[真理子日曜学校 - キリスト真理自由教会(フレーム表示) ]
 

当教会の特徴


 
  1. 当教会の特徴
     キリスト真理自由教会で書いた当教会の特徴をもう少し詳しく書きましょう。

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  3. サイバー仮想教会である
     キリスト教において教会(ἐκκλησία エクリシア)というのは「招集された者たちの集団」です。神様に呼ばれた人(=信徒)が集まればそこが教会であって、建物は必要ありません。
     その一方で、ネット上のサイトというのが果たして信徒の交わりの場といえるのかどうかですが、よくわかりません。でも、たとえ街角で福音を一方的に宣べ伝えるだけであっても、それを聴いてくれる人がいる限り、それは信徒の交わりの場と言えるのではないかと思います。ですから、このサイトを見てくれる方(あなたのことです)がいて、あなたが自分をクリスチャンだと思う限り、ここはまさしく教会なのです。

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  5. 儀式を行えない
     結婚、聖餐などの儀式を行うことはできませんので、あらかじめ掲示された説教を読んでいただく(つまりは普通にサイトのページをいろいろ見ていただく)ことを中心とします。
     将来的には、説教をいっぱい書きためて、教会暦に従って全日曜日ぶん用意し、MIDIファイルで音楽を流しながら日曜礼拝を行うことも考えています。

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  7. しっかりした教会員制度はない
     儀式を行えないということは洗礼も行えません。ですからしっかりした教会員制度はありません。あなたが教会員だと思えば教会員です。
     念のためですが、真理子修道会というのは当教会の信徒であるか否かに関係なく入れる、PDF資料閲覧などを目的とした会員専用ページですので、お間違えなきよう。こちらは、著作権が切れていない著作物を不特定多数に公開しているという非難をかわすため、ご住所や連絡先を書いていただいて真理子の友達になってもらうという組織です。
     なお、何かの理由で、クリスチャンであることの証明書が必要ならば(そんな必要なんて発生するんでしょうか?)、堅信の儀式(具体的にはメールのやりとり)を経た上で証明書を発行します。これが当教会が行う唯一の儀式です。当教会はこの堅信式をもって一般教会でいう洗礼にかわるものといたします。もっともこの洗礼を他教会が有効と認める可能性は限りなくゼロに近いですけどね。少なくとも真理子はこの堅信(=洗礼)を有効と認めており、洗礼・堅信は生涯一度が原則ですから、他教会の洗礼は絶対に受けません。

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  9. 他教会、他宗教との掛け持ちも可。
     教会員制度がないので他教会に属する人でも当教会の教会員だと思っていただれば掛け持ち可です。さらには他宗教の信者さんでも当教会の教会員になることが可能です。同一人が複数の宗教団体の信徒になる、たとえば某寺の檀家であり同時に某神社の氏子であるというような、日本の神仏習合のあり方は、諸宗教の共存という21世紀の重大な課題に対して日本が世界に誇って提案できるモデルだと思ってますから。

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  11. 異端にならない程度に他宗教のよい点をとりいれる。
     上に書いたように他宗教の信者でも当教会の教会員になれるわけですから、さらに一歩進んで、他宗教のよい点を取り入れます。実はカトリックでも座禅のやり方を修養に取り入れている神父さんが多いらしいですが、当教会はもっと公然と積極的に仏教などのよい点を取り入れます。たとえば、
    1. 仏教の修行のしかたを取り入れる。
    2. 方便という手法を取り入れる。たとえば死生観などのように、キリスト教の考え方と日本人の考え方との間に大きなへだたりがある場合、異端にならない程度に両者を折衷させた考え方を提案し、とりあえずそれを信じてもらい、次第に本来のキリスト教の考え方に近づいてもらうというやり方をとる。
    3. 占い、おみくじなど庶民信仰の手法を取り入れる。
    4. キリスト教諸聖人への信仰、場合によってはキリスト教以外の宗教者への信仰も取り入れる。
    などです。

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  13. 聖書をどうとらえるか
     旧約聖書39書、新約聖書27書に加え、LXXやヴルガタに収録された外典をも聖書とみなします。つまりはばべるばいぶるで扱う聖書のすべてです。
     言語と翻訳は何でもかまわないのですが、ばべるばいぶるのデフォルト聖書である口語訳あるいは新共同訳を使うことが多いです。外典でサポートしていない書については真理子の私訳(いわゆる「真理子のおまけ」を使います)。
     そのほかの外典・偽典文書も尊重します。
     ばべるばいぶるで扱っているクルアーン、イミタチオ、モルモン書という聖書外書物は、後代の人々が聖書をどう継承したか、その実例を示す参考資料として扱います。
     これら、聖書・聖書関連文書は、神の霊感によって成った文書ですが、罪びとである(誤りの多い)人間が書いたものであり、個々の部分には誤りや誇張などを含み、さらには現代には通用しがたい時代通念なども含むものです。ですから聖書に書いてあることをそのまま事実であると信じたり、行動の指針にしたりすることは、聖書を偶像として崇拝することになりますので厳に慎みます。信仰の心と理性とを研ぎ澄ませて、表面的な記述の背後にこめられた神のメッセージ、あるいは人が神を求める心を読み取っていくものとします。

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  15. 信仰は心と頭の問題だけでなく体と生活の問題
     儀式を行えず説教が中心というと、どうしても心と頭だけの信仰になってしまいますが、そのような信仰はうわべだけのものになってしまい非常に弱いと考えております。形式は自由ながらちゃんと1日5回しっかり祈ること(→「お祈りのしかた」)、聖書を読むこと(→「聖書通読行」)、自分にできる修行をすることなど、体と生活で信仰を実践することが、信仰をしっかりさせることになると考えます。

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  17. 教会から排除された、あるいは教会に行きにくい人のための癒しの場
     「忙しい」「教会の雰囲気になじめない」「教会から排除された」など、さまざまな理由で教会にいけない方の、心のささえになるような場をめざします。

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  19. 献金はナシ
     什一献金を含めあらゆる献金がありません。任意献金も禁止です。勝手にお金を送らないでください。お金をうけとったら収支報告をしなければならず大変です。当サイトの存続くらいならはした金ですから献金は不要です。
     万一、当教会主催で何かボランティアやイベントをやろう、そのためにお金が必要だということになれば、そのつど勧進を募ります。たぶんそんなこともないと思いますけど。

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  21. 掲示板は設置しない
     「信徒の交流の場であるからには掲示板くらいは必要じゃないか」という方もいらっしゃるでしょう。真理子もそう思います。
     しかし、世の中には不心得者がいて、掲示板にヘンな書き込みをしていく人がかなりいます。昔はカトリックの教会は24時間カギを開けっぱなしが原則でしたが、物騒な現代ではそれも無理のようですね。ですから当教会も掲示板は作りません。
     また、宗教系の掲示板はどうしても議論が白熱します。当事者どうしはそれで面白く有益かもしれませんが、それを読む第三者は必ずしもそう思わず、うんざりしてしまうことが多いものです。現実の教会だって、議論やクレームは礼拝の場では受け付けません。ですからやはり当教会は掲示板を設置しません。2ちゃんねるやmixi、その他ネットには、いやになるほどキリスト教関係掲示板はありますから、そういうところを利用してください。
     掲示板めいたものとしては真理子の聖書日記があります。何かイベントや新刊書籍などの告知をしたければ、メールをいただければここに掲載いたします。また、真理子修道会の修道女(士)はここへの書き込みができますので、真理子修道会に入会する手もあります。

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