[真理子日曜学校 - 聖書の言語入門(フレーム表示) ]
【総合案内コース】

筆記体について

 

  1. 筆記体なんて時代遅れ!?
     真理子の時代は中学校に入ったら英語の副教材でPenmanshipなんていう筆記体の練習帖をあてがわれて一生懸命筆記体を習ったものでした。テストの答えは当然筆記体でないと減点されました。
     ところが今では筆記体は難しいしアメリカ人だって筆記体なんか使わなくなった(そもそも手書きをしない)から教えないってことになっちゃったみたいですね。世の中変わったものですわ。真理子はオバサンになったのね。たしかに本国人でさえ習っていないしできない筆記体なんかをわざわざ習う必要はないんでしょうね。私たちオバサンが受けてきた教育のほうが間違っていたのでしょう。
     でも真理子は、そんな今こそ筆記体を学び、教えていきたいと思っているのです。


  2. 手書きこそ記憶の道
     「心と口と行いと生き方もて」にも書きましたように、外国語の勉強には記憶が大事であり、記憶にはあらゆる手段を動員することが大事なんです。その「あらゆる手段」の中には手書きが入ります。不思議なもので、キーボードってダメなんですよね。


  3. 筆記体を知らない先生は
     昔はみんな文字を手書きしたし、「文通」という習慣があったので、手書き文字を読めることは必須でした。筆記体は各国で流儀がちょこちょこ違うんですね。特に大文字が違うんで、フランス語の先生が英語式の筆記体を書いてたりすると、「あ、この先生の学力は危ういわね」なんてバカにしたものです。だって、フランス人と手紙のやりとりをしてないっていう何よりの証拠じゃないですか。
     で、ドイツ語の筆記体ははるかに異なるので、昔はドイツ語式の筆記体が書けず英語式に書くっていうのはドイツ語を勉強する人にとってとても恥だったのです。


  4. 今こそ筆記体が新しい
     だからこそ逆に「筆記体っていうカッコいい書体があるらしい」なんて興味を持って、どこかで筆記体を勉強できないかって本なんかを探してる子もいるらしいです。
     一昔前は「アメリカ人ってみんなタイプライター使うから文字を手書きする機会がないらしい」というのを、一種の羨望を持って聞きながら、その裏返しで「じゃ文字を手で書かせたらさぞやヘタクソだろうね」なんてやっかんだものですが、いまやそういう生活を私たちも手に入れたのですね。たしかに文字を手書きしなくなるとヘタクソになりますわね。そういう今だからこそ、逆に筆記体の文化をしっかり学んでいきたいような気がします。