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第8章 モロナイにあてたモルモンの手紙。幼児は悔改めとバプテスマの必要がないこと。 次にあげるのは、私が教導の職に任ぜられて間もなく父モルモンが、私モロナイにあてて送った手紙である。その中で父は、
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「私の愛する子モロナイよ。私はお前の主イエス・キリストがお前に心を留めて、その御教導の職と神聖な事業にお前を召したもうたことを非常に喜んでいる。
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私は祈るたびにいつもお前を心に留めて、父なる神がお前のいつも御名を信ずることを認めたもうて、その限りない恵みでお前に終りまで忍ぶことを得させたもうよう神の聖い御子イエスの御名によって祈っている。
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私の子よ、私は非常に私を悲しませる事についてお前に話そう。お前たちの中に論争が起るのは悲しいことである。
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もし私の耳に入ったことがうそでなければ、お前たちは自分らの幼児にバプテスマを施すことについて互いに論争をした。
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私の子よ、私はお前がこの大きな過ちを改めてお前たちの中からこれを取り除くことに力をつくしてもらいたい。私はこの目的でこの手紙を書くのである。
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お前たちの中にこの論争があると言うことが耳に入ると、私はすぐこのことについて主にお伺いをした。すると聖霊の力によって主の御言葉が私に伝わってきた。そして、
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『汝の贖い主たり、汝の主たり、汝の神たるキリストの言葉を聞け。わがこの世に降りしは義人に悔改めを勧むるためにあらず。罪人に悔改めを勧むるためなり。医者の助けを必要とするは健康なる者にあらずして病人なり。幼児は罪を犯すこと能わざれば健康なる者なり。従ってアダムの受けたるのろいはわれにより幼児より取り去られてもはやかれらを如何ともする能わず。また割礼の律法もわれによりて廃されてもはやなし』と。
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聖霊がこのように神の言葉を伝えたもうたから、私の愛する子よ、私はお前たちが幼児にバプテスマを施すことはかえって甚しく神を嘲弄しているだけであることを知っている。
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よく言っておく。お前たちは罪を犯すことができ罪の責任を負うことができる者に悔改めとバプテスマとを教えよ。すなわち、親たる者に悔い改めてバプテスマを受けなくてはならない、またその幼児のようにへりくだらなくてはならないと教えよ。かれらがそうするならばその幼児と共に救われるにちがいない。
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しかしその幼児には悔改めもバプテスマも一切不要である。バプテスマは人がすでに悔い改めたことを証明しまた確めるため、また罪の赦しを得るための神の命令を守るために施すものである。
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幼児は世の始めからすでにキリストにより救われている。もしもそうでなければ神は不公平な神であり、変ることも人をかたよって見ることもある神である。なぜならば、バプテスマを受けないで死んだ幼児の数はいかにも多いではないか。
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従って幼児がバプテスマを受けなければ救われないと言うならば、死んだ幼児は永遠の地獄に行ったにちがいない。
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よく言っておく。バプテスマが幼児に必要であると思う者は、罪の縄目に縛られて苦汁を飲まされている者である。この者には信仰も希望も愛もなく、もしその考えを改めない内に死ぬ者は地獄に行かなくてはならない。
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この幼児はバプテスマを受けたから神に救われるが、あの幼児はバプテスマを受けないから必ず亡びると思うことは甚しく恐ろしい悪事である。
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このように主の教えを曲げる者は悔い改めないと亡びるから禍である。見よ、私は神から授かった権能を持っているから恐れずに勇しく話す。完全な愛はすべての恐怖をなくするから私は人のすることを恐れない。
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私は永遠の愛が胸に満ちているからすべての幼児は私の目に等しく見える。私は完全な愛で幼児を愛する。幼児はみな等しく救われている。
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私は神が不公平な神でなく変りたもう神でもなく、無限の過去から無限の未来にわたって同じにましますことを知っている。
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幼児は悔改めをすることができない。それであるから、神の純粋な恵みを幼児が受けないと信ずることは恐ろしい悪事である。幼児はみな神の深い憐みによって救われている。
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そして、幼児はバプテスマを受けなくてはならぬと言う者はキリストの憐みを拒み、キリストの身代りの贖罪と救いの効果とを否定する者である。
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従って、このような人々は死と地獄と永遠の責苦とを受けようとしているから禍である。これは神が私に言えと仰せになったから恐れずに勇しく言うのである。お前は注意してこの言葉に聞き従え。そうしなければお前がキリストの法廷に立つときにこの言葉はお前を責める証詞となる。
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すべての幼児と律法のないすべての者はキリストによって救われている。贖いの効力は律法を与えられないすべての者に及んでいる。従って、罪があると認められない者は悔改めをすることができない。それであるからこのような者にはバプテスマの必要がなくまた利益もない。
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むしろ、このような者にバプテスマを施すのは神を嘲弄し、キリストの憐みとその聖い「みたま」の力とを否定して役に立たない形式にたよるのである。
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それであるから私の子よ、このようなことがあってはならない。悔改めは罪があると認められる者、律法に背くのろいを受けなくてはならぬ者にかなうのである。
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そして悔改めの結ぶ最初の実はバプテスマである。バプテスマは人がすでに信仰があるから、また神の命令をなしとげるために行う儀式である。この命令をなしとげると罪の赦しを受け、
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罪の赦しを受けると柔和謙遜な心を生じ、柔和謙遜な心があると聖霊が降る。この「慰め主」は希望と完全な愛とを人の胸に満す。完全な愛は人が怠らず熱心に祈ることによって、すべての聖徒らが神と共に住める終りの日まで人の胸に宿るのである。
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さて私の子よ、私がもしすぐとレーマン人に向って戦うために出て行かなかったならまた手紙を書こう。この民であるニーファイ人は悔い改めないとその高慢のためにみな亡びるにちがいない。
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私の子よ、ニーファイ人が悔い改められるようかれらのために祈れ。しかし見よ、おそらく「みたま」はすでにニーファイ人を励まさないようになって居りたもうと思う。この地方では人民が、神から受けた権能と勢いをみな亡ぼそうとし聖霊を否定している。
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私の子よ、人民は一度あの偉大なことを知ったにもかかわらず今はそれをことごとく否定しているから必ず速に亡んで、予言者たちが述べた予言と私たちの救い主が親しく告げたもうた言葉とが事実となって現われるにちがいない。
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私の子よ、また手紙を書く時まであるいはまたお前に逢う時まで、さらばである。アーメン」と書いている。
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