[真理子日曜学校 - 聖書の言語入門(フレーム表示) ]
【17世紀英語コース】

発音


  1. 地域差
     「英語の発音なんかわかってるさ」なんて思っていたら甘いです。
     狭い日本国内でも地域によってかなりの語法・語彙・発音の違いがあります。まして英語は世界のかなり広い地域で話されているわけですから、語法・語彙・発音の違いがないはずがありません。私たちがそのことにあまり気が付かないとすれば、単に無知・不注意なだけです。
     語法・語彙はおいといてここでは発音の話だけしましょう。私たちが学校で習わされた発音は基本的にアメリカ式です。もっともGet out.みたいに、母音と母音の間のtがみんなrになってしまうような、コテコテのアメリカ式ではなく、「おとなしいアメリカ式」というところでしょうか。
     イギリス英語の発音がこれと少々異なることは比較的知られており、イギリス英語専門の語学書もいくつかあります。
    1. 早川嘉春、ジョン・スネリング『CDエクスプレス英語』(白水社)
    2. ミツコ・ホフ『イギリス英語を話そう』(明日香出版社)
    しかし、狭いイギリスだってサッカーではイングランド、ウェールズ、スコットランドが分かれるように地域差がありますし、ましてやアメリカは地域差、階層によってかなりの違いがあります。またアイルランド、オーストラリア、インド……のように国が違えばなおさらです。こうした地域差、階層差がよくわかる教材としては
    1. ジョゼフ・コールマン著、渡辺順子訳『いろんな英語をリスニング』(研究社 2008)
    2. 中谷美佐『ナマった英語のリスニング English around the World』(ジャパンタイムズ 2004)
    3. ボイエ・デ・メンテ(Boyé De Mente)編著『On the Streets of America アメリカ英語方言のリスニング』(DHC 2002)
    などがあります。
     KJVは(King Jamesというくらいですから)イギリスで作られたものですからイギリスの発音で読めばいいのですが、何かにつけてイギリスに対抗意識を持ってきたアメリカ人も、こと聖書に関してはKJVを愛用してきました。これは他国も同様です。ですから「KJVだからイギリス式」と限ったものではありません。要はどんな発音の仕方をしてもいいのですが、ともあれ英語の発音には地域差・階層差があり、それぞれの地域のそれぞれの階層の人がそれぞれの発音の仕方で、KJVなどの英語聖書を音読しているということを忘れないようにしましょう。


  2. 時代差
     現代英語はスペルはおおむね15世紀ごろの発音を反映しています。ちょうどこの時代に大陸から印刷技術が持ち込まれ、この時代の発音を反映したスペルによる印刷物が大量に出回りました。その後英語は母音を中心に発音の大変化をしてしまった(よく「大母音推移 Great Vowel Shift」と言います)のですが、スペルのほうはほとんど変化しなかったため、現在のようなスペルと発音の乖離をひきおこしてしまったというわけです。
     しかし、このような発音の大変化は瞬時に起こったわけではなく、15・16世紀のほぼ2世紀をかけてゆっくりと(それでも言語の変化としては急激な部類に属すると思いますが)起こったのです。ということは、15・16世紀の英語の発音は、ほぼスペルどおりの発音と、現代風の発音の中間段階にあった、もしくは両者の性質が共存していたということになります。
     KJVの時代である17世紀初頭は、発音の大変化が終わり、ほぼ現在の発音に近くなってはいますが、「ほぼ」「近く」なったということは、裏を返せば「完全に現在の発音と同じではない」ということです。いくつかの点で現代の発音と異なりますので注意してください。


  3. 念のため確認
     以下、私たちが学校で習った現代米国式発音と、KJVの17世紀英国式発音との違いを書いていきますが、念のため確認です。
     以下は決して「KJVを音読・朗読するときには次のような発音をせよ」と主張しているわけではありません
     真理子はヘブライ語だって古典ギリシア語だってラテン語だって、古典式と称する怪しげな「昔風の発音」なんかやめて、現代イスラエル、ギリシア、イタリアで読まれている今風の発音をしなさいと主張しているくらいですから、KJVを17世紀の発音で読めなんて主張するはずがないのです。音読はあくまで現代式でかまいませんし、必ずしも英国式でなくても、米国式だってかまわないのです。
     ただ、KJVの文法や表記の中には、現代風の発音をしていると、どうしてこうなるのかわからないというものがあります。ですから当時の発音の知識が必要なのです。
     たとえば、英語の不定冠詞は、子音で始まる語の前ではa、母音で始まる語の前ではanです。ところがKJVではhで始まる語の前では必ずanになっています。a houseじゃなくan house(Mat:10:12)なのです。これはKJVの時代にはhouseが「オウス」と発音されており、hが発音されなかったことを知らねばなりません。
     また、ハンドル(ヘンデル)のオラトリオ『救世主(メサイア)』を聴いていると、過去・過去分詞形のedを含む音節には必ず音符がわりあてられていることから、KJVの時代にはedは必ずエドのように母音を伴って発音されていたことがわかります。このように、歌をうたうときには当時の発音に従わないと楽譜どおり歌えないということもあるでしょう。
     しかし、私たちが音読・朗読をするのは過去の音の響きらしきものを再現するためではなく、意味をよりよく理解するためにやっているのですから、一般的な音読・朗読の場では現代式の発音でかまわないし、地域も特に英国に限らず、米国式発音でもよいこととします。