[真理子日曜学校]
 

ワープロ


 
  1. 雑誌のプログラム
     真理子が最初に使ったワープロソフトは、雑誌のプログラムでした。アスキーにBASICで書かれたPC-8801用ワープロプログラムが載ってて、おじさんの命令で全部打ち込まされました。裏ワザとしてごく一部に機械語が使われていましたのでその部分だけ変更して、一応98でも動作しました。漢字変換もできませんでした。WindowsのIMEに文字の一覧表があるでしょ? シフトJISの配列にすると漢字の前半がJIS第一水準っていうんですけど、なんとなく音読みの順番になってません? それを利用して、真理子っていう入力だったら、「し」で始まる字、「り」で始まる字、「し」で始まる字の一覧を表示させてそこから選ぶ形でした。それでもけっこう使えましたね。当時発売されていたワープロソフトは、漢字入力は多少はましとはいえ、編集機能は雑誌のプログラムとほぼ同じ、今から見れば猛烈に性能が低くて、どんぐりのせいくらべでしたから、逆にどれでも同じだったんですね。

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  3. ワープロソフト
     その後おじさんが、どこからか松を持ってきました。松ってワープロソフトの名前ですよ。すごい高価で、たしか128000円。0が一つ余計って感じ。「どこからか」って書いたのは、おじさんにこんな高い買い物ができるわけはなく、コピー品だったからです。松はコピープロテクトがとても強力でしたけど、それでもコピーされてアングラで出回ってました。だからコピープロテクトって結局意味はなかったですね。
     このころはワープロソフトはコピープロテクトの関係で独自のシステムで動き、データ用フロッピーはBASICのものと同じでした。後にだんだんMS-DOSの上で動くようになり、松もMS-DOSに移行しましたけど、そのころはもう一太郎の時代でしたね。一太郎の価格がたしか5万円台、これでも当時は安いって思いましたね。
     松にしろ一太郎(バージョン3まで)にしろ、当時のユーザはすごいすごいってもてはやしましたけど、真理子にはみんなどんぐりのせいくらべにしか思えませんでした。ワープロに求めているものが人と違ってたみたいです。それが何なのかは当時はわからず、後にわかりました。それは下の「一太郎Ver4」でまた書きますね。
     当時のワープロソフトは、今にして思えば、結局かな漢字変換機能だけで評価されてたんじゃないかと思うほど、かな漢字変換能力が重視されました。というより、どのソフトもわがままで、他方式を許してくれませんでした。たとえばMS-DOSの他のアプリでどの方式を使っていたとしても、一太郎を使うときだけはATOKという独自の方式にしなきゃいけない。ATOKは別のアプリでも使えたけど、一太郎だけは他方式を認めてくれないんです。どのソフトもこの点は似たりよったりでした。VJEという入力方式になじんでいた真理子は、この点で一太郎が大嫌いでした。

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  5. WordStar
     CP/M上で動く英文ワープロとして一世を風靡しました。CP/M86版もMS-DOS版もありましたけど、98にZ80ボードをつけてCP/M版を動かしたほうが高速でした。
     真理子は中学生時代に使っていて、英語の勉強に重宝しました。教科書の本文を全部打ち込んで、印刷したものを英語のノートとして使ってましたから。本文を書き写すのは外国語の勉強にとても役立ちますが、打ち込むというのはあんまり書き写しの代用にはならないみたいです。勉強のためなら手書きのほうがいいですね。
     英文ワープロですから日本語は使えないんでけど、高校に入った87年に、日本語を混ぜることができるWordStar 2000J(通称Twinstar)が出ました。2000って書いてますけど出たのは87年でした。ところがこれの出来が悪く、結局「Z80ボードでCP/M時代のWordStar」っていう生活は、高校卒業まで続きました。
     出来が悪かったというのは、Twinstarの責任じゃなく、プリンタの問題でした。今のプリンタって、パソコンから送られてくる画像データを印刷するだけの機械ですけど、昔のプリンタは文字のフォントを内蔵していて、パソコンからは文字コードを送るだけだったんですね。
     WordStarのよさは、ジャスティフィケーション。つまり、右側がキレイにそろうってことでした。Wordでいえば「段落の両端揃え」です。タイプライターで打った文書はどうしても右側が不ぞろいになります。昔の人は、とりあえずだだっと打ってから、どれだけスペースを入れたら右側がキレイにそろうかっていう計算をして打ち直したらしいですね。これを自動的にやってくれたのが英文ワープロでした。昔のプリンタの各文字のフォントの横幅は一致していたので、字数を計算するだけで右側がそろったのですね。
     日本語が混在しなければ、プリンタ内蔵のけっこうキレイな英文用フォントを使うことができました。ところが日本語が混在するわけですから、英文用の文字はJISの漢字フォントの半角文字で出さなければ右側がそろわない。このフォントが猛烈に汚かったのです。この方式に固執する限り、どんないいソフトでも絶対にこの問題は避けられません。
     これを解決するには、パソコン本体のほうにフォントを用意して、画像を送って印刷するという方式しかありません。もちろんそのフォントはプロポーショナル、つまり1字1字横幅が違うものです。それでもしっかりドット数を計算すれば、日本語を混ぜようと何をしようと右側はそろうはずです。だって今のWordってそうじゃないですか? つまり、Windows方式にしろってことですね。それをしない限り右側はそろわない。
     WordStarのその後のバージョンはこういう方式になりましたけど、DOSでこれをやっても出力は遅いし汚い。当時のプリンタって今の言い方でいえば100dpi程度でしたもん。結局はWindowsと、Windowsにふさわしいプリンタが出てこない限りダメだったってことよね。
     WordStarなどの英文ワープロには、スペルチェッカーが当初からあったし、後には「これじゃないの?」と候補を示してくれるまでになりました。差込印刷の機能も充実、当然、データの長短によって右側は自動的に変更です。英文ワープロは進化するにつれ、「一太郎Ver4」で書くようなアウトラインモードや目次、索引などの魅力的な機能もつくようになりましたが、DOSと当時のプリンタでは、肝心の印字がとても汚く、英文ワープロに未来はありませんでした。

