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第41章 アルマひきつづきコリアントンに誡命を与える。回復の意義。人間はその行為と欲望に従って裁判を受ける。善悪は自己の判断で選ぶ。 「さて、わが子よ。今話した回復と言うことについて私はもっと言いたいことがある。ごらん、ある人はこの事につき聖文の意味を曲げて大いに迷っている。汝もまたこの事について思いが乱れていると見えるから、私はこの事を汝に説き明そう。
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回復の計画は神の正義から見て必要である。それはすべての事物がそれぞれ元の自然の状態に復ることは必要であるからである。キリストの権力と復活とから言うと、人間の霊をその体に復し、身体のどの部分もみなその元の自然の形に復すは必要で正当なことである。
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また神の正義から言うと、世の人々がそれぞれの行いに従い裁判を受けることもまた必要であって、現世に於ける行いが善くまたその心の望みも善かったならば、終りの日にその人を善い状態へ復すことも必要である。
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しかし、かれらの行いがもし悪かったならば、その悪い行いの報いはそのままかれらに復って来る。それであるから一切のものはその相当する所、元の自然の形に回復せられ、死ななくては身体は不死不滅の体となり、朽ちねばならぬ肉体は朽ちないものとなり、一切の人はあるいは神の王国に入って永遠の幸福を得るためによみがえり、あるいは悪魔の国に入って永遠の不幸に逢うためによみがえる。すなわち、一方には一種の者があり、他方には他種の者がある。
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この中の前者は幸福の望みに従い回復せられて幸福を得、善の望みに従い回復せられて善を得る。また後の者は悪の望みに従い回復せられて悪を得、また生涯悪を行いたいと思ったからその報いとして来世に悪を受けるのである。
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しかしながら、これに反して人がもしその悪を悔い改めて生涯の終りまで義を求めるならば、その報いとして義と認められるのである。
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このような人々は主に贖い救われて、あの永遠に明けない夜のような暗やみの境涯から救われるのである。それであるから、世の中の人は善を行うのも悪を行うのも自分で選ぶままであるから、その選ぶところに従ってあるいは救われあるいは堕落する。
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そもそも神の定めたもうたことは変えることができない。それであるから、道はもはや確に用意してあるので誰でも歩きたいと思う者はこの道を歩いて救われることができる。
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わが子よ。今でも危くもお前は教義のある点について罪を犯して来たが、これからはもうその点について神に対する罪を犯すような危険をしないでくれ。
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お前は、もはや回復に関することを教わっているから、このまま自分の罪深い境涯から幸福な境涯に回復されると思ってはならない。罪悪は決して幸福を生じたことはない。
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すべて自然のままの有様、すなわち肉欲の有様にある者たちは、罪の縄目に縛られ苦汁を飲まされている有様に居る。また神を信ぜずに世を渡り、神の本性に背くから幸福と言う性質に反する有様に居るのである。
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ごらん、回復とは物を自然の有様から不自然の有様に置き、または物をその性質に反する状態に置くと言うことであるか。
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いや、そうではない、回復とは悪を悪に、肉欲を肉欲に、悪心を悪心に、善を善に、義を義に、正義を正義に、憐みを憐みに元通りに復すことである。
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それであるから、わが子よ。慎んで同胞に対して憐みの心を深くし、正義を以て行い、正しく人のことを考えたえず善を為せ。お前がこれらの事を行えばその報いを受ける、すなわち憐みと正義と正しい裁きと善とはお前に元通り回復されるのである。
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お前から出るものはお前にかえる。それであるから回復と言う言葉はかえって罪人をますます罪があるとして少しもこれに寛く当ることはない。」
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