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2024年3月29日(金) 通読(本日=エレ27-31,知18,クル-35回 明日=マコ15-16,1イミ18,クル-36回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第62章
第62章
モロナイ、ペホーランを救うために進軍する。ゼラヘムラ市を謀叛人から取りり返す。ヒラマン、リーハイ、テアンクムらへ救援を送る。レーマン人、モロナイの地へ集中する。テアンクム、アモロンを殺したが同時に自分の命も失う。レーマン人を国外へ追い払う。

モロナイはこの手紙を手にすると、ペホーランが自国と自由とを破る謀叛人でなくて忠義な人であることを知り勇気を得て非常に喜んだ。
しかしこれと同時にモロナイは、ペホーランの裁判職を奪ってこれを追い出した者たち、すなわち自分の国と神とに背いた者たちの悪事を非常に悲しく思った。
モロナイはペホーランが望んだ通り、その地に残っている軍隊の指揮をリーハイとテアンクムとに任せ、僅の兵をひきつれてギデオンの地方へ進軍したが、
通りすぎて行く所はどこにでも自由の旗を立て、ギデオンの地へ進みながら集められるだけの兵を集めたところ、
幾千人と言う人々は、モロナイの立てた自由の旗へ集ってきて、奴隷にならないよう自由を守るために武器をとった。
モロナイは進みながら集められるだけの兵を集め、ついにギデオンの地へ着いて自分の兵をペホーランの軍に加えたから連合軍は非常に強くなり、ペーカスの軍よりもはるかに強力となった。ペーカスとはゼラヘムラの地から自由党を追いはらい、ゼラヘムラの地を占領したあの謀叛人の王であった。
モロナイとペホーランとは兵を率いてゼラヘムラの地へ行って市に近づき、ペーカスの軍と会して戦を開いた。
この戦でついにペーカスは殺されてその兵はとりことなり、ペホーランは再び元の通り裁判職についた。
ペーカスの味方と捕えて牢屋に入れた王政党の者たちとは、国法に照らして裁判をされたが、国家を守るために武器を執らずむしろ国家に反抗する志があった者たちはみな罪の宣告を受けて死刑に処せられた。
この時から国の安全を保つために、このような法律をきびしく執行することが必要であった。それであるから、自由の道を拒む者は誰でも速に国法に照らして死刑に処せられた。
このようにして、ニーファイの民を治める判事治世の三十年目は過ぎ去った。この年の内にモロナイとペホーランとは自由の道に不忠な者を悉く殺し、ゼラヘムラの地と国民の間に平和を回復した。
ニーファイの民を治める判事治世の三十一年目の初め、ヒラマンがその地方を固めて守るのを助けるためにモロナイはすぐに食糧と六千人の援兵とをこれに送り、
またリーハイとテアンクムの軍には六千人の援兵と十分な食糧とをこれに送った。これはレーマン人を防いで国を固めるためであった。
さてまたモロナイとペホーランとは、ゼラヘムラの地に多くの兵をのこしておいてニーファイハ市でレーマン人を破ろうと決心し、大軍を率いてニーファイハの地へ進んだが、
その途中でレーマン人の兵を多く虜にしてその多くの者を殺し、その食糧と武器とを奪いとり、
それから後で、かれらに強制して二度とニーファイ人に対して武器をとらないと言う誓約を結ばせた。
かれらはこの誓約をたててから、アンモンの民と一しょに住むために送られたが、その時殺されなかったレーマン人はおよそ四千人であった。
モロナイとペホーランとは、この四千人を送ってからニーファイハの地を指して進み、ニーファイハ市に近づくと市の端に近いニーファイハの平原に陣を張った。
モロナイはレーマン人が出てきて平原で戦って欲しいと思ったが、レーマン人はニーファイ人が非常に勇敢であるのを知り、またその数が多いのを見て出てきて戦う勇気がなかったからこの日には戦がなかった。
その夜になると、モロナイは暗にまぎれてその都市の塀にのぼり、レーマン人の軍が都市のどこに陣をとっているかをうかがうと、
かれらは東の方、都市の入口の傍に居て眠っていた。そこでモロナイは軍に帰り、塀の内側に下すために強い縄とはしごとを急いで造らせ、
それから軍に号令して進んで塀の上にのぼらせ、レーマン人が陣を張っていない都市の西の方から縄とはしごとを使って塀の内側に下らせた。
兵は夜の内にみな強い縄とはしごとを使って市内に入り、夜明けごろにはもう全部塀の内側に入ってしまった。
レーマン人の兵は目を覚してモロナイの軍がもう塀の内側に入ってしまったのを見ると、非常に恐れおののいて入口から市外へ逃げ始めた。
モロナイは敵の逃げるのを見るや、軍を進めて敵と戦い多くの兵を殺しまたは多くの敵をとり囲んでこれをとりこにしたが、敵の残兵はモロナイの地で海岸に近い国境へ逃げて行った。
このようにしてモロナイとペホーランは、自分の軍に一人の死者も出さずにニーファイハ市を占領したが、レーマン人の方は少からぬ死者であった。
