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2024年3月19日(火) 通読(本日=サム下1-4,シラ17,モサ10 明日=詩48-50,二マカ1,モサ11)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第2章
第二章。自分に謙遜でありなさい
「人はみな自然に知識を求める」(アリストテレスの言葉)。けれども、神を畏れずして、その知識も何の役に立とうか。
むしろ、神に仕える無学の田舎者のほうが、天体の運行を研究しながら自己をなおざりにしている傲慢な哲学者よりも優るのである。
自らを深く知る者は、必ず自分を低くして、人に誉められても決して喜んだりしない。
たとえ世のあらゆる事物を知り尽くしたとしても、もし愛に欠けるなら、神のみ前でそれらの知識はわたしにどういう役に立とうか。神は実際の行為によってわたしをおさばきになるからである。
みだりに知識を求めるのはつまらない。いたずらに混乱と迷いとを重ねる原因となるだけである。
とにかく、学者は博学と思われたがり、賢者と言われたがる。
けれども、たいていの知識というのはわれわれの霊魂に、ほとんど、いや、全く利益がないのである。
だから、自分の霊の救いに役立つ以外の事に熱中するのは、本当に愚かである。
余計に言葉を弄したとしても、それが霊魂を満足させるわけではない。よい生涯こそが心をさわやかにし、また潔白な良心こそが、神に対して大きな信頼を起こさせるのである。
あなたの知識がたとえ増えたとしても、それに応じてあなたの生涯が聖化しないなら、あなたはかえって自分のさばきを厳しくさせるばかりである。
だから、どんな技術をも学問をも決して誇るな。むしろあなたに与えられた知識のために恐れおののくべきである。
もしあなたがすぐれた知識を持ち、多くのことを理解していると自分に思えるようなことのあったならば、ぜひ知らねばならない。あなたのまだ知らない事はまだたくさんあるのだ、ということを。
「高ぶる心をもつな」(ロマ11:20)、むしろ自分の無学を知りなさい。学問があなたより優れ、また律法に通じている者はたくさんいることだろう、そういうことを思わずに、なぜ自分を人の上に置こうとするのだろう。
もしあなたが何かを役に立つこととして知り学ぼうとするならば、「それがだれにも知られず、また何の価値ないとされることを喜べ」(聖ボナベントゥラの言葉)。
最も深い知識、最も役に立つ学問とは、人が自己を知り、自己を軽視することである。
自己を無価値な者として、いつも他人をよい者、高い者として見上げることを知ることこそ、知識のきわみ、徳のきわみである。
人がもし罪を犯して、それがとても重大で、そしてそれをあなたが実際に見たのだとしても、決してあなたがその人よりも善人であると思ってはならない。あなたのその善人の状態が、はたしていつまで続くだろう。あなた自身もそれを知るはずがないのである。
われわれはみな罪を犯してしまうもろいものである。しかしあなた自身は、自分ほどもろいものはない、と思わねばならない。

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