ばべるばいぶる(多言語聖書閲読)
HELP
フォント・背景色変更
ID:
パスワード



2024年3月28日(木) 通読(本日=ヨブ35-36,ユディ4,モサ17 明日=エレ27-31,知18,クル-35回)

●章表示 ●検索

聖書1:
聖書2:
ルビ: 節番号表示:
見出し表示 あり  なし


検索語:
聖書:
大小文字同一視
検索書名
同時表示聖書:
1ページに表示する候補数:
ルビ:
章モードしおり 現在の章をしおりに追加(最大20) クリア 並べ替え


節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第31章
第31章
アルマ伝道隊を率いて神の教えに背くゾーラム人を改心させる。祈りに用いる聖台、ラメアムトム。ゾーラム人の礼拝の仕方。

コラホルが死んでからアルマはゾーラム人が主の道を曲げ、またその支配者であるゾーラムが人々の心を誘って物の言えない偶像を拝ませるなどの知らせを受けたから国民の罪悪のためにまたその心が憂い苦しんだ。
なせならば、人民の中に罪悪が行われることを知るのはアルマにとって大きな憂いの種であったからである。それでアルマはゾーラム人がニーファイ人から別れたことを悲しんだ。
ゾーラム人は自分たちでアンテオーヌムと名づけた所に集ったが、ここはゼラヘムラの地の東にあってほとんど海岸に接しており、ジェルションの地の南にあって、その南の境はレーマン人が一ぱい居た野であった。
それであるから、ニーファイ人はゾーラム人がレーマン人と交りを始めたならば、自分たちに大きな損害となるだろうと非常におそれていたが、
神の道を宣べ伝えるのは民に正しいことを行わせるのに非常に効があって、剣やそのほかこれまでに用いたことのあるすべての方法よりも強く人の心を感化するから、アルマは神の道の力を用いる必要があると思った。
それでアルマはヒムナイをゼラヘムラの教会にのこし、アンモン、アロン、オムネルをつれ、この三人のほかにミレクに居たアミュレク、ゼーズロムおよび自分の二人の息子をつれてゾーラム人の地へ行った。
この時アルマは長男のヒラマンをつれて行かなかった。アルマがつれて行った二人の息子は、一人をシブロンと言い一人をコリアントンと言った。以上はアルマがゾーラム人に神の道を宣べ伝えるために、ゾーラム人の中へつれて行った人々の名前である。
このゾーラム人はニーファイ人と意見を異にしてニーファイ人から別れた者たちであったから、前に神の道を教えられたことがあった。
しかしながら、ゾーラム人はモーセの律法に従って神の誡命と法命とを守ることをせず、
また、誘惑に負けないようにたえず毎日神に祈り願えと言う教会の規則に従わず、
まことに多くの場合主の道を曲げたので、すでに大きな過ちに陥っていた。それでアルマとその兄弟たちはゾーラム人に神の道を伝えようとして一しょに出かけたのである。
さてアルマの一行がゾーラム人の国に着くと、アルマたちが驚いたことにはゾーラム人はすでに会堂を建てて一週間の中の一日を「主の日」ととなえ、この日に一しょに寄り集ることになっていた。しかしゾーラム人はアルマとその兄弟たちがまだ見たこともない仕方で礼拝をしていた。
その礼拝の様子を見ると、会堂の中央に人が立つために建てられた一つの台があり、高さは人の頭よりも高くその頂上はただ一人の人が立てるだけの大きさであった。
そこで誰でも礼拝をしたいと思う者はこの台に登ってその上に立ち、両手を天に伸して声高く次のように言わなくてはならなかった。
「聖い聖い神よ、私たちは汝が神であること、聖いこと、過去にも霊にもましまし、現在も霊にましまし、将来もとこしえに霊にましますことを信ずる。
聖い神よ、私たちは汝が私たちを同胞から別けたもうたことを信ずる。私たちは、同胞の先祖が愚にも同胞に伝え同胞が今もなお守っている言伝えを信じない。汝が私たちを選んで汝の聖い子となしたもうたことを信ずる。汝はキリストがの世に来ないことを示したもうた。
