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2024年4月25日(木) 通読(本日=箴1,ユディ8,アル8 明日=エレ47-52,バル3,クル-43回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕モルモン書 第9章
第9章
不信者に対するモロナイの戒め。キリストに関するモロナイの証。変体エジプト語と言われるニーファイ人の言語。

今私はキリストを信じない人々についても話をする。
ごらん、主がこの世に来りたもうてあなたたちに現われたもう時、すなわち大地が巻物のように巻かれ、物質が酷熱で熔かされる時にあなたたちは信じないことがあろうか。あなたたちが引かれて神の小羊(イエス・キリスト)の前に立たねばならぬあの大きな日に、あなたたちは神がないと言うだろうか。
あなたたちは、その時まだキリストを否定するだろうか。または、その時神の小羊を見るに堪えられるか。あなたたちは自分に罪のあることを覚りながら、それでもキリストと一しょに住めると思うか。あなたたちは、いつもキリストの律法を濫用した罪を覚ることによって、全身が裂かれるほど良心に咎められながら、あの聖いお方と一しょに幸福に住めると思うか。
よく言っておく。あなたたちが自分の汚れていることを覚りながら聖い正義の神の御前に居る時の悲惨は、地獄にあって神の御前から断ち切られた者たちと一しょに居る時の悲惨よりもひどいであろう。
なぜならば、あなたたちが神の前に出る時は自分の生涯の行いを隠せずにありのままの自分を見、また神の栄光とイエス・キリストの聖いことを見るによって、消すことのできない火のような良心が胸に燃え立つからである。
それであるから、信仰のない人々よ。主に立ち帰れ。あの大きな終りの日に、あなたたちがすでに小羊(イエス・キリスト)に血によって清められ、罪なく清く美しい潔白な者と認められるため、イエスの御名によってひとえに一生けんめい御父に祈れ。
神から授かる啓示を否定し、啓示はもはや廃止されて今は啓示も予言も聖霊の賜も病を医すことも異語を語ることも異語を訳することもないと言う人々よ。よく言っておく。
これらのことを否定する人々は、キリストの福音を知らず、聖文を読んだこともない。聖文を読んでもその意味が解らない。
神は昨日も今日も、いつまでも同じにましまして変ることなく、また変ろうとする様子も見えないことは聖文に言ってあるではないか。
しかし、あなたたちがもしも変ることがありまた変ろうとする様子の見える神を想像しているならば、それは奇跡を行わない神を想像しているのである。
しかしごらん、私は奇跡を行いたもう神をあなたたちに教えよう。それはアブラハム、イサク、ヤコブの神であって天と地と天地の中にある万物を造りたもうた神である。
この神はアダムを造りたもうた。そしてアダムによって人類の堕落が生じた。人類の堕落があったから父であり子であるイエス・キリストがこの世に来りたもうた。そしてイエス・キリストによって人類の贖いが来たのである。
イエス・キリストの為したもうた人類の贖いによって、人は主の御前に帰ることができる。よって万人が贖い救われるはこれによる。キリストの死は復活を来し、復活は人を永遠の眠りから救う。永遠の眠りはラッパが鳴りひびく時に神の力によって万人がこれから呼び覚される。そして大小の区別なくあらゆる人々が、みなこの永遠の眠りである肉体の死の縄目から救われ放されるのでここによみがえって神の法廷に立つ。
その時みなは聖者の裁判を各々受けて、汚れた者は汚れた有様に、義しい者は義しい有様に、幸福な者は幸福な有様に、また不幸な者は不幸な有様にとどまる。
そもそも、奇跡を行うことのできない神を想像したすべての人々よ。あなたたちに尋ねたい。私が今話したこれらのことはみなすでに過ぎ去った時のことであるか。もう終りになってしまっているのか。よく言っておくが、そうでない。また、神は奇跡を行う神の資格をなくしては居りたまわない。
神の為したもうたことは私たちの目に驚嘆すべきことに見えるではないか。神の驚嘆すべき御業のこころが解る者が一人でもいるか。
神の御言葉のちからによって天地ができたこと、また神の御言葉のちからによって人が塵から造られたことを奇跡ではないと言い張り、また神の御言葉のちからによって奇跡が行われたことはないと言い張る者があろうか。
イエス・キリストが大きな奇跡を数多く行いたまわなかったと言える者が一人でもあろうか。使徒たちも大きな奇跡を数多く行った。
