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2024年4月20日(土) 通読(本日=ルカ5-6,1イミ21,クル-42回 明日=二コリ11-13,3イミ21,アル4)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳〕マカビー記一 第1章
ピリポの子、マケドニヤ人アレキサンドルは、ケテイムで軍を起こしてペルシヤ人とメデヤ人の王ダレイオスを撃ち、ギリシヤの王位を奪った。
戦いにつぐ戦いの果てに、次々と城塞をおとして王たちを殺し、
世界の果てまで進軍してあらゆる民族から品物をぶんどった。意気揚々としておごり高ぶったアレキサンドルの支配に世界じゅうがくだった。
きわめて強大な軍事力にものをいわせ、各地の民族と王たちを支配し、貢ぎ物を納めさせた。
ところがまもなく、アレキサンドルは病に倒れ、死期の近づいたことを悟った。
そこで、まだ命のあるうちに、幼いときからいっしょに育った重臣たちを呼び集めて、自分の王国を分け与えた。
かくしてアレキサンドルは十二年間王位について死んだ。
重臣たちはめいめい自分に分け与えられた領土を支配した。
アレキサンドルの死後、王冠を戴いた彼らの子孫が長年にわたって王冠を継承し、世界じゅうに禍いがはびこった。
そのうち、アンテオコス王に、アンテオコス・エピパネスという悪の権化のような子が生まれた。彼は最初はローマの人質だったが、セレウコス暦の百三十七年(紀元前百七十五年)にギリシア人の国、セレウコス朝シリアの王となった。

そのころイスラエルには律法を破る連中が現われ、人々にこのようなことをそそのかした。「さあ、周辺の民族たちと契約を結びに行こう。周辺と敵対しているから、悪いことばかりが起きるじゃないか」。
人々はこの意見に賛成したので、熱心な国民は王のところに出かけた。
王は彼らに異邦人の習慣に従うことを許した。
そこで彼らは異邦人の習慣にのっとって、エルサレムに体育館を作り、
聖なる契約を破って異邦人の習慣にならって、割礼を元に戻す手術をするという悪事をおこなった。

アンテオコスは王国を整備すると、こんどはエジプトを征服して、両方の王国を支配しようと企てた。
彼は戦車、象、艦隊から構成された大軍を率いてエジプトに侵攻した。
エジプト王プトレミオに戦いを挑むと、プトレミオは背を向けて敗走し、多くの人が負傷し倒れた。
アンテオコス軍はエジプトの堅固な町々を占領し、エジプトから多くの品を分捕った。

百四十三年(紀元前百六十九年)にエジプトを征服したアンテオコスは、こんどは反対にイスラエルに向かい、エルサレムに大軍を率いて入城した。
そしておそれ多いことに聖所に侵入し、黄金の祭壇、燭台とその装飾品、
祭壇、灌祭のための壺と杯、黄金の香炉、聖所の垂れ幕、冠、神殿の正面の黄金の装飾などを奪った。
さらに金や銀や貴重な道具、秘蔵されていた宝も見つけるそばから奪い、
不遜な言葉をいいながら略奪をしつくし、民を殺戮すると、アンテオコスは自分の国へ撤収した。
イスラエルじゅうにたいへんな悲しみが起こった。

首長や長老たちは心をいため、
若い男女は力をなくし、
女たちの美しさはおとろえた。

花婿は悲しみの歌をうたい、
花嫁は婚姻の床で悲しんだ。

大地は住む者たちのためにふるえ、
ヤコブの子孫の家はみな恥辱を身にまとった。

二年後、王はムシア人の頭アポロニオをユダの町々に送った。
アポロニオは大軍を率いてエルサレムへ入城したとき、人々を油断させるために柔らかな言葉づかいで演説したので、人々は彼を信用した。ところが彼は突然エルサレムを襲撃して大きな損害を与え、多くのイスラエル人を殺した。
そしてエルサレムを略奪して火を放ち、家々と周囲の城壁を破壊した。
兵士たちは女や子供を捕虜にし、家畜を奪った。
そして、ダビデの町に大きくて堅固な城壁とやぐらを建設し、彼らの要塞とした。
彼らはそこに律法にそむく罪深い民を住ませ、彼らの勢力を強くした。
つまり、彼らは武器と食糧を備え、エルサレムから戦利品を運びこんでそこに貯え、ユダヤ人への恐るべき脅威としたのである。

要塞は聖所に対する脅威となり、
常にイスラエルに敵対する町となった。

彼らは聖所のまわりで無実の人々の血を流し、
聖所をけがした。
エルサレムの住民たちは彼らを恐れて町を捨て、
エルサレムは異邦人の都市となった。
エルサレムの住民たちにとって自分たちの町は異邦人のもののようになり、
エルサレムの子たちはエルサレムを捨てた。

エルサレムの聖所は砂漠のように荒れ果て、
祭りは悲しまれ、
安息日は嘲笑され、
栄誉はさげすまれ、

そのほまれに代わって恥辱が町を覆い、
その高貴は悲しみに変わった。

さて王は、全国にむけて、「すべての者が一つの国民となるべきであり、
各自の習慣にこだわることのないように」というおふれを出した。すべての異邦人はこの命令に従った。
多くのイスラエル人は、王を礼拝するようになり、偶像にいけにえをささげ、安息日を守らなくなった。
王はさらにエルサレムとユダの町々に使者を送って次のようなおふれを出した。「異邦人の習慣にしたがって生活せよ。
燔祭、いけにえ、灌祭は中止せよ。
聖所とそこに仕える人々をはずかしめよ。
異教の祭壇、やしろ、偶像をまつる神殿を建設し、豚とけがれた家畜をいけにえとしてささげよ。
子どもたちには割礼をせず、あらゆるけがれた行為によって魂をけがれさせ、
律法は忘れよ。父祖伝来のきまりはすべて捨てよ。
王のこのおふれにしたがわないものは死刑に処せられる」。
王はこのようなおふれを全国土に発し、全国に監督官を置いて、ユダのすべての町にいけにえをささげるように命令した。
多くの民は律法を捨てて異邦人のもとに集まり、各地で悪事を重ねた。
このためイスラエルの律法を守る者は、隠れることのできるところならどこにでも隠れねばならなかった。

そして百四十五年(紀元前百六十七年)キスレウの月の十五日に、王は祭壇の上に異教のおぞましい祭壇を建設し、エルサレムの周囲のユダの町々にも異教の祭壇を築いた。
そして家の戸口と通りで香を焚き、
律法の書を見つけしだい引き裂いて焼き、
さらに家に契約の書を隠しているのを発見された者や、律法を守っていることがわかった者は、王のおふれにしたがって処刑された。
彼らは月ごとに、町でイスラエル人を見つけると、乱暴を働いた。
この月の二十五日には、祭壇の上に建てられた異教の祭壇の上にいけにえのけものをささげた。
わが子に割礼を施した女たちをおふれにしたがって処刑し、
赤ん坊をその母の首につるし、母の家族と、子に割礼を施した者たちとを処刑した。
だが多くのイスラエル人はしっかり団結して、けがれた肉を食べなかった。
けがれた食べ物を食べたり、契約を捨てるくらいなら、死んだほうがましだと、処刑されていったのだ。
こうして大いなる怒りのようなわざわいが激しくイスラエルに臨んだ。

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