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2024年4月20日(土) 通読(本日=ルカ5-6,1イミ21,クル-42回 明日=二コリ11-13,3イミ21,アル4)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第19章
ような有様で王は二昼夜の間死んだような有様で寝ていたから、その后も息子も娘もレーマン人のならわしに従ってラモーナイの喪に服し、非常にその死を悲しんだ。
第19章
驚嘆すべき見事な改心。レーマン人の女エービシ。レーマン人の王と后、信仰に入る。アンモン、イシマエルの地に教会を立てる。

二日二晩たってから、死者を葬るために設けた墓に王の遺骸をかついで行ってまさに葬ろうとしたところが、
王の后はアンモンの評判を聞いて使の者をつかわし、自分の所へ来るようにと言った。
そこでアンモンはその言葉の通り王の后の許へ行って、自分に何をさせたいと思っておられるかと問うた。
すると王の后はアンモンに向い「わが夫の僕らは汝が聖い神の予言者であって、その神の御名によっていろいろの大きな業をする力を備えているとわれに告げた。
もしはたしてそうならば、汝は入ってわが夫を見てくれ。夫はもはや二日二晩の間寝所に寝ているが、王はまだ死んだのではないと言う者がある。またすでに死んでいて臭気があるから墓に葬らなくてはならぬと言う者もある。しかしわれの見るところでは臭気はないと思う」と。
これはまさにアンモンが望むところであった。なぜならばラモーナイ王は神の威勢が下ったために弱ったのであって、王の心から黒い幕のような無信仰がすでに離れ去って、その心を照す光、すなわち神の栄光の光、あるいはまた言いかえれば神の善徳の驚嘆すべき光は、ラモーナイ王自身に大きな幸福を注ぎこみ、暗やみの雲のような無信仰と無知とを散らして永遠の生命の光を王自身の中に輝かせたのであるから、これがためにその身体が弱って王は神に連れられて行ったのであると言うことをアンモンは知っていたからである。
それであるから、王の后がアンモンに望んだことは、まさしくアンモンの唯一の願いであった。そこで、アンモンは后の望む通り入って王を見ると、アンモンは王がまだ死んで居ないことを知った。
それを知ってアンモンは后に王は死んでいるのではない。ただ神に連れられて行ったために身体が眠っているだけである。明日は再び起き上がるのであるから葬ってはならない。
汝はこれを信ずるかと言った。すると王の后は答えて「われは汝の言葉とわが僕らの言葉のほかに何の証拠もないが、汝の言葉通りになると信ずる」と言った。
そこでアンモンは「汝は信仰が堅固であるからさいわいである。女よ、よく言っておく。今日までニーファイのすべての民の中にもこのような篤い信仰を見たことがない」と言った。
王の后はその時からアンモンが王が起き上がると言った翌日の時刻まで、王の寝所のそばについていたところ、
王はアンモンの言った通り起き上って、起きながら后に手を伸して言った「神の御名に感謝し奉る。妻よ、汝はさいわいである。
見よ、汝が生きていることが確であると同じく、われがわが贖い主を見たことは確である。贖い主はこの世に降りたもうて女から生れ、その御名を信ずる一切の人々を贖い救いたもう」と。このように言ってしまうと王の心はひどく感動し、大いによろこんでまた倒れてしまったが、王の后も「みたま」に満されて同じように倒れた。
アンモンは、罪悪と言伝えとのために神の民であるニーファイ人を大いに悲しませた同胞のレーマン人にも、自分の祈りに応じて主の「みたま」が降るのを見、ひざまずいてその全身全霊をうち傾けて祈り、神が同胞になしたもうたことを神に感謝したが、自分もまた大きな喜びにたえずここに三人とも地に倒れた。
さて王の僕たちは三人が倒れたのを見て主をおそれる心が起って神に祈った。この僕たちは王の前に立ってアンモンの大きな力を証した者たちである。
そしてかれらもまたみな地に倒れるまで一心に主に祈った。ただエービシと言う一人のレーマン人の女だけ倒れなかったが、この女はその父が見た不思議な示現のために長らく前からすでに改心をして主を信じていたのであった。
