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2024年5月16日(木) 通読(本日=箴5-6,ユディ11,アル23 明日=エゼ7-12,アザ1,クル-49回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第12章
第12章
アルマ、アミュレクの証詞を確認する。生命の木の教義。贖罪の計画を解き明す。

ゼーズロムは、アミュレクを亡ぼそうとして用いた偽りと詐欺とがすでにアミュレクに見現わされたことを知り、自分に罪があることを覚っておののき始めた。ゼーズロムはアミュレクの言葉に言い破られたのである。アルマはこの様子を見てゼーズロムに話しかけて、アミュレクの言葉を証明し、またアミュレクよりもさらに一歩進めてくわしく聖文を解き明し、またアミュレクの話さなかったことまでも解き聞せた。
アルマがゼーズロムに言った言葉はその場に集っていた多くの者たちに聞えた。その言葉は次の通りである。
「ゼーズロムよ、汝の偽と悪企はすでに見現わされた。汝は人に偽を言ったばかりか神にもまた偽を言った。見よ、神は汝が心に思っていることをみな知りたもう。神の「みたま」によってこれがすでに明らかになったことは汝がよく知っている。
私は汝の謀ごとが悪魔から見てまことに巧妙であって、偽をついてこの民を欺いて私たちに反対をさせ、私たちを侮らせ、私たちを追い払わせる利口な手段であることを知っている。これも汝がよく知っている。
これはすなわち汝の敵である悪魔の企であって、悪魔はただ汝を道具に使って自分の力をたくましくしている。私は汝に告げることをまたこの地のすべての民にも告げる。ねがわくは汝がこのことを覚えていてほしい。
ごらん、私はあなたたち皆に言う。この謀ごとは悪魔のかけたわなであって、悪魔はこれをかけてこの民を捕え、そしてあなたたちを自分に従わせ、自分の鎖でもってあなたたちをとりかこみ、自分の束縛の力によってあなたたちを縛って永遠に亡ぼそうとしている」と。
アルマがこう言うとゼーズロムはいよいよ甚しく恐れおののいた。なぜならば彼はますます神の能力を信じて、自分が心に思っていることも志していることもみなアルマとアミュレクに知られたことを認めたからである。アルマとアミュレクとは、予言の「みたま」によってこのようなことを知る能力を受けたのである。
ここに於てゼーズロムは、神の王国についてもっと多くのことを知ろうとして熱心にアルマとアミュレクに問いたずねた。ゼーズロムはアルマに「アミュレクが死者の復活について語り、善人も悪人も人は皆死からよみがえって、それぞれの行いに応じて裁判を受けるために神の御前に引き出されると言ったのはどう言うことであるか」と言った。
アルマはこのことをゼーズロムに解き明して「神の奥義を知ることは多くの人に許されている。しかしその人々は神が世の人に下さるほかには、何の教えも伝えてはならないと言う神のきびしい命令を受けている。神がその教えを世の人に許したもうのは、世の人が神に仕える熱心と従順の度合による。
それであるから心をかたくなにする者は僅ばかり神の教えを賜わり、その心をかたくなにしない者は全く一つのこらず神の奥義が解るまで教えを賜わる。
心をかたくなにする者はただ僅な神の教えを賜うだけであるから、ついに神の奥義を知らぬ有様となる。それからこれらの人は悪魔に捕えられて亡びるまで悪魔の意に従う。地獄の鎖とはすなわちこのことである。
アミュレクは死のことと、この死ななければならない状態から復活をして不死不滅の状態に移ることと、また人々が各々の行いに従って裁判を受けるために神の法廷に引き出されることとについてすでに明らかに述べている。
それであるからもしわれわれの心がかたくなになり、胸の中に神の道がないほど道に対して強情を張ったとするならば、われわれは恐ろしい有様に陥るであろう。その時にわれわれは罪があるとされるからである。
われわれの言葉はわれわれを罪に定め、われわれの行いもまたみなわれわれを確に罪があるとする。われわれは潔白な者と認められず、思うことでさえもわれわれを罪に定める。このような恐ろしい有様では、われわれは思い切って自分の神を仰ぎ見ることができず、かえって神の前から隠れるために山や岩に向って自分の上に落ちてこいと命ずることができたならば好いと思うであろう。
しかしこのようなことができるはずはないから、われわれは仕方なく進み出て神が栄光、能力、威勢、荘厳、主権をもちたもう御前に立ち、尽きぬ恥辱を抱きながら神の裁判がすべて正義であることと、神の御業がすべて正当であることと、神が人間を憐みたもうことと、神にはその御名を信じて悔改めにかなう実を結ぶ人々を救いたもうすべての権能があることとを認めなくてはならない。
見よ、そのあとで死がまたやってくる。これは第二の死すなわち霊の死である。この第二の死の時はおよそ罪があるままに肉体の死を遂げた者が霊の死に逢わなくてはならぬ時である。すなわち義しいことから断ち切られた有様になる。
ここに於てこのような者たちが受ける苦しみはとこしえに炎をあげて燃える硫黄の湖のようである。これはすなわちこれらの人々がサタンの能力と束縛とのために鎖にしばられてとこしえに亡びる時である。それはサタンがもはやこれらの人々を思いのままに従わせたからである。