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  7. 一太郎Ver4
     高校3年生だった89年に一太郎がVer4になり、大学に入って初めて自分用の98を買ってもらえたので(それまではおじさんの家で使ってました)、一太郎Ver4こそが本格的な真理子のワープロ事始めですね。それまでは結局おもちゃでした。だって高校の宿題って、ワープロ使う機会ないじゃありませんか?
     さて、一太郎Ver4はずいぶんお騒がせのワープロでした。機能を拡張しすぎてフロッピーベースでの使用が難しくなり、ハードディスクと拡張メモリがほとんど必須になってしまったこと、初期バージョンがとても動作が遅かったり不安定だったりで、回収騒ぎまであったほどですから。雑誌もずいぶんたたいてましたね。「機能のつめこみすぎ、こんな機能は不要」なんてね。でも真理子には、彼らが不要だと言うそれらの機能こそがワープロには必須だろうって思いました。このころから、雑誌やパソコンライターの書くものは信用しなくなりました。
     その「不要な機能」の象徴が、ランクとビジョンでした。これはWordでいえばアウトラインモードみたいなものです。長い論文や本まるごと1冊を書く場合、第1章これこれ、第2章第1節これこれ、第2節これこれ……という構造になります。本来は最初にしっかりそういう構造を設計してから書くんでしょうけど、アウトラインモードを使えば、とりあえず思い付きをどんどん書いて、後から「ここからここまではもっと前」とか「節だったけど章に格上げ」とかできるじゃないですか。位置を変えれば当然章数や節数が変わるけど、もちろん自動的に変えてほしいし、文章中で「第×節ではこう書きましたが」みたいに書いた×の部分も変更してほしい。そういうことがラクにできるのがアウトラインモード、一太郎の用語でいえばランクとビジョンでした。
     ランクとビジョンは数ページ程度の書類を書くなら不要ですけど、論文や本を書くなら必須の機能です。これが不要だと思われたってことは、いかにみんなが「数ページの書類」を書くことしかしていなかったかですよね。Windows95に対応した一太郎Ver7ではランクとビジョンを削っちゃったらしいです。そのころはWord使うようになったので、人から聞いた話ですけどね。
     あと、本を書くなら目次や索引も必須機能ですよね。これも一太郎Ver4ではできました。もっとも索引機能は「キーワードをともかくしらみつぶしに数え上げて作る」方式だったので、役に立ちませんでしたけど。索引を作るときは、Wordでやるように、ユーザにいちいち「ここは索引に登録」っていうタグみたいな命令を文章中に埋め込んでもらわなきゃダメなんです。一見不便そうだけど「索引を作るんならあらかじめそういう準備をしなさい」ってことなのね。他社のワープロソフト、たとえば新松にもそういう思想がなく、しらみつぶしで索引を作ったらしいので、まともな索引機能はWordになるのを待たねばなりませんでした。

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  9. Word
     Windows 3.0になると、その上で動く代表的なワープロはWordになりました。Windows自体がハードディスク必須、拡張メモリ必須でしたし、98のWindowsは遅くてたまりませんでしたから、Wordも死ぬほど遅かったですけど、一太郎Ver4のように騒ぎにならなかったのは、Windowsを仕事で使っている人が少なく、当時のWindowsやWordって「今は遅いけどマシンさえ早くなれば改善される」みたいな「夢を売る商品」だったから、どんなに遅くても、どんなに使い物にならなくても、雑誌はもてはやしたんですね。一太郎Ver4は、夢を売る商品ではなく、夢から覚めたおじさんたちが実用で使ってたので、みんな怒ったのです。一太郎はかわいそう。雑誌がいかに信用できないかですね。
     Wordは真理子がほしかった機能をすべて実現してくれたので、やっと真理子もワープロを使う気になりました。大学では英語やいろんな外国語のお勉強に使いましたし、卒論も当然Wordで書きました。この過程でWindowsが遅い98に見切りをつけて、IBM互換機にしたんです。うちの学部がバカで、「卒論は原稿用紙に手書き、ただし英文の場合はタイプライターも可」なんて言ったので、全部をCourierフォント(タイプライター風のフォント)にして出してやりました。

