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2024年3月29日(金) 通読(本日=エレ27-31,知18,クル-35回 明日=マコ15-16,1イミ18,クル-36回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕モーサヤ書 第15章
第十五章
アビナダイの予言。神親しく降臨してその民を贖いたもう。キリストが父にして子なりと呼ばれたもう所以。

さて、アビナダイはなおかれらに言った「私は、あなたらに悟ってほしいことがある。すなわち、神は親しく世の人の中に降臨してその民を贖いたもう。
そしてこの神は肉体に宿りたもうから神の御子と呼ばれたもう。またその肉体を父のみこころに従わせたもうから、父にしてまた子である。
神の力で胎内に宿りたもうたから父であり、肉体を持ちたもうから子である。このように父にもなり、また子にも成りたもう。
よって父と子とは一つの神会を成したまい、かれらはまことに天地の真の永遠の父である。
このように肉は「みたま」に従う、すなわち子は父に従って一つの神会を成し、誘惑に逢ってもこれに負けず、自分の民が侮り打ち追い出し拒むままに任せたもう。
この神は世の人々の間に多くの大きな奇跡を行いたもうてから、ちょうどイザヤが『羊がその毛を切る者の前に黙っているように何事も口にしなかった』と予言をしたように引いてゆかれ、
十字架にかけられて殺されたもう。そして子の心が全く父の心に従ったのであるから、その肉体を死にさえも従わせたもう。
このように、神はすでに死にうち勝って死の縄目をたち切り、御子に世の人のためとりなしをする権能を与えたもう。
それは御子が天に昇り、憐みの心をもち、人間をいつくしむ愛情に富み、人と正義との間に立ち、死の縄目をたち切り、人の罪悪と罪とがとを負い、人を贖い、正義の要求を満足させたもうからである。
さて、あなたらに言うが、御子の代を受け伝える者はだれであるか。ごらん、あなたたちに言うが、御子がすでに身も霊も罪祭に供えたもうた時にその後裔をごらんになるであろう。しかしだれが御子の後裔になるだろうか、あなたらはどう思うか。
ごらん、私はあなたらに答えよう。主が降臨なしたもうことを予言したすべての聖い予言者の言葉に聞き従い、死がその民を贖い救いたもうことを信じ、贖い救われる時に自分の罪が許されることを信じて待ち望む者は、みな御子の後裔であって神の王国を嗣ぐ者になる。
なぜならば、御子が人の罪を負い、人を罪とがから贖うために死にたもうのはこれらの人のためであるからである。それで、かれらは御子の後裔ではないか。
およそ口を開いて予言をし、罪に陥らなかった者であって、世界が始まって以来起った聖い予言者もみなまた御子の後裔ではないか。まったく、かれらはみな御子の後裔である。
かれらは平和を布き善の良い訪れをもたらし、救いを宣べひろめ、シオンに汝の神は治めたもうと告げた者たちである。
それであるから、その足は山の上にあっていかにも美しいではないか。
今現に平和を布く者たちの足も山の上にあっていかにも美しいではないか。
また今から後とこしえに平和を布く者たちの足も山の上にあっていかにも美しいであろう。
ごらん、こればかりではない。良い訪れをもたらして平和を起し、その民を贖いその民を救いたもうた主の御足は山の上にあっていかにも美しいではないか。
主がその民のためになしたもうた創世の前から定まっているキリストの身代りの贖罪がなかったならば、まことにそれがなかったならば、人はみな永遠に亡びるほかはない。
しかしごらん、死の縄目は断ち切られ、御子は君臨して死者を司どる権能を持ちたもう。従って御子は死者を復活させたもう。
それであるから復活が起る。これはすなわち第一の復活であって過去の人と現在の人とキリストの復活がある時までの将来の人との復活である。キリストとは御子のことを言う。
さてすべての予言者とその予言を信じ神の命令を守ったすべての人々は第一の復活の時によみがえる。そのよみがえるのはすなわち第一の復活である。
これらの人々はよみがえって、自分を贖いたもうた神と共に住むことができる。このようにして、これらの人々は死の縄目を断ち切りたもうたキリストによって永遠の生命を得るのである。
また救いの道を教えられなかったからその道を知らずに、キリストが降臨したもう前に死んだ者も第一の復活にあずかる。主はかような者にも復活を与えたもう。これらの人は主に贖われて第一の復活にあずかり永遠の生命を受ける。
また幼児も永遠の生命を受ける。
しかしごらん。あなたらは神の御前に恐れおののかなくてはならない。主は、主に逆らって罪を改めないままに死ぬような者たちを贖いたまわない。それであるから、あなたらは当然恐れおののかなくてはならない。世の始めからこのかた、わざと神にそむき、神の命令を知りながらこれを守らず、罪のあるままに死ぬ者は第一の復活にあずかることができない。
それであるから、あなたらは当然恐れおののかなくてはならないではないか。なぜならば、あなたらのような者は救われないからである。主はこのような者を贖いたまわないばかりか、このような者を贖いたもうことができない。それは自分自身矛盾することをなしたもうことはできないし、また正義の当然な要求を拒みたもうことはできないからである。
私はあなたらに言う。主の賜である救いをあらゆる国民、あらゆる血族、あらゆる国語の民、およびあらゆる人々に宣べ伝える時がくる。
主よ、汝がシオンを回復したもう時、汝の番人たちは心をひとつにし、声をそろえて高らかに歌う。
エルサレムの荒れすたれた所よ、主がその民を慰め、エルサレムを贖ってこれを回復したもうたから喜んで共に歌え。
主はその聖い力を万国の民の眼に現わしたもうから、世界の隅々に至る人々までことごとく私たちの神が与えたもう救いを見るのである」と。

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