とりこになったレーマン人の中には、アンモンの民について自由の民になりたいと願った者が多かったが、
願った者はみなその願いを許された。
そこでとりこになったレーマン人は、みなアンモンの民に加わって一生けんめいになって働き、あるいは地を耕してあらゆる穀物を作り、あるいはあらゆる家畜を飼い始めた。ニーファイ人はとりこになったレーマン人をことごとくこのように処置したから、レーマン人のとりこから起る大きなわずらいをまぬかれた。
ニーファイハ市を占領してから、モロナイは多くのレーマン人をとりこにしてレーマン人の軍を大いに減らし、またとりこになっていたニーファイ人を多くとり返したが、このニーファイ人らはモロナイの軍に加勢したから、モロナイはニーファイハの地を去ってリーハイの地方へ軍を進めた。
さて、レーマン人はモロナイが攻め寄せるのを知ってまた驚きおそれ、モロナイの軍から逃げ去った。
しかし、モロナイはその軍を以てかれらがリーハイとテアンクムの軍に向われるまで都市から都市へ追撃したが、レーマン人はリーハイとテアンクムの軍に向われると、海岸に近い国境の地を逃げてモロナイの地まで退いた。
そしてついにレーマン人の軍はことごとくモロナイの地に集り連合して一団となり、レーマン人の王アモロンもその中に居った。
モロナイとリーハイとテアンクムとは、モロナイの地の境であちこちに陣を張ったから、レーマン人は南は野に於てわが軍にかこまれ、東もまた野に於てわが軍にかこまれた。
この状態で夜かれらは休んだが、ニーファイ人もレーマン人もみな急いで長い行軍をしたために疲れて軍略を考える者は誰もなかったが、ただテアンクムだけはこれを考えていた。テアンクムは、ニーファイ人とレーマン人とこの長い大戦争、すなわちこのような惨酷な打合い、殺戮、飢饉を生じたこの長く大きな戦を起して、今もまだつづけている者はほかでもないアモロンとその兄弟のアマリカヤであるとしてアモロンのことを非常に怒った。
テアンクムは怒りながら都市の塀をのぼって市内に下り、レーマン人の陣営へ行って縄を手にしながらあちらこちらを探ってとうとう王を見つけ、王に投槍を投げつけて心臓の際を刺した。しかし、王は死ぬ前にその家来を呼び覚し、テアンクムを追いかけてこれを殺させた。
リーハイとモロナイとはテアンクムが死んだことを聞いて非常に悲しんだ。テアンクムは自分の国のために勇敢に戦い、非常に苦しい難儀を多くなめた人であって、真に自由の友であったが今やこの世を去って世の人々が必ず行く道を行った。
翌日モロナイは軍を進めてレーマン人を攻め始め、多くの敵兵を殺しまたは国外へ追い払ったから、かれらは逃げ去ってそのころ再び出てきてニーファイ人と戦うことはなかった。
これでニーファイの民を治める判事治世の三十一年目は過ぎ去った。ニーファイ人が長年の間、戦争、殺戮、飢饉、苦難に逢った次第はこの通りである。
その間にニーファイの民の中にも人殺し、不和、謀叛、そのほかあらゆる罪悪がたびたび行われたが、義人があったためまた義人が祈ったために国民は助かった。
ニーファイ人とレーマン人との間の戦が長かったから、心がかたくなになった者が少くなかったが、また一方に於てその艱難のために柔和になって神の前にひくくへりくだった者も少くなかった。
さてモロナイは、国中でレーマン人の一番攻め易いところを十分堅固に防ぎ固めてからゼラヘムラ市へ帰った。ヒラマンもまたその住家へ帰ってニーファイの民は元通り再び全く平和に返った。
モロナイはその軍を指揮する職をその子のモロナイハにゆずり、余生をおだやかに送ろうとして自分の家へひきこもった。
ペホーランはもとの裁判の務めにかえり、ヒラマンも再び神の道を宣べ伝える任に当った。このように多くの戦と不和がつづいたため、今一度教会の規律を正す必要があったから、
ヒラマンとその兄弟らは出て行って大きな力を以て神の道を宣べ伝え多くの民に各々その罪悪を認めさせたから、民はみな各々罪を悔い改めバプテスマを受けてその神である主の教会員となった。
ヒラマンとその兄弟らはまた全国に神の教会を確立した。
その上国法もまた規律正しくなり普通判事ならびに高等判事らが選んで立てられた。
やがてニーファイの民は再び地に於て栄え、人口がふえて再び非常に強くなり大いに富むようになった。
しかし、かれらは富と勢力と繁栄とを得たにもかかわらず、自ら高ぶる心がなくその神である主を思う心が冷淡であることがなく、神の前によくへりくだり、
主が自分らのためになしたもうた恵み深い大御業と死、束縛、牢屋、およびあらゆる苦難から、また敵の手から自分らを救い出したもうたことを忘れることなく、
たえず自分らの神である主に祈りを捧げたから、主はその約束通りにニーファイ人を祝福したもうた。それであるから、かれらは地に於て強くなり繁栄をした。
以上はみな実際にあったことである。ヒラマンはニーファイの民を治める判事治世の三十五年目に亡くなった。

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