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2024年3月29日(金) 通読(本日=エレ27-31,知18,クル-35回 明日=マコ15-16,1イミ18,クル-36回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第40章
第40章
アルマひきつづいてコリアントンに誡命を与える。万人の復活。死から復活に至るまでの間、義人と悪人が受ける別々の状態。文字通りの回復。

「わが子よ。私はなお汝に話そうと思うことがある。汝の心が死者の復活のことを思って乱れていることは明らかである。
ごらん、はっきりと言うが、キリストが降臨したもう後までは復活がない。その時まではこの死ななくてはならぬ肉体は不死不滅の体とならず、この朽ちなくてはならぬ肉体は朽ちないものとはならない。
ごらん、キリストは死者の復活を来したもうが、その復活の時はまだ来ていない。私はお前に一つの奥義を示そう。神のほかに誰にも知られぬよう秘し隠してある多くの奥義があるが、私が知りたいと思って熱心に請い求めた一つのことがある。これをお前に伝えよう。それは復活に関わることである。
すべての人々が死からよみがえる時は定っているが、それがいつであるかは誰も知っていない。ただ神だけがその定っている時を知りたもう。
人が死からよみがえる時が、ただ一回だけあるかまたは二回、三回とあるか、それはどうでもよい、神はこれらのことを皆知りたもう。私は、ただ人々が一人のこらず死からよみがえる時の定っていることが確であると言うことだけを知って満足をし安心をする。
さて、死ぬ時とよみがえる時との間の時もあるにちがいない。
それであるから、私は死んだ時から復活と定っている時になる間、人の霊はどのようになるかと言うことをたずねよう。
人のよみがえる時が、ただ一回と定っていても一回以上と定っていてもそれはかまわない。すべての人は一度に死んでしまうのでないから、その復活が一回に限るかどうかこれは知らなくてもよい。神には時の計算がなくすべて一日と同じである。時を計るのはただ人のためだけである。
とにもかくにも、人が死からよみがえる時は定っている。そして死んだ時から復活をする時までには間がある。この間に人の霊はどうなるか、これは私が知りたいと熱心に主にたずねたことであるが、今はもはや確にこれを悟っている。
一切の人々がみなよみがえる時になると、人はみな神が人に定めたもうた一々の時期をみな知りたもうことを認めるであろう。
さて死んでからよみがえる時までの霊の有様はどうであるかと言うに、ごらん、あらゆる人の霊はそれが善であっても悪であっても、この死ななくてはならぬ肉体を離れるとその霊に生命を与えたもうた神のところへ帰るのである。これらは天使が私にお示しになった。
それから義しい人の霊はパラダイスととなえる幸福な有様、すなわち安息と平和な有様に入り一切のわずらいと憂いと悲しみとを離れて息む。
次に、悪人の霊は少しも主の「みたま」とかかわりがなく善いことよりも悪いことを好んだので悪魔が入ってそれらの者を支配していた。それであるから、これらの者の霊はそとの暗やみの有様に追い出され、泣き悲しんで歯がみをするのである。これはかれらが自分で罪悪を犯し、悪魔の意志に負けてその奴隷になった結果である。
これがすなわち悪人の霊の有様で、かれらは暗やみの中で大そう恐れおののきながら自分たちに下る火のような神の怒りを待っている。かれらは復活の時までこのような境涯に止まらなくてはならない。しかしこれと同時に義人はパラダイスに在る。
復活する前に、霊がこのような有様または不幸な有様に在ることを一つの第一の復活であると思う人がある。その通り、すでに話したように霊を起してこれを幸福な有様、または不幸な有様に置くのを復活と言ってもさしつかえのないことを私は認める。
しかし定っていることが証明されている第一の復活とは今より過去に居った一切の人々と、現在居る一切の人々と、今後キリストが死者の中から復活なさる時までに居る一切の将来の人々の復活である。
それでこのように言ってある第一の復活は、霊を起して幸福または不幸を言いわたすことであると思うべきではない。第一の復活がこう言うことであると推しはかることはできない。
ごらん、私ははっきりと言う。第一の復活とはアダムの時からキリストの復活の時までの人々の霊と体とが再び相合することを言う。
さて、これらの人々が悪人であっても義人であっても、皆同時にその霊と体とが相合するかどうかはこれを言わない。ただこれらの者の復活は、キリストの復活の後に死ぬ者の復活に先立つことだけ言えば十分である。
わが子よ、私はこれらの者がキリストの復活と同時に復活するとは言わない。しかし私一人の考えを言えば、義人の霊と体とはキリストの復活の時または昇天の時に再び相合するのである。
しかしそれがちょうどキリストの復活の時であるか、またはその後であるかは確に言えない。しかし肉体の死からその復活までには間があって霊の受ける幸不幸の有様があり、そしてその有様は死者がよみがえってその体と霊とが再び相合し、それぞれの行いに従って裁判をされるために、神の前に引出される神が定めたもうた時までつづくことだけは私が確に言うことができる。
これによって予言者たちの言った回復が起る。
霊は再び体にかえり、体は再び霊にかえり、手足も骨の関節もみな元の自然の完全な身体のものにかえり、髪の毛一筋もなくならず、身体のどの部分もみな元の自然の完全な形に復るのである。
これがすなわち予言者たちの言った回復である。
この回復の時が来ると義人は神の王国で栄光を得て輝きを放つ。
しかし、これに反して悪人には恐ろしい死滅が来る。すなわち、このような悪人は清くないから義しいことと全く離れた境涯に置かれる。清くない者は神の王国に入ることができないから、このような者はそとに追い出されその悪い行いの報いを受けると定められて苦い杯のかすを飲むのである。」

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