[真理子日曜学校]
 

クリスマスって何の日?

 

 
  1. 今日の聖句
     ルカ2:1-20
     この説教はできればクリスマスか、その前日に読んでください。

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  3. イエス様の誕生日は何年何月何日?
     クリスマスとは、イエス様の誕生を祝う日です。
     では、イエス様の誕生日って、何年何月何日でしょうか?
     西暦って、イエス様の誕生日を元年にしてるんですよね。じゃ、イエス様の誕生日は、西暦1年12月25日ってことで、よろしいでしょうか?
     実は、全然よろしくありません。
     イエス様の誕生日って、聖書に書いてないんですよ。今日読んだところにも、12月25日だなんて、どこにも書いてないでしょう?
     イエス様の本当の誕生日は何年何月何日なんでしょうか?
     西暦の1年って、どうやって決まったのでしょうか? どうしてイエス様の誕生日が12月25日ってことになったのでしょうか?
     ちょっと難しい話になって、あんまりクリスマスの気分にふさわしくないかもしれませんが、これを考えることは、こんにち、新たな意味があると思うので、あえて、ふりかえってみます。

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  5. 西暦1年の由来
     今日読んだところに「皇帝アウグストゥスが出した住民登録命令」というのがありますから、これがいつ出たかがわかれば、イエス様の誕生の年がわかりそうなものです。ところが、実はこれがいつ出たかがよくわかっていません。
     イエス様の誕生を記したもう一つの福音書、マタイには(マタ2)、イエス様が生まれたとき、新たに生まれた救い主が自分の王位を奪うかもしれないと恐れたがヘロデ王が、ベツレヘム一帯の乳児を殺したという話がありますが、こんな話はウソッパチ、ただの伝説です。
     もし本当にヘロデ王の在世中にイエス様が生まれたとすれば、ヘロデ王は紀元前4年に死んでいますから、誕生年は紀元前4年より前でしょう。歴史の本の中にはこれをもとにイエス様の誕生日を記しているものもありますが、これもどの程度信じられることやら。
     このように、福音書に書かれた歴史的(!?)事件から、イエス様の誕生年をさぐるのは、無理なのです。
     それでも昔の人は、何とかイエス様の誕生年をつきとめようとしました。
     ルカ3:23に、「イエス様が宣教を始められたのがおよそ30歳」という話があります。イエス様は宣教を始めて1年くらいで十字架にかかったとされるので、「十字架事件の時から31年前が誕生年だ」と決めてかかり、まず十字架事件が何年なのかをつきとめる努力が始められました。
     ところがなんとも困ったことに、十字架事件の記録って、ローマ帝国の記録にありそうなものですけど、全然残ってないんですよね。よっぽどイエス様って、どうでもいい無名の人として死んだってことなんですね。
     ところが、中世の伝説(あくまで伝説で、全然根拠ナシですが)によれば、「イエス様が復活したのは3月25日」らしいのです。3月25日というのは、12月25日のちょうど9ヵ月前で、受胎告知の日、つまりルカ1:26-38にある、天使ガブリエルがマリアのところに行って、あなたのおなかに救い主が宿ったと告げた日とされていました。そういう由緒ある日にイエス様は復活をした、と中世の人たちは考えたのです。このことからイエス様の誕生年がつきとめられる、と考えられました。
     教会に通っていらっしゃる方は、クリスマスと並ぶ最大の祝日、復活祭をご存知でしょう。復活祭はイエス様の復活の記念日ですが、「春分の後の満月の後の日曜日」というヘンな決め方をしています。早ければ3月下旬に来ますが、遅いとゴールデンウイークにかかったりして、「旅行したいのに今年は教会の用事でいけないや」とぶつぶつ言うかもしれません。どうしてこんなヘンな決め方をするかというと、ユダヤの暦が日本の旧暦のような、月の満ち欠けをもとにした太陰暦で、太陽暦に換算すると毎年毎年ズレるのです。中国や韓国や沖縄のお正月は旧正月を祝いますが、あれは毎年毎年ズレるでしょ?
     ですから、「復活祭が3月25日に来た年」、これをつきとめれば、それから31年前こそがイエス様の誕生年だ、というので決めたのが、現在の西暦紀元です。6世紀の小ディオニシウスが計算したもので、だんだんこれが広まって定着したのです。
     このように、西暦紀元というのは、歴史的に調べたものではなく、伝説を根拠にイイカゲンに(計算は正確かもしれないけどそもそもの発想がイイカゲンですよね)決めたものなのです。
     でも、あたらずといえども遠からずで、ホントにイエス様が生まれたと思われるあたりにヒットしたのですから、私はこれって神様の奇跡なんじゃないかと思ってますけどね。

