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2024年4月24日(水) 通読(本日=詩63-65,二マカ6,アル7 明日=箴1,ユディ8,アル8)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第33章
第33章
アルマの説教つづく。真の礼拝は聖堂に限らない。予言者ゼノスとゼノクらのことを再び引いて言う。

アルマがこのように話をした後、多勢の民は使をアルマのところへやって、アルマの話したあの実を得るためには唯ひとつの神を信じなくてはならないかどうか。またアルマが自分の心に蒔かなくてはならぬと言ったあの種子であるところの言葉はどのように蒔かなくてはならぬか、またどのように信じ始めてよいかと問いたずねた。
するとアルマはこれに答えて「あなたたちは自分の会堂から追い出されたので、自分らの神を礼拝することができないと言っている。しかし、はっきりと言うが、あなたたちがこれでは神を礼拝することができないと本当に考えているならば大へんな間違いである。あなたたちは聖文をよく研究しなくてはならない。あなたたちが、もしも会堂以外では礼拝ができないと聖文で教わったと思っているなら、これは誤解をしているのである。
あなたたちは昔の予言者ゼノスが祈りまたは礼拝について宣べたことを読んだ覚えがあるか。
ゼノスは『神よ、汝は憐み深くましまして、私が荒野で祈ったときに私の祈りを聞きとどけたもうた。また私が敵について祈ったときも、汝は憐み深くましまして、敵を私に和がせたもうた。
神よ、私が畑で汝に祈ったとき汝は私を憐みたまい、また汝に祈り求めたとき私の祈りを聞きとどけたもうた。
神よ、私が畑で汝に祈ったとき汝は私を憐みたまい、また汝に祈り求めたとき私の祈りを聞きとどけたもうた。
主よ、私がひとりで室に入って祈りを捧げた時、汝はこれを聞きとどけたもうた。
まことに汝は憐み深くましまして、汝の子である世の人が、ほかの人に聞かれるためでなくただ汝に聞いてもらうためにだけ祈るとき、汝はその願いを聞きとどけたもう。
神よ、汝は私を憐んで、汝の民の集会で私の捧げた祈りを聞きたもうた。
また私が敵に追い出され、いやしめられたとき、汝は私の歎願を聞いて私の敵に怒り速にこれをうち破りたもうた。
私が苦難に逢ったため、また私に真心があったため、汝は私の祈りを聞きとどけたもうたが汝がこのように私を憐みたもうたのは御子(イエス・キリスト)によるのである。汝は御子のために私から裁きを遠ざけたもうたから、私の喜びはみな汝から受けるのである。それであるから、私は悲しんだり苦しんだりする度毎にいつも汝に祈りをする』と言った」と言い、
なおアルマはつづけて「あなたたちは昔の人々が書いた聖文を信じているか。
もし聖文を信ずるならば、ゼノスの言ったことも信ずるにちがいない。ゼノスは『神よ、汝は御子のために裁きを遠ざけうもた』と言った。
私の兄弟たちよ、あなたたちは聖文を読んだことがあるか。もし聖文を読んだことがあるならば、どうして神の御子を信じないのか。
ごらん、ゼノスのほかにこのようなことを話した者がないとはどこにも書いてない。ゼノクもまたこのことを言っている。
ゼノクの言葉には『主よ、この民は汝が御子(イエス・キリスト)のために自分らに与えたもうた恵みを否定してこれを悟らないから、汝はこの民を怒りたもう』と言ってある。
私の同胞よ、これによって見ると、ゼノスのほかにもう一人昔の予言者が神の御子について証を立てたことが明らかである。その時の人々はゼノクの言葉を悟ろうと思わず石でこれを打ち殺した。
神の御子のことを言ったのはゼノスとゼノクだけではない。
モーセもまた神の御子について宣べ、荒野の中で予め神の御子を指し示すものを立てた。その時誰でも進んでこのものを見る人は命が助かるのであったから、これを見て命の助かった者が少くなかった。
しかしその時の人々はその心でかたくなであったから、そのものの意味を悟ったものは僅であった。そして見たくないと思うほどにかたくなな者が多かったがその人々は皆死んだ。この人々が見なかったのは、これを見るだけで癒えるとは信じなかったからである。
私の兄弟らよ、癒されたいと思うとき目を一方に向けるだけですぐ癒されるならば、あなたたちはすぐとその方を見るだろうか。または、不信仰で心をかたくなにし怠けて目をふり向けず、そのために死んで亡びる方がよいと思うだろうか。
もしも、あとの方を選ぶならばあなたたちの身に禍がかかるであろう。もしそうなるように選ばないとれば、すぐとあなたたちの目をふり向けて神の御子(イエス・キリスト)を信じ、御子がその民を贖い救うために将来降臨したもうことと、御子がその民の罪を贖うために苦痛を受けて死にたもうことと、御子が死者の中からよみがえって死者の復活を来しもうことと、終りの日すなわち裁判の日にすべての人がそれぞれの行いに応じて裁判されるために、神の御子の前に立たなくてはならぬこととを信ぜよ。
私の同胞よ、願わくは、あなたたちがこの言葉を心に蒔き、それがふくれ始めるときに自分の信仰で養い育ててもらいたい。そうすれば、この言葉はあなたたちの心の中で必ず永遠の生命を生ずる木となる。願わくはその時になって、あなたたちが神の御子を信仰するから生ずる喜びによって、神があなたたちの苦難を軽くなしたまわんことを。今話した一切のことは、もしもあなたたちにこれを実行する志さえあれば、容易に実行することができるのである。アーメン」と。

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