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第十六章 アビナダイ、その予言をつづける。キリストは唯一の贖い主。復活と裁判。 このように言い終ってから、アビナダイはその手を聴衆へ伸して、また次のように言った「よろずの民が主の与えたもう救いを見る時と、あらゆる国民、あらゆる血族、あらゆる国語の民、あらゆる人々が心を一つにして神の裁判は正しいと神の御前に告白する時がくる。
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その時悪人は主の御言葉に聞き従っていなかったから、追い出されて泣き叫び涙を流し歎き悲しみ歯がみをするであろう。
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かれらは肉欲におぼれその心がきわめて悪く、悪魔がかれらを司どるから主が贖いたまわない。この悪魔は私たちの最初の両親を誘惑した昔の蛇であって、それが誘惑したために私たちの最初の両親は堕落し、その堕落したためにすべての人類は肉のことを思い肉欲に耽りその心がきわめて悪く善悪を区別する力があって甘んじて悪魔に従うようになった。
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すべての人類はこのように堕落して神の御前から追い出されたが、ごらん、もしも堕落して神の御前から追い出されている境涯からその民を神が贖いたまわないならば、かれらはとこしえにその境涯にとどまるのである。
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しかし、あなたらは、たえず自分の肉欲をほしいままにし罪悪の道と神に背く道とを進む者は、その堕落した境涯にとどまって悪魔がかれを司どる力をみな持っていることを忘れてはならない。このような者は神の仇であって、まだ贖われたことがなかったと同じ有様に居る。悪魔もまた神の仇である。
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さて、将来起ることが今すでに起っているように話すと、もしもキリストがこの世に降臨したまわないなら贖われることは決してない。
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もしもキリストが墓の勝利を奪い死の苦痛をなくするために、死者の中からよみがえりたまわないならば、または死の縄目を断ち切りたまわないならば復活は決してない。
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しかしながら、確かに復活があるから墓は勝つことができず、死の苦痛はキリストによって除かれる。
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キリストは世の光であって世の生命である。まことにその光はとこしえであっていつまでも薄らぐはずがなく、その生命は限りがなくてまたと死ぬはずがない。
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この死んでなくなる身は不死不滅となり、この朽ちるはずの身は朽ちないものとなり、後にその身でなした行いの善悪に応じて裁判を受けるために神の法廷に召されるのである。
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この時、その行いが善ければ復活してから限りない生命と幸福とを受け、その行いが悪ければ復活してから永遠に神の前から断ち切られる罰を受ける。永遠に神の前から断ち切られるとは、その人が服従した悪魔の所に引きわたされることである。
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この罰を受ける者は、肉の欲をほしいままにし、主が憐み深い手を自分に伸べておりたもう時主に祈り求めたことのない者である。主の憐み深い手は本当にかれらに向けられたけれども、かれらはこの御手にたよることをせず、その罪悪を戒められたがそれを止めず、悔い改めよと言われたけれども悔い改めをしなかった。
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さて、あなたらは当然自分らの罪悪を恐れおののいて悔い改め、キリストのほかにはだれもたよりにして救いを受ける方がないことを忘れてはならないではないか。
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あなたらがもしモーセの律法を教えるならば、その律法が将来の事に応じて予めこれを示すものであることも教えよ。
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また贖いが真の永遠の父である主キリストによって受けられることも民に教えよ。アーメン」と。
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