィ…」のような発音だったんですよ。だから「ツァツァ」です。
    2. 「葉は」。ハ行は室町時代までは「ファ・フィ…」でした。奈良時代には「パ・ピ…」だったという話もありますが定説じゃありません。それより何より、助詞の「は」を「ワ」って読んでるようじゃダメです。それは現代日本語の発音で、昔の発音じゃありませんね。「葉」と同じ発音です。「パパ」か「ファファ」と読んでください。
    3. 「さやげども」。上代の已然形は乙類ですから普通の「げ」と違います。どういう音価であったかは定説がありませんが、少なくとも普通の「げ」と読んでしまうと甲類乙類の区別がわからなくなりますので読み分けましょう。私は「ye」のように読んでます。ですから「ツァヤギェドモ」
    4. 「われは」は「ワレファ」ですね。
    5. 「おもふ」は「オモフ」です。「オモウ」なんて読んじゃいけませんよ。
    6. ですから「ツァツァノファファ、ミヤマモツァヤニ、ツァヤギェドモ、ワレファイモオモフ、ワカレキヌレバ」です。しっかり勉強してください。
    あなたはどう思います? 真理子だったら超ムカついてバシバシバシってひっぱたいてるかもしれませんわ。
     そりゃ、昔はそういう発音だったかもしれないけど、私たちは「ささのはわ…」と読むほうが意味がよくとれるし、そんなふうに習ってきたんだし、それを間違いなんていわれたらたまらない。あんたがたのほうがわかってない。そう思いますよね。
     でも、あなただって、実はこのおバカな外国人学生のようなことを、しているかもしれないんですよ。


  2. 古典式発音のおろかさ
     ラテン語を勉強するとき、日本のほとんどすべての入門書や教室では、「古典式」という発音の仕方を教えます。たとえば[*la:Caesar*}はカエサルというふうに。たしかに古代ローマではそういう発音をしていたのかもしれません。ところが現代ヨーロッパではラテン語は各国語の発音の流儀にあわせた読み方をしています。、英語ではシーザー、フランス語ではセザール、イタリア語ではチェザルというふうに。「ヨーロッパ人ってイイカゲンだな。古代の発音で読まないなんて」って思います? そう思ったとすればあなたも、上記のおバカな外国人学生とおんなじじゃありません? 「えっ、だって、昔はカエサルって読んでたんだろ?」「チェザルなんて読んだんじゃ、CesarとかCezarなんていうのと区別がつかないじゃないか」。そう反論します? ほら、あなたはますます上記のおバカな外国人学生になってきましたね。
     古典は単なる昔のものではありません。古典は現代まで読み継がれてきたかけがえのない遺産です。だから現代式に読むのです。たしかに昔どおりの発音じゃないかもしれません。多くの場合、現代式の発音は昔の発音の細かな区別をゆるめているものです。日本語でもそうでしょう。「か(顔)」も「かる(香る)」というやかましい区別が今ではなくなってしまい、どちらも「か」になってしまいました。だから昔どおりの発音をしたほうが、こういう仮名遣いの区別を覚えやすいかもしれません。でも、あえて現代語風の発音をしているのです。カフォたの、カウォルだのと読んだのではわかりにくく、なんだか自国の古典ではなくなってしまうような気になってしまいます。
     まして、そんな発音を外国人学生がしているとしたら? 「俺たちにはさ、古典の中の日本だけが大事なんだ。今の日本なんか全然くだらなくて興味ないんだよ。だから昔の日本で古典がどう発音されていたかにしか興味はないのさ。今の日本でそれと違う読み方をしてるとすれば、それはくだらない、間違った読み方さ」……こういう鼻持ちならない感情が見え見えじゃありませんか。だからぶん殴ってやりたくなるほど反感を持つのです。


  3. 犯人はエラスムス
     古典式と現代式との発音の差はラテン語だけでなく、ギリシア語にも存在します。Ἰησοῦς Χριστοῦςは、現代ギリシアではイエースース クリストゥースではなく、イイスス ハリストゥスのような読み方をします。ところがラテン語については各国語にひきよせた読み方をする西ヨーロッパ人も、ギリシア語になると「古典式」の読み方をしてしまうのですから困ったものです。
     そういう習慣を作った元凶は、ルネサンス期の人文主義者エラスムス(1467-1536)。彼はギリシア語聖書を校訂出版するなどギリシア古典文化の復興に力をいれたのですが、それだけに、彼にとっての古典ギリシアは、古典の中にのみ存在するものであり、現実のギリシアとは無縁だったのです。ヨーロッパのエジプト学、インド学、中国学などの古典学に往々に見られる困った風潮として、古典の世界だけに興味を示し、エジプトなりインドなり中国なりの現在の社会や文化にはまるきり無関心だということがあるのですが、その濫觴がエラスムスの態度に見られるわけです。
    いや、「まるきり無関心」ならまだましで、たいていの場合は差別意識すら持っています。昔の古典の世界を理想化すればするほど、現在の人々が汚らしく見えるのでしょうか。たとえばルターは旧約聖書をヘブライ語から翻訳できたほどヘブライ語に堪能なのに、ユダヤ人に対する猛烈な差別意識を持っていました。ルターに限らずこの時代の人文主義者たちはたいていそうです。現代式の発音で古典を読もうとしない発想の背後に、真理子はこのような差別意識のニオイをかぎとっています。
    そんなわけでエラスムスは、現実に今ギリシアでどういう言葉が話されているかにはまるきり無関心で、ひたすら古典時代のギリシア語の発音らしきものを復興しようとして、古典ギリシア語をつづり字どおりに発音する「エラスムス方式」を提唱したのです。
     しかし、ギリシア語の発音はすでに新約聖書時代にはほとんど現在と同じような発音になっていたと考えられます。たとえばカトリックのミサはすべてラテン語ですが、Kyrie(キリエ)だけはギリシア語で、Kyrie eleison.(キリエ・エレイソン)と発音されます。ところがこれのギリシア語スペルは、Κύριε ἐλεήσον.であり、エラスムス方式で発音したら「キュリエ・エレエーソン」のはずです。一方現代ギリシア語では、υもηもイと発音するので「キリエ・エレイソン」。ミサにこの文が取り入れられたときには、もうすでに現代語的な発音になっていたということですね。逆に、ラテン語を古典式でなくイタリア語式で読むことを推奨しているカトリックは、なぜかeleisonのときに、エレイゾンではなく(イタリア語式ラテン語では母音の前のsは濁ってzの発音になります)エレイソンと読めと言っているかというと、ギリシア語では母音の前でもsが濁らないという事情からです。Kyrie eleison.というギリシア語を、当時の実際の発音に即してミサに取り入れ、それがそのまま伝えられていることをよくあらわしています。


  4. 現代式で発音しましょう
     古典ギリシア語を現代式で読まずつづり字どおりのエラスムス方式で読む習慣がもう数百年にもなり、学問の世界ではそれが普通なので困ったことなのですが、ギリシア正教会ではもちろん現代式の発音をしております。そういう教会の伝統を尊重するということもあり、古典ギリシア語は現代式で読みたいものです。
     もちろんラテン語も古典式ではなくイタリア語式に基づく教会での読み方に従います。
     ヘブライ語も、現代イスラエルではみんな現代式で読んでます。
     要は古典語といえどもすべて現代語式に発音するやり方を、真理子日曜学校ではとりたいということです。
     ただし、コイネー(本当はキニ)、セプトゥアギンタ(本当はセプトゥアジンタ)など、古典式発音によって定着してしまった用語については、適宜併記するか、そういう用語を避けて、「聖書ギリシア語」「七十人訳」などと書くようにしています。