その時これらの人々はあたかも身代りによる罪の贖いがないと同じ様である。それは神の正義に照らして贖われることもできず、またもう朽ちることがないから死に失せることもできないからである」と。
アルマがこのように話し終るとアモナイハ市の人々はいよいよ驚いた。
ところがその高官の一人にアンテオナと言う人があったが、やってきてアルマに次のように問うた「汝が人は死からよみがえって、この死ななくてはならぬ状態から不死不滅の状態に移ると言い、またその「霊の結合体」はいつまでも死滅することができないと言ったのはどう言うことか。
神はわれわれの始祖がエデンの園に入って生命の木の実を食い、そして永久に生き永らえることのないように、天使たちと焔を吐く剣とをエデンの園の東の方に置きたもうたと言う聖文はどういうことが言ってあるか。もしもそうならば、われわれの始祖は決してとこしえに生き永らえる途がないではないか」と。
アルマはこれに答えて言った「これは私が解き明そうとしていたことである。アダムが禁断の実を食べたために神の御言葉のように堕落をしたことは明らかである。またアダムの堕落のためにあらゆる人類も堕落して神の御前から追い出されている者となったことも明らかである。
その時もしもアダムが生命の木の実を食うことができたとすると、死と言うものがなくてそのために神の御言葉は空しくなり、神は偽りを言う者になりたもうたであろう。なぜならば、神は『汝食わば必ず死すべし』と誓いたもうたからである。
そしてアミュレクの話した肉体の死は、すでにすべての人々に及んでいる。しかしながら、人が悔改めをすることができるように猶予が与えられたから、この世の生涯は試しの時期となり、神に逢う用意をする時期となり、またわれわれが話す死者の復活の後にくる永遠の生命を受ける用意をなすべき時期となった。
もしも世の始めから備えてある贖いの計画がなかったとするならば、死者の復活があるはずがない。しかしながら、前に証をした死者の復活を来す贖いの計画はすでに備えてあった。
見よ、もしもわれわれの始祖が出て行って生命の木の実を食うことさえできたならば、用意をすべき時期はなく、とこしえに不幸な状態のままに居って、贖いの計画は無効となり、神の御言葉は空しくなって成就しなかったであろう。
しかし、見よ実際はこうならなくて人類が死なねばならぬことと、死んでから行って裁判を受けねばならぬことが定められた。この裁判とはすなわちわれわれがすでに話した裁判であって終りの日である。
神はこれらのことが人類にくることをすでに定めたもうてから、人類の身にくるはずのこれらのことを、人類に知らせるのが必要であると認めたもうた。
それであるから、神は天使らをつかわして直接人々と話をさせたまい、天使たちは神の栄光を人々に示した。
人々はこれから後神に祈るようになった。従って神は人々と話し合って創世の前から備えてある贖いの計画を示したもうたが、これは人々の信仰と悔改めと清い行い行いとに応じて示された。
人はもはやこの世にかかわる最初の法令に背き、あたかも神々のように善悪を弁え、自分から思う存分に悪でも善でも行うようになった。本当はこのように行うことのできる自由がある境涯に置かれたのである。それであるから神は人類に新しい法令を与えたもうた。
すなわち、神は贖いの計画を示したもうてから、悪を行ってはならないと言う法令を人類に下したもうた。この法令に伴う罰は第二の死である。第二の死とは義しいことから永遠に断ち切られる有様となることを言う。このような死に逢う者は贖いの計画の能力も及ばない。それは神のもちたもう最高の徳に照らして正義の働きをさまたげることができないからである。
しかし神はその御子の御名を通して人々に勧めたもうた(これがすなわち備っている贖いの計画である)。すなわち『汝らもし悔い改めてその心をかたくなにせずば、われはわが生む独子によりて汝らを憐むべし。
よりて悔い改めてその心をかたくなにせざる者は、わが生む独子によりて罪の赦しを得さする憐みを求むる権利を受く。かかる者はわが安息に入ることを得。
されど、およそその心をかたくなにして罪悪を犯す者は、われは怒りてこれをわが安息に入らしむべからずと誓う』と。
それであるから、わが兄弟らよ、あなたたちがもしもその心をかたくなにするならば主の安息に入ることができない。従ってあなたたちの罪悪が主を怒らせ、ちょうど人が最初神の怒りを招いた時のように、あなたたちも怒りを招く。これは最初神の怒りを招いた時に神の言葉通りになったのみならず、また後に神の怒りを招く時にもそうなるのである。こうして、あなたたちの身も霊も永遠に亡びてしまう。従ってあなたたちは第一の死だけではなく第二の死も受ける。これは神の言葉通りである。
私の兄弟よ、私たちはこれらのことを悟り、それが本当であるのを知っているから、私たちの神である主の下したもうた第二の法令に背いて神を怒らせ、その激しい憤りを招かないように悔改めをして心をかたくなにせず、主がその御言葉のように備えたもうた安息に入ろうではないか」と。

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