閉店の辞

※3/16にTwitDelayによってTwitterに自動投稿したものと同じです。

1.このたび古楽名曲喫茶・真理庵を店じまいすることにしました。今から連投するご挨拶(最終は11)は、あらかじめ書いたものをTwitDelayで5分間隔で自動投稿してます。おそらく私はもうこの世にはいないでしょう。真理庵は私の船。昔から船長は船と運命をともにするものなのです。

2.いま私が生きている可能性があるとすれば、自殺未遂→病院などへ隔離→パソコンにさわれずTwit Delayの予約投稿を解除できない、などが考えられます。だから100パーセント死んだとも限らないのですが、そんなふうに生きながらえているとすれば、私にとっては死んだも同然です。

3.真理庵は私にとっては宣教の場でした。それは喫茶店を隠れ蓑に宗教勧誘をしようなどということではありません。古楽からキリスト教にひかれた私には、古楽を聴きながらコーヒー飲んでくつろいでもらえることも宗教的癒やしの一つ、この楽しみを伝えることも宣教だったのです。

4.福音と世界2013-7で書いたように、キリスト教に対して独自な考えを持ち、かつ性的少数者である私にぴったりな宣教とは、喫茶店を開くことでした。私はそれを神の声としてちゃんと聞いたので、以後はその目標に向かって邁進するばかりでした。真理庵を作れというのは私の召命だったのです。

5.実際、真理庵の開店は自分でもびっくりするくらいとんとん拍子に進みました。神のアシストを実感しました。神学校に入れなかったことすら、「回り道せず今すぐに始めろ」という神の声だと確信しました(今でもしています)。

6.しかし開店以来お客様が増えず、月々大赤字続きで貯えを取り崩し借金を膨らます日々。それでもずっとがんばり続けてきましたが、もうがんばりも限界です。ほとほと疲れてしまいました。神の召命というのが、かくもつらいものとは思いませんでした。神様、これではあんまりだわ。

7.でもたった100日余でも自分の宣教の場を持てた私は、とても幸せでした。私は4年前の3.11で死ぬはずで、以後の生はおまけ、アディショナルタイムだと思い続けてきました。自費出版、性転換、旅行、美食、やりたいことはすべてやったので悔いはありません。いい夢を見させてもらいました。

8.私の死生観では、自分の生とは「大いなるいのち」のごく一部を自我によって私のものであるかのように切り取っているにすぎず、私は大いなるいのちの一部分として永遠の生を生きています。死んだらほどなく別の人生を始めてるでしょう。肉体同様意識もクリアされるのでまるでわからないでしょうが。

9.お客様のいない真理庵での孤独を紛らわそうと、Wikisourceの「聖書」 http://bit.ly/1EaEqfK のうち、「旧約聖書続編」の「ベン・シラの智慧」「マカビー第一書」、「明治元訳新約聖書」と「新契約聖書」の全部を入力しときました。私の生きてた証として。

10.あとは真理庵サイトの訳詞カラオケ。 http://bit.ly/1EaEQT6 これが私の白鳥の歌ってとこですね。ご活用ください。でも早くダウンロードしてくれないとサイト消えちゃうかも。Wikisourceと違ってサイトはサーバー代金の支払い滞ったら消されちゃうし。

11.最後に、遺書に名前載ると気味悪いでしょうからお名前書くのは自粛しますが、この間真理庵を支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。それでは皆様よい人生を。ひょっとしたら私はまた別人格として皆様にお目にかかるかも。その節はよろしく。ではしばしのお別れ。

喫茶真理庵・植田真理子(2015/3/11-3.11から4年目の日に)