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  11. 多言語
     真理子の属した学部はいろいろ好きな科目を学べるシステムでした。いろんな言語を勉強するのが好きだったのでいろんな外国語の授業をとりました。すると勉強にコンピュータを使いたい。Windowsになればいろんな言語が使えるかとも思ったのですが、なかなかそうはいかなかったですね。
     中国語や韓国語は、Windows95あたりまではフォントで変更する方式でした。実際には日本語なんだけど、フォントを切り替えて中国語や韓国語に見せかけていたわけです。当然、フォントを1字ごとに指定できるソフトじゃなきゃだめ。Excelは、あの当時は1つのセルに1つのフォントしか指定できなかったので、言語混在データは使えませんでした。Windows98からはIEもWordもExcelもみんなUnicodeを使うようになったし、フォントもIME(入力のためのツール)も無料で入手できるようになって、とりあえず中国語や韓国語は解決。
     意外に後々までダメだったのが、英語以外の欧州言語の、アクセントなどの記号のついたアルファベット。JISの半角カナのコードとあたっちゃってるせい。XPになってやっとでしたね。
     アラビア語みたいな右から左の文字、インドや東南アジアの文字みたいに、文字要素を組み上げるタイプのものは、XP以後でした。Wordのバージョンによっては上や下に打つ点が欠けたりとか問題も多く、他のソフトを併用して解決することも。ビルマ語みたいにUnicodeにあるのにサポートされてないものもある。ひょっとしてミャンマーの軍事政権に抗議してるのかしら。チベット語はちゃんとありますからね。まあサードパーティーからもいろいろ出てるし、現在進行形かしら。
     Windows7だと大丈夫になるのかと思ったら、Windows7って多言語についてはVistaと全然変わらないですね。まだビルマ語がダメ。もう言語を増やさないの?
     意外だったのが、韓国のソフトが日本語のWindowsで動かなかったこと。ホントは動くはずなんだけど、ファイル名やフォント名にハングルが使われてると、日本語のWindows 95/98/Meではそれが化ける。化けるだけなら手探りで使うこともできるけど、インストールすらできないこともしばしば。むしろDOSのソフトのほうが動く確率が高かったです。なんという逆説! ここらへんはやっと2000/XPで解決。

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  13. ワープロ専用機
     今はワープロっていうとパソコン上のソフトですけど、昔は専用機がありました。けっこう後の時代まで使われてましたよね。インターネット以前のパソコン通信じゃ、ワープロでアクセスする人がけっこういましたもの。それが90年代前半ですからね。ワープロ専用機も簡単なパソコン的機能をつけたりしていたんで、表計算もパソコン通信もでき、これならパソコンは不要っていう人も多かったんです。NECの文豪mini5なんか、実はCP/Mマシンでして、起動のときに特定のキーを押してるとCP/Mマシンとして立ち上がったので、昔のCP/Mソフトを引っ張り出してきて、学校にあった文豪mini5で動かして遊んだりしました。
     真理子は最初からパソコンを使っていたので専用機を使うことはありませんでした。専用機の値段って、それぞれの時代のパソコンのフルセットとほぼ同じ価格でしたから、ワープロしかできない専用機より、ワープロ以外のこともできるパソコンのほうがいいじゃありませんか。でもワープロソフトってけっこう高価だったので、それを考えたら専用機のほうが安かったかもしれません。
     高校の先生が富士通のワープロ専用機OASYSを持ってて、その先生が顧問をしている部活の仕事で私も触りましたが、すでにJISのカナ配列に慣れている私には、あの親指シフトという独自配列は拷問以外の何ものでもありませんでした。特にシフトが同時打鍵方式だったのがイヤでした。「シフトキーを押しながらキーを押す」っていう場合、普通はシフトキーのほうを0コンマ数秒先に押しますよね。それがほぼ同時でなければシフトと認識してくれなかったんですから。ローマ字入力もできたんですが、日本語をローマ字入力することすら私には拷問ですからね。今でもカナ入力ですよ。
     あのころは、親指シフトがどれくらい優れているかっていうので、いろんな入力スピード比較をやってましたけど、一人の人間が複数方式を使いこなすのはムリで、慣れの問題って大きいですから、あの比較は意味がなかったですね。百歩譲って親指シフトのほうが速く入力できたとしても、それに慣れるまでの苦労を考えたら、別方式に慣れている人には全く意味のない実験でしたね。セックスのときに男と女とどっちが気持ちいいかっていうのと同じくらい意味がない……、あ、こんなこと書くページじゃなかったですね。
     ところで、Windowsって複数方式の入力ができます。英語(米国)のところにはDvorak配列なんていうのもありますよね。なんで親指シフト配列をWindowsの標準機能として選択できるようにしてあげないのかしら? シフトキーの位置や機能が違うとはいえ、カナの配列が同じになるだけでも意味があるのでは? 実際、親指シフト@Wikipediaの下のほうにいろんなエミュレータが紹介されているので、需要はあるはずなのに。そのくらい、親指シフトって実はあんまり普及してなかったってことなのね。

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