しかしこの女はこれまでまだその信仰を人に知らせたことはなかったが、今ラモーナイの僕たちも自分の仕える后も王もまたアンモンまでが地に倒れて動く力がなくなっているのを見て、これはひとえに神の威勢によるものであることを知った。それでこれは好い機会であると思い、今ここに起ったことを民に示すならば、民はこの有様を見て必ず神の能力を信ずるようになるであろうと考え、急いで家から家へ走りまわってこの出来事を人々に知らせた。
そこで人民は大勢で王の宮殿へ集って来て、王と后と僕らが地に倒れて動く力がなく死んだようになっている有様を見て大いに驚いたが、またアンモンを見てそれがニーファイ人であることを知った。
ここに於て民は互いにつぶやき始め、王がこのニーファイ人にこの国に住むことを許したから、この国民の上に、いや王とその一族の上にこの大きな禍いが下ったのだと言う者があった。
またこの者たちをとがめて「王はセブスの水ぎわで羊の群を散らされた僕たちを殺したから自分の家にこの禍を招いたのだ」と言う者もあった。
しかしこう言った者たちは、セブスの水ぎわに立って王の羊の群を散らした者たちにかえってとがめられた。なぜならば、王の羊を散らした者たちはアンモンが王の羊を護ったとき、ゼブスの水ぎわでアンモンのために自分の味方が殺されたからアンモンのことを怒ったからである。
ここにアンモンの剣のために、セブスの水ぎわで自分の兄弟を失った者が一人いて、非常にアンモンのことを怒り剣を抜いてアンモンを殺そうとして進んできたが、まさに剣をあげてアンモンを打とうとする拍子に自分から倒れて死んだ。
これでアンモンは殺されるような者でないことがわかる。なぜならば、主は「われはその命を護る故に、かれにかかわるよろずのことは汝の信仰通りになる」とアンモンの父であるモーサヤに誓いたもうたから、モーサヤはアンモンを主にお任せしたのである。
王の宮殿に集った人々は、アンモンを殺そうとして剣をあげた者が倒れて死んだのを見てみな大いに恐れおののき、アンモンにもまた一しょに倒れている者にもあえて手を触れることをせず、ひとえにこの大きな能力の現われた原因とこのようなことの意味が何であるかを互いに論じ怪しんだ。
多くの民の中にはアンモンをあの大霊であると言う者が多かったが、またアンモンは大霊からつかわされた者であると言う者もあった。
しかしこれら二つの説をとがめて、アンモンは自分たちを苦しめるためにニーファイ人からつかわされた怪物であると言う者もあった。
またある人々は、アンモンは自分らが罪悪を犯したから、自分らを責めるために大霊からつかわされた者であって、この大霊はいつもニーファイ人について居てこれをレーマン人の手から救い出し、また自分らの兄弟であるレーマン人を多く亡ぼした者であると言った。
このようにかれらの争いは非常に激しくなったが、その争いが盛んであるとき、前に多くの民を集らせた婢がやって来て多くの人が争い論じているのを見て大そう悲しみ涙を流した。
そしてこの女が進み出て王の后を地から起そうとしてその手をとったところ、婢の手が后の手に触れるやいなや后は立ち上って大声で人々に言った「おそろしい地獄からわれを救いたまえる恵み深きイエスよ、恵み深き神よ、この民を憐れみたまえ」と。
このように言い終って后は喜びが胸に一ぱいとなり、両手を合せてそこに居合す人々に通じない多くの言葉を語ったが、語ってしまってラモーナイ王の手を取ると王もまた立ち上った。
王はすぐとその民の中に争論のあるのを認めてこれをとがめ、アンモンから聞いた言葉を民に教え始めたが、耳を傾けて王の言葉を聞いた者たちはみなこれは本当であると信じ改心して主の教えにしたがった。
しかし民の中には王の言葉に聞き従わずに立ち去った者も多かった。
アンモンも立ち上ったときに民を教え導き、ラモーナイの僕もまたその通りしたが、かれらはみな同じことを民に証した。それはすなわちすでに心を改め、もうこれから悪いことをしたいとは思わないと言うことであった。
ごらん、その僕たちの多くは天使らを見、また天使らと話をしたと言うことをこの民に証した。かれらはこのように神のことと神の義とを民に宣べ伝えたのである。
そのしもべたちの話を