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2024年4月18日(木) 通読(本日=ヨブ41-42,ユディ7,アル3 明日=エレ42-46,バル2,クル-41回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕ヒラマン書 第3章
第3章
北方の地へさらに移民が行われる。大きな湖がある地。セメントの建築物。多くの記録を誌す。ヒラマンの息子のニーファイがそのあとをつぐ。

判事治世の四十三年目には、教会の中にいささか慢心がきざしたために国民の間に多少の紛争が起ったが、この紛争は四十三年目の終りにしずまった。このほかにはニーファイの民の中に何の不和もなかった。
四十四年目にも国民の間に不和が起らず、四十五年目にもかくべつの争いがなかった。
ところが四十六年目になると不和がひどくなって謀叛が多く起り、ゼラヘムラの地を去って北の地へ移住する国民が非常に多くなった。
この人たちは長い旅路を経て、ついに多くの大きな湖と多くの川がある地方へきた。
そしてかれらは、以前にその地方に住んでいた多くの人々のために荒されず樹木がなくなっていない所々へひろがった。
この地方には樹木の乏しい所があったが、そのほかには欠乏していなかった。しかし以前その所に住んだ人々の滅亡がひどかったので荒廃地と言ったのである。
北方の地には木材が少かったから、ここへ移り住んだ者たちはセメントの工事に秀でセメントを使って家を建てて住んだ。
ニーファイ人はその人口がますますふえひろがって、南方の地から北方の地へ移り、南の海から北の海に、西の海から東の海に全地の面を占めるようになった。
北方の地に居った者たちは、天幕やセメントの家に住んでいたが、後から家屋、都市、神殿、会堂、聖堂およびあらゆる建物を建てるのに入用な木材を手に入れるために、その地方に生えるあらゆる木を大きく成長させた。
北方の地には樹木が非常に少かったから、南方の地の人は船によって多くの木材を北方の地へ送った。
それで北の地の人々は木材とセメントで多くの都市を建設することができた。
アンモンの民の中にはレーマン人の血筋の者で北の地へ移住した者が多かった。
ニーファイ人の中で多くの人々は民の記録を多く作ったが、その記録はくわしい大部の記録である。
しかし本経典の中にはこの民の行いの百分の一さえものせることができない。レーマン人の事、ニーファイ人の事、この両つの民の戦争、不和、謀叛、伝道、予言、航海の業、造船の業、神殿と会堂と聖堂の建築、善事、悪事、人殺し、強盗、掠奪、あらゆる憎むべき行い、あらゆるみだらな行いなどは一々本経典のせることができない。
しかし多くの書とあらゆる記録があって、これらは主としてニーファイ人が記録したものである。
ニーファイ人が罪の淵に沈んで殺され、持物を奪われ、追い立てられ、追い殺され、ここかしこの地へ散らされることなどがあって、もはやニーファイ人と言われないまでレーマン人と雑って、よこしま、野蛮、猛悪となり実際にレーマン人となってしまった時まで、以上の記録は代々ニーファイ人に伝わった。
さて、再び私の書くべき記事へ返ろう。北の地へ移住した者について書いたことは、ニーファイの民の中にひどい不和、騒動、戦争、謀叛などがあってからのことである。
判事治世四十六年目は終った。
四十七年目にも、四十八年目にも国内にはまだ烈しい不和があった。
しかし、ヒラマンは正義かつ公平に裁判の職を勤め、慎んで神の律法と裁決と命令とを守り、たえず神のみこころにかなう事を行い、その父にならって道をふみ行ったから地に於て栄えた。
ヒラマンには二人の息子があって、兄をニーファイと呼び弟をリーハイと呼んだが、どちらも成長するにつれて主を畏れかしこむ道を学んだ。
ニーファイの民を治める判事治世の四十八年目の末、ニーファイ人の内乱と不和とはややしずまった。
判事治世の四十九年目、強盗ガデアントンが国の中で人口の多い所々に組織した秘密結社を除いては、国中平和を妨げる者はひきつづきなかった。そのころ、政府の司たちはこの秘密結社があることを知らなかったので、これを亡ぼして国外に追いはらうことをしなかった。
同じ年に、教会は非常に栄え何千人と言う人々が教会に加わって、すでに悔改めをしたしるしとしてバプテスマを受けた。
それであるから、教会の隆盛と民が受けた祝福は、大祭司たちや教師たちまでも、みな非常に驚かずにはおられないほど大きなものであった。
主の御業の栄えたことは、何万人にさえものぼる数の人々がバプテスマを受けて神の教会に入ったくらいであった。
これによって考えるに、主はすべてまごころからその聖い御名を呼び求める者に憐みを垂れたもうことが明らかである。
また、神の御子イエス・キリストの御名を信ずるすべての者のために、天の門が開いていることが明らかである。
そればかりでなく、また神の御言葉は生命があり力があって、悪魔の狡猾な謀ごと、わな、誘惑をことごとく破り、罪人を引き込むために備えてあるあの永遠の不幸の淵を安らかに渡る真直ぐで狭い道へキリストを頼る者を導く。この神の御言葉を受け入れる心のある者は誰でもこれを受け入れることができるのは明らかである。
すなわちこの神の御言葉は、この者の「霊の結合体」すなわち不死不滅となった「霊の結合体」がアブラハム、イサク、ヤコブおよび私たちのすべての聖い先祖と共に天の王国に於て席につき、いつまでもそこを去らないように、これを神の右に導くことが明らかである。
この年に、ゼラヘムラの地とそのまわりの地とニーファイ人の住む国の全体とはたえず喜びに満ちていた。
四十九年目の終りまででなく、判事治世の五十年目も平和と大きな喜びとが続き、
判事治世の五十一年目も教会に起り始めた慢心のほかには平和を妨げるものはなかった。この慢心が神の教会に起り始めたと言ったが、本当は神の教会の中でなくて、自分から神の教会に属していると唱える人々の心の中に起ったのである。
これらの人々の慢心はようやく増長して多くの同胞兄弟を苦しめるようになった。これは大きな悪事であって、国民の中の謙遜な人たちに烈しい迫害と多くの艱難とを蒙らせた。
しかし謙遜な人たちはたびたび断食して祈り、ますますへりくだっていよいよ固くキリストを信仰したから、喜びと慰めとがその心に満ち、その胸は清く神聖になった。このようなきよめはこれらの人がその心を全く神に従わせたからできたのである。
五十二年目には、国民の心に生じたひどい高慢を除いては平安を妨げるものなしにその年は暮れた。この慢心は、民が地上で大いに富み栄えたから起ったのであって、日に日に増長した。
判事治世の五十三年目にヒラマンが亡くなってその長男のニーファイがあとをついで国を治め始めた。ニーファイは正義かつ公平に裁判の職を勤め、神の命令を守り、その父にならって道をふみ行った。

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