[真理子日曜学校]
 

他宗教とのおつきあい

 

 
  1. どうぞご自由に
     キリスト真理自由教会のコースでいろいろ書いてるように、当教会は他宗教にきわめて寛容です。無節操だとお思いかもしれませんが、「本当にキリスト教の信仰がしっかりしていれば他宗教の行事に参加してもそれは挨拶、見学でしかない」「神様は唯一なんだから、他宗教はキリスト教の考えをやや回りくどく別の視点から見たものにすぎず、山の頂上を目指すのにいろいろな登山道があるようなもので、遠回りではあっても結局は同じところに到達する」ということです。
     この点をおさえておけば他宗教とのおつきあいの問題は全部解決するのですが、念のため個別にいろいろお答えします。

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  3. 死んだら家のお墓に入らないのか
     当然入ります。
     というより、日本の葬式のシステムっていうのは仏教じゃないんです。このことをしっかりおさえておいてください。本来のインド仏教ではお墓なんか作りません。遺体を焼いたらガンジス川にまいておしまいですから。死んでしばらくしたら(俗に49日と言われます)輪廻転生で別人格としての生が始まっているので、お墓なんか作っても意味がないというわけです。
     日本の葬式は、仏教だの儒教だの何だのがごちゃごちゃ混ざってできた習慣であり、仏教やキリスト教といった信仰とは別次元に、いわばもっと下にあるものです。それだけにとても強固な習慣であって、逆らうのがほとんど困難なほどです。どういう宗教を信じようが、葬式のシステムにはほとんど変更がないでしょう。せいぜい、葬式のときにお坊さんを呼ぶのか牧師様を呼ぶのか、創価学会みたいに友人葬ですませるのかという違いだけでしょ?
     だから当然、あなたの骨は家のお墓に埋葬されることでしょう。それでいいんです。当教会では死生観を強要しませんが、一応キリスト教のふつうの考え方では世の終わりにみんな復活してさばきを受けることになっていますから、それまでどこにいようとなんら関係ありません。

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  5. 仏壇や位牌は処分すべきか
     ご自由にどうぞ。あなたのご一家全員がクリスチャンになったら仏壇は不要になるかもしれませんが、そうでなきゃその仏壇が必要な家族がいるってことですから、処分しちゃいけません。ご一家全員がクリスチャンになったときに、処分するかどうかを話し合いで決めてください。気持ち悪いなら処分する。気にならないならそのまま。カトリックの家庭祭壇って仏壇そっくりですから転用する手もあります。資源は有効に使いましょう。
     位牌だって死んだ先祖を思い出すよすがです。逆に質問しますが、もし気持ち悪くて処分したいとしても、ではあなたはその代替物として何をもって先祖を思い出すよすがにするのでしょうか? キリスト教ではそういうののキマリが特にないですからね。
     「十の誓い@キリスト真理自由教会」の5番目に「私は父母および先祖を敬います」というのがあるでしょ? 普通の教派なら十戒の5(4)番目の「汝の父母を敬え」にあたります。これ、十戒の中でもないがしろにされてる項目じゃないかしら? 父母、また父母の父母……という先祖を敬うやり方が、キリスト教ではしっかり定められてないんですよ。これ盲点ですよね。
     え、写真を飾る? え、命日を書いたノートを置く(仏教でいう過去帳ね)? いいでしょう。でもそれって、位牌とどういう違いがあるんでしょうか? 位牌が偶像崇拝というなら写真だって偶像崇拝じゃありません? 要は位牌って写真やノート程度のものでしかないんです。だったら逆に、あなたがクリスチャンになっても、その位牌をもって先祖を記念したとして、どういう不都合があるでしょうか?

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