[真理子日曜学校 - 聖書の言語入門(フレーム表示) ]
【日本語文語コース】

文語の構文


  1. 主語の示し方
     口語では主語のあとには「が」「は」などの助詞を用いますが、文語では原則として助詞をつけません。
     (例)イエスやまくだたまひしとき、おほいなる群衆ぐんじゆうこれにしたがふ。 イエスが山を下りなさったとき、数多くの群衆が彼についていった。(マタ:8:1)
     ですから時として主語が次の語とくっついて、どこまでが一語か不明確になることがあります。
     たとえば「間髪を容れず」という言葉があります。これは「間、髪を容れず」と区切って「間」を主語と解釈すべきものです。「すきまは、髪の毛一本も入れる余地がない」というわけです。読み方だって「かん、はつをいれず」です。ところが主語のあとに何も助詞がないために、あたかも「間髪」という熟語であるかのような錯覚をする人が後を絶ちません。いいかげんな辞書になると、「間髪」という熟語を「かんぱつ」という怪しげな読みで載せていたりします。現に真理子の使っているMS-IMEは、「間髪(かんぱつ)」という語が登録されています。
     こういうことがあるので文語、特に漢文訓読文体の文は気をつけなければいけません。実際に聖書に出てくる例でとても紛らわしい例としては、
     (例)ひとつまおいかくごとくばめとららざるにしかもし人が妻に対してこうしなくちゃいけない(=浮気以外の理由では離婚してはいけない)ならば、結婚しないほうがいいですね。(マタ19:10 明治訳)
     この例文の「人妻」は、「ひとづま」という一単語ではなく、「人が、妻に」なのです。ふりがなをよく見ると「ひとづま」ではなく「ひとつま」と書いていますし、明治訳の場合もし「人妻」なら「他妻」という漢字表記になっていることが多いと思いますが、「ひとづま(他人の妻)」と読んでも通ってしまいそうな文脈なので、注意すべきところです。文語聖書を読むときにはふりがなに注意し、黙読をせず必ず音読をすることです。そうすれば気づきやすくなります。
     固有名詞の場合は見知らぬ単語になるので文脈を読むのが困難ですが、昔(特に明治期)は外国語の固有名詞はカタカナで書くだけでなく必ず傍線をつけたので、傍線の切れ目で判断できます。現在売られている文語訳は傍線をつけていませんが、「、」を入れて対処しています。
     (例)イエス ガリラヤうみにそひてあゆみゆき、
     イエス、ガリラヤのうみにそひてあゆみゆき、(マコ1:16)
     原則として句読点をを一切用いない明治訳も、語を並べてに区切りがわかりにくくなったときには「、」を用います。次に挙げる例は主語の後の助詞がない例ではなく語の列挙の例なのですが、「、」を用いて語の区切りを明らかにしている例です。カタカナ語には傍線をつけるので語の区切りが明確になりますが、漢字語には傍線をつけないので「、」が必要だったというわけです。
     (例)なんぢら薄荷はくか茴香ういきやう馬芹まきんじふぶんいちとりをさめ
     あなたがたはペパーミントやフェンネルやクミンを収穫して十分の一を納めて(マタ23:23)


  2. 主語を表す「の」
     主語+述語構造を持った文がさらに大きな文の中の一つの要素となるときは、主語のあとに「の」をつけます。たとえば「雨降る」が大きく「我~を見る」という文の「~」の部分に用いられるときは、「我、雨降るを見る」だけではダメで、「我、雨の降るを見る」となるわけです。一般的な文語では別に「の」をつけなくてもいいのですが、聖書に用いられている漢文訓読文体では「の」が必須ということです。
     (例)イエス群衆ぐんじゆうおのれめぐれるをて、 イエスは群衆が自分を取り囲んだのを見て、(マタ8:18)
     なお、この語法に限らず一般的に、代名詞には「の」のかわりに「が」が用いられます。この語法でもやはり同様です。
     (例)イエスはかれにたることをたまひしなれど イエスは彼(ラザロ)が死んだということを言ったのだが、(ヨハ11:13)


  3. 「は」
     口語では主語を表すには「が」または「は」を使うよね、文語では「が」は不要だっていうことはわかったんだが、「は」はどうなんだ? という声が聞こえて来そうです。
     が、待ってください。「が」と「は」は一見似ているようで、実は大きく違うのです。「が」は格助詞に分類されますが、「は」は、口語では副助詞、文語では係助詞に分類されます。この話はページを改めて説明しますので、続きは「強調」を見てください。


  4. その他の格助詞
     一般に文語では「すさまじきもの、昼ほゆる犬 不釣合いなものは、昼にほえる犬である」(枕草子)のように、主語のあと以外の助詞(この場合は「昼に」の「に」)が省略される傾向がありますが、漢文訓読文体に限っていえば、助詞がなくてもよい(ないのが普通な)のは主格の格助詞だけで、その他は省略しません。ですからこの枕草子の文も、漢文書き下し文としては「すさまじきもの、昼ほゆる犬」のようになるわけです。
     いや、聖書でも「死人しにんきかへりてものはじむ」(ルカ7:15)のような例があるじゃないか、「物言ひ始む」の「を」が省略されてるぞ、とおっしゃるかもしれませんが、「物言ふ」のように熟した言い方に限られます。実際「物言ふ」は一語の動詞ととるべきであり、「を」が省略されているわけではありません。
     以下、文語の格助詞を、聖書に用いられている漢文訓読文体での用法にしぼって簡単に説明します。