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  7. 12月25日の由来
     さて、こんどは誕生日が12月25日とされた由来です。こちらは実は、ミトラス教の冬至を祝う祭を、キリスト教がちゃっかりとりいれて、それをイエス様の誕生日にしちゃったのです。
     ローマ帝国は不思議なことに、東方の異教がはやるんですよね。もともとのローマの神様は全然人気がなく、ユピテルがギリシアのゼウスと同一視されてしまったように、ギリシアの神々と神仏習合、いえいえ神神習合しちゃったほどですけど、東方から入ってきた宗教がやたらはやったのです。まあキリスト教もその一つかもしれませんが、キリスト教以上にはやったのがミトラス教とマニ教です。もしキリスト教がローマ帝国から徹底的に弾圧されて(弾圧は厳しかったようで実はあんまり徹底的じゃなかったからこそキリスト教は生き残ったのです)、影も形もなくなっていたら、ミトラス教がヨーロッパの精神を代表する宗教になり、いまごろ私たちもミトラス教信者になってたかもしれませんわよ。
     ミトラス教は多神教なんですけど、太陽神ミスラを特に崇拝します。これは古代ペルシアの太陽神で、東にわたって仏教にも入り、弥勒菩薩になった(名前似てますよね)とも言われています。
     冬至を機に、太陽はだんだん高く登るようになり、昼の時間も長くなります。太陽の復活ですから、たいへんおめでたいわけです。
     あまりにミトラス教の12月25日のお祝いがはやったので、キリスト教側がこの日にわざわざ祝日をぶつけたのが、クリスマスだと言われています。でないとみんなミトラス教に信者をもっていかれちゃいます。日本人は宗教を掛け持ちしている人が多く「結婚式はキリスト教、葬式は仏教、神頼みは神道」とバカにされますけど、実はヨーロッパ人だってそうなんで、キリスト教とミトラス教と掛け持ってる人だって多かったのです。同じ12月25日に祝日をやれば、掛け持ちができませんよね。
     ついでながら、本来のユダヤ教では土曜日が安息日=礼拝日だったのに、日曜日に礼拝をずらしちゃったのも、ミトラス教が日曜日に礼拝をやっていたのにぶつけたという話もあります。日曜日は「イエス様の復活の曜日」でもあり、それは聖書に根拠ありますから、日曜日に礼拝をやる大義名分がありますもの。

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  9. 異教起源だからこそ
     そんなわけで12月25日は、ホントはミトラス教の祝日だったのです。
     実は、プロテスタントの教派の中には、クリスマスをやらないところもあります。12月25日というのが聖書に根拠がないばかりか、異教のニオイがぷんぷんする日だからです。
     プロテスタントにもさまざまな教派がありますが、日本基督教団に属する教会の多くは、もともとが長老派で、長老派はカルヴァンの教えを受け継ぐところです。長老派は19世紀中ごろまではクリスマスは禁止でしたから、世が世なら日本のキリスト教会の多くはクリスマスをやらなかったかもしれません。
     しかし私は、異教起源だからこそクリスマスは由緒深いものだと思っています。
     20世紀が資本主義と社会主義の対立で動いたとすれば、21世紀はキリスト教とイスラム教の対立で動くのではないかと思うほどで、9・11以降、異なる宗教への理解と対話はますます重要になってきています。そんな中で、異教起源であっても、いいものは取り入れよう、という柔軟な姿勢こそが大事なのではないでしょうか。
     たとえば、日本には七五三というよい習慣があり、カトリックではこれを取り入れて、千歳飴まで作って祝っていますし、プロテスタント教会でもなんだかんだと名前をつけてやっています。いいものはどんどん神仏習合、神神習合すべきなのです。
     ヨハ8:12に「わたしは世の光である」という言葉があるように、イエス様を光にたとえる考え方は広くあります。そうすると、太陽が再び輝きを取り戻し始める冬至を祝う祭は、イエス様の誕生を記念する祭として、まことにふさわしいものがあります。イエス様の誕生日がわからないなら、そういう日に祝おうという、昔の人の神神習合の知恵が、クリスマスなのではないでしょうか。

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