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真理子日曜学校
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キリスト真理自由教会(フレーム表示)
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十の誓い
十戒じゃなく十の誓い
聖書の十戒は
出20:2-17
申5:6-21
を見てください。当教会では聖書の十戒をそのまま読むのではなく、神様からの命令文として書かれた聖句を、私たちひとりひとりの誓いの形に改め、かつ、キリスト真理自由教会流の解釈をほどこして誓いの文としました。
一
《
ひとつ
》
わたしは
世界各国
《
せかいかっこく
》
の
伝統
《
でんとう
》
を
尊重
《
そんちょう
》
し、その
中
《
なか
》
で
主
《
しゅ
》
を
唯一
《
ゆいいつ
》
の
神
《
かみ
》
とします。
一
《
ひとつ
》
わたしはあらゆるものやあらゆる
考
《
かんが
》
えにとらわれません。
一
《
ひとつ
》
わたしは
主
《
しゅ
》
を、
名前
《
なまえ
》
まで
忘
《
わす
》
れるほどに
身近
《
みぢか
》
に
感
《
かん
》
じます。
一
《
ひとつ
》
わたしはしっかりと
休息
《
きゅうそく
》
をとります。
一
《
ひとつ
》
わたしは
父母
《
ふぼ
》
および
先祖
《
せんぞ
》
を
敬
《
うやま
》
います。
一
《
ひとつ
》
わたしは
人
《
ひと
》
を
殺
《
ころ
》
しません。
一
《
ひとつ
》
わたしは
愛
《
あい
》
と
体
《
からだ
》
を
大切
《
たいせつ
》
にします。
一
《
ひとつ
》
わたしは
盗
《
ぬす
》
みません。
一
《
ひとつ
》
わたしはうそをつきません。
一
《
ひとつ
》
わたしは
他人
《
たにん
》
をうらやみません。
解説
一 わたしは世界各国の伝統を尊重し、その中で主を唯一の神とします。
当キリスト真理自由教会はキリスト教他教派およびキリスト教以外の諸宗教の伝統を尊重し、諸宗教の平和的共存をめざします。当教会だけでなく現実に存在する諸教派の教会の門を気軽にたたいてください。さらには他宗教の行事に参加する機会があれば積極的に参加してください。主を唯一の神とする信仰がしっかりしていれば、たとえ他宗教の礼拝をしたとしてもそれは単なるあいさつでしかありません。
一 わたしはあらゆるものやあらゆる考えにとらわれません。
「偶像」とは、何かを絶対視してとらわれることを意味します。目に見える像を刻んだり所持したりしていても、それを神とせず絶対視していないのならば、あるいは唯一の主なる神をおぼえるための手がかりとしているのであれば、否定しません。逆に、目に見えない考えや書物や言葉でも、それを絶対視するならば、偶像崇拝として厳しく排します。たとえば聖書を誤りなき絶対の行動規範にしたり、特定の教派・宗教の考えを絶対視したりすることを戒めます。
一 わたしは主を、名前まで忘れるほどに身近に感じます。
宗教の最終の目標は、神様の存在を忘れることです。そのくらいまで神を身近に感じることが「神の名を唱えるな」ということなのです。
一 わたしはしっかりと休息をとります。
日曜日・土曜日・金曜日にこだわらず、少なくとも7日に1日はじっくり休みましょう。また1日のうちの休息時間を十分にとりましょう。その時間を自分を見つめなおすことにあてましょう。
一 わたしは父母および先祖を敬います。
一番目にも関連しますが、父母および先祖を敬うことは、自分の属する伝統を尊重するということです。たとえ他宗教であっても伝統行事は大切にしましょう。
一 わたしは人を殺しません。
はい。殺さないでください。人を殺さねば生きていけない究極のサバイバルな状況にあっても、ぎりぎりまで、人を殺さないですむ方法を考えて実行してください。
一 わたしは愛と体を大切にします。
当キリスト真理自由教会は必ずしも処女(童貞)性を絶対視しません(それは偶像崇拝です)し、同性愛や異性装をも否定しません。しかしどのような愛の形であれ、愛は自己の欲望を満たすものではなく相手を尊重する気持ちであるということ、また自己および相手の肉体を大切にするということです。このことさえしっかりしているのであれば、世にいう「姦淫」はなくなります。
一 わたしは盗みません。
はい。盗まないでください。
一 わたしはうそをつきません。
はい。うそをつかないでください。
一 わたしは他人をうらやみません。
人は人、自分は自分です。それが「むさぼるな」ということです。