ばべるばいぶる(多言語聖書閲読)
HELP
フォント・背景色変更
ID:
パスワード



2024年3月29日(金) 通読(本日=エレ27-31,知18,クル-35回 明日=マコ15-16,1イミ18,クル-36回)

●章表示 ●検索

聖書1:
聖書2:
ルビ: 節番号表示:
見出し表示 あり  なし


検索語:
聖書:
大小文字同一視
検索書名
同時表示聖書:
1ページに表示する候補数:
ルビ:
章モードしおり 現在の章をしおりに追加(最大20) クリア 並べ替え


節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第20章
第二十章。孤独と沈黙を愛しなさい
適当な時を求めて自分を反省し、神の恵み深さについてたびたび思いを致しなさい。
好奇心を捨てなさい。
書物を読むにあたっては、興味をわかせるようなものでなく、あなたに信仰心を起こさせるものを読みなさい。
もしも余計な雑談やつまらない交際をさし控え、変わったことやうわさ話に耳を借さないなら、あなたが有益な黙想をするふさわしい時間はいっぱいできるだろう。
最も偉大な聖者たちは、できる限り人との交わりを避けて、隠れて神に仕えることを選んだのである。
ある人は言った。「人々の中にでかけるごとに、いつも前よりつまらない人物になって帰って来る」(セネカ書翰7)と。われわれも人と長く話をするとしばしばこのことを経験する。
全く黙っているのは、語り過ぎないようにするより簡単である。
家にとどまっているのは、外に出てしっかり用心するより簡単である。
だから人間も内面的な霊的な生活をしたいなら、人ごみを避けてイエス・キリストとともにいなさい。
家にとどまるのが好きな人でなければ、外出することは安全ではない。
黙っているのが好きな人でなければ、語ることは安全ではない。
人の下につくのが好きな人でなければ、上に立つのは安全ではない。
服従することを学んだ人でなければ、支配するのは安全ではない。
良心の証言を心に持たなければ、安全に楽しむことはできない。
だから聖者たちの安心は、いつも神への畏れの念に満ちることからであった。
聖者たちは大きな徳と恵みに輝いているのに、心遣いをしたり謙遜したりということがなくなることはなかった。
しかし悪い人の安心は、高慢と自負から起こり、最後はみずから欺くに至る。
この世ではたとえ自分がどんなによい修道者、敬虔な隠者と思っても、それで自分が安全になったとは思ってはならない。
世間から尊敬されている立派な人が、過大な自信のために重大な危険に陥ることがある。
だから人は全く誘惑がないより、たびたび誘惑に襲われたほうが有益である。余りに安心し過ぎたり、高慢な心を起こしたり、外面的な慰めに傾いたりしないようにである。
ああ、過ぎ去ってしまう歓楽を決して求めず、この世に決してとらわれないなら、その人はなんと清い良心を持つことができるだろうか。
ああ、もし一切のむなしい心配を捨て去り、救いと天のことだけに思いを致し、希望を全く神に寄せるなら、その人はなんと大きな平和と静けさとを得られるだろう。
聖なる悔い改めのために努力をしない人は、決して天の慰めを受けるに値しない。
もしあなたが心から罪をなげこうとするなら、「床の上で静かに自分の心に語りなさい」(詩4:5)とあるように、自分の部屋で戸を閉めてこの世の騒がしさから遠ざかりなさい。外にあっては見失いがちなものを、自分の部屋では見出すだろう。
住み続ければ自分の部屋も楽しくなるが、落ち着いて住み続けないから退屈していやになるのである。修道者になった最初から自分の部屋に住み慣れてしまうなら、後にはここがあなたにとって親しい友となり、最も楽しい慰めともなるのである。
敬虔な人は、その魂を沈黙と静寂のうちに精進させ、聖書の奥義を深く理解する。
ここに魂は悔恨の涙の川を見出し、夜ごとに自らを洗い清める。世の騒がしさから離れれば離れるほど、魂は造り主に親しくなるのである。
知り合いや友人から離れる人には、神とその聖なる天使たちが近づいてくださるからである。
不思議なわざを行ったとしても魂をなおざりにすることより、隠棲して魂を省察することがまさつている。
めったに外出せず、人に見られるを避け、人を見ようと思わない修道者は、称賛されるべきである。
なぜ、持ってならないものをあなたは見たがるのか。「世と世の欲とは過ぎ去る」(一ヨハ2:17)。
官能的な欲望はあなたを外に誘い出すが、時が過ぎて、何をあなたは持ち帰るのか。重荷に悩む良心と、乱れた心だけではないか。
楽しい外出は悲しい帰宅に変わり、楽しい夜は悲しい朝に変わることが多いのである。
すべての肉体的な快楽は、来るときは愛想がよいが、しまいにはかみついて滅ぼしてしまう。
ここで見られずよそで見られるものなど、いったい何があろうか。見よ、天と地とすべての元素とを。すべてのものはこれによって出来ているのであるる
日の下のどこに、長く存在しうるものをあなたは見られようか。
あなたはおそらく自分を満足させられると信じていようが、それは決して不可能である。
たとえあなたが万物を見たとしても、それはむなしい幻影でなくて何であろう。
いと高きところの神に向かってあなたの目をあげなさい。そしてあなたの罪と怠りが許されるように祈りなさい。
空しいことは空しいものにまかせて、あなたはただ神の命じなさる事に専念しなさい。あなたの部屋の戸を閉めて、愛するイエスに呼びかけなさい。
そして主とともに部屋にとどまりなさい。こういう平和は、よそでは決して見出されないだろう。
あなたが外に出て行かず、つまらないうわさに耳を傾けないなら、あなたはいつまでも楽しい平和を受けられるのである。しかしあなたは時々世の珍しいことを聞きたくなるために、心に不安がせまって来るのである。

このページのURL
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=20&mode=0