汝はきのうも今日もいつまでも同じにまします。私たちのまわりの者がみな汝の怒りのために地獄へ投げこまれると定められているのに、汝は私たちを救われる者と定めたもうた。神よ、汝はこのように私たちを聖い者となしたもうたので、私たちは汝に感謝をする。汝はまた私たちを選んで、同胞の愚な伝説に迷ってさまよってあるくことのないようになしたもうたので、私たちは汝に感謝をする。同胞の伝説はかれらを束縛してキリストを信じさせ、その心を誘って私たちの神である汝から遠ざけている」と。
また「神よ、私たちは選ばれた民であって聖い民であることを汝に感謝する。アーメン」と言う祈りもあった。
そこで、アルマとその兄弟たちとアルマの二人の息子とはこの祈りを聞いてこの上もなく驚いた。
それはゾーラム人が、一人一人みな台に登って同じ祈りを捧げたからである。
祈りに使うこの台はゾーラム人がラメアムトムと呼んでいたが、その意味は聖い台と言うことである。
ゾーラム人は一人のこらずこの台の上で同じ祈りを神に捧げ、自分たちは神に選ばれたと言ってその神に感謝をし、また神は自分たちに同胞の伝説に迷うことをさせず、また自分たちは少しも知ることのできぬ将来のことを信ずるように心をまどわされないと言って神に感謝を捧げた。
ゾーラム人はこのように一々感謝をしてから各々の家へ帰ったが、またこのやり方で感謝を捧げるために聖い台へ集ってくるまでは少しもその神について言わなかった。
アルマはこの様子を見てゾーラム人が悪いよこしまな民であって、金銀またはいろいろなはなやかな品物に心を留め、
高慢であって非常に大言を吐く者になったことを知って真に憂い悲しんだ。
そこでアルマは声高らかに天に祈って言った「主よ、汝の僕である私たちにいつまで肉体のままこの世に生き永らえ、人間の中に行われるこのような恐しい罪悪を見させたもうか。
神よ、見たまえ、このゾーラム人は汝に祈りを捧げるが、その心は高慢に満ちている。かれらは口を以て汝に祈るが、この世の無益な物で非常に誇りたかぶっている。
私の神よ、かれらの高価な衣、いろいろな環、腕環、金の飾り物、そのほか装飾に使うすべての高価な物を見たもうように。かれらはこのもろもろの物に執着しながら汝に声をあげて『ほかの人々は亡びなくてはならぬ者であるのに、私たちだけは汝に選ばれた民であるから、私たちは汝に感謝をする』と言っている。
かれらはまた、キリストがこの世に降臨したまわぬことを汝に示されたと言っている。
主なる神よ、汝はいつまでこの民の間にこのような罪悪があることを許したもうか。主よ、私に力を与えて私の薄弱さを忍べるようになしたまえ。私は薄弱であるから、この民の間にこのようなよこしまなことが行われるために心を痛めている。
主よ、私の心は非常に悲しんでいる。キリストによって私の身も霊も慰めたまえ。主よ、この民の罪悪のためにこの後私の身にふりかかる艱難を耐え忍べるように力を与えたまえ。
主よ、私の身も霊も慰め、私と私とし一しょにいる同僚たちの働きを成功させたまえ。私の同僚たちとは、アンモン、アロン、オムネル、アミュレク、ゼーズロムおよび私の二人の息子である。かれらもみな慰めたまえ。キリストによってかれらの身も霊も慰めたまえ。
この民の罪悪のためこの後かれらの身にふりかかる艱難を耐え忍べるようにかれらに力を与えたまえ。
主よ、私たちが再びこの民を感化して、キリストによってかれらを神の道に入らせる働きを成功させたまえ。
主よ、この人々の身も霊も貴く、民の中には私たちの同胞が多く居る故に、この同胞を再び神の道に入らせることができるよう能力と知恵とを私たちに与えたまえ」と。
アルマがこのように祈ってから一しょに居た人々に一々按手をしたところ、この人々はたちまち聖霊に満された。
このようにしてから互いに別れたが、これらの人々は自分が何を食い何を飲み何を着ようかなどと自分の身のためを思うことは少しもなかった。
しかしながら、飢えたり渇いたりすることのないよう、主はこれらの人々に飲食を与えたまい、またキリストを思う喜びによって苦しみがなくなる艱難以外には、どのような艱難も受けないように力をこれらの人々に与えたもうた。これは本当にアルマが祈った通りになったのであって、全くアルマが堅い信仰で祈ったのによることである。

このページのURL
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=alm&chapter=31&mode=0