もしもその時神が奇跡を行いたもうたならば、どうして神が変ることなしに奇跡を行うことを止めたもうであろうか。よく言っておく。神は変りたもうことはない。変りたもうことがあれば、神は神である資格がなくなるけれども、神は神である資格を失わずに現に奇跡を行う神にまします。
神が世の人々の中で奇跡を行いたまわなくなるのは、世の人々が無信仰に陥って正しい道を離れ、その信頼する神を知らなくなるからである。
よく言っておく。何ら疑わずにキリストを信ずる人は、何でもキリストの御名によって御父に願うものを与えられる。この約束はあらゆる人々、すなわち世界の隅々に至る一切の人々にひとしく及ぶものである。
ごらん、神の御子イエス・キリストは群集の聞いている所で、あの生きのこるはずの弟子たちとほかの弟子たちに次の通り言いたもうた「全世界を経めぐって一切の人々に福音を宣べ伝えよ。
信じてバプテスマを受くる者は救わるべく、信ぜざる者は救われず。
而して信ずる者には次のしるし伴わん。すなわちわが名によりて悪霊を追い出し、異語を語り、蛇を手にとり、毒を飲むとも害を受けず、病人に按手礼を施さばその人癒ゆ。
疑うことなくわが名を信ずる者にはわれはわが一切の言葉の確なることを証明す。世界の隅々に至る一切の人々に及ぶ約束なり」と。
ごらん、主の御業に反抗のできる者が一人でもあるか。神の言葉を否定できる者が一人でもあるか。主の全権全能に逆らう者があるだろうか。主の御業をいやしむ者があるだろうか。またキリストの子らをいやしむ者があるだろうか。主の御業をいやしむ一切の人たちよ。見よ、お前たちは疑いを抱いて亡びるのである。
それであるから、いやしんではならない。疑いを抱いてはならない。主の御言葉に聞き従いイエスの御名によってなくてはならぬものを御父に願い求めよ。疑ってはならない。信ぜよ。昔の時のように真心をもって主の御許へ来て、主を畏れかしこみ善い行いをして自らの救いを全うせよ。
この試しの生涯の間賢くせよ。自分の身からあらゆる汚れを払い去れ。情欲を満そうとして願い求めてはならない。むしろ何の誘惑にも負けずに生ける真の神に仕えると言う固い決心をもって願い求めよ。
バプテスマを受ける資格のない中は慎んでバプテスマを受けてはならない。キリストの聖餐を受ける資格のない中は慎んで聖餐を受けてはならない。慎んで、すべてのことを為す資格のある者となり、またこれを生ける神の御子イエス・キリストの御名によって行え。このようにして終りまで忍ぶならば必ず断ち切られることはない。
ごらん、私はあなたたちがいつか確に私の言葉を聞くはずであることをとうに知っているから、私がこのように話すのはちょうど墓から声を出して話すと同じである。
私、私の父または私の父の前にこの記録を作った人たちを、不完全な所があるからと言って批難するな。むしろ神が私たちの不完全な所をあなたたちに知らせて、あなたたちに私よりももっと賢い者になる道を学ばせたもう神のめぐみに感謝せよ。
さて私たちは、私たちのいわゆる変体エジプト文字を学んだ知識でこの記録を作った。この文字は代々私たちの間に伝わってきて、私たちの言語が変るにつれて変ったから変体エジプト文字と言うのである。
もし私たちの版が十分に大きかったなら、ヘブライ語で書いたであろうが、ヘブライ語も私たちのために変っている。しかし、ヘブライ語でこの記録が書けたならば私たちの記録には不完全な所がなかったであろう。
しかし、主は私たちが書き記したことを知りたもう。そればかりでなく、私たちのほかに私たちの言語に通じている者のないことを知りたもうから、この記録を解訳する方法と手段とをすでに備えておきたもうた。
そもそも、私たちがこの記録を書き記したのは、無信仰に陥っている私たちの同胞の血の責任が私たちの衣にかかってこないためである。
私たちが、私たちの同胞のために願い求めたこと、すなわちかれらに元通りキリストを知らせることは、この地に住んだ一切の聖徒らの祈ったことと同じである。
ねがわくは、主イエス・キリストが聖徒らの信仰に応じてその祈りを聞き届けたまわんことを。ねがわくは、父なる神がそのイスラエルの家に立てたもうた誓約を忘れずにこれを果し、またイスラエルの家にイエス・キリストの御名を信じさせ、この信仰によってとこしえにこれを祝福したまわんことを。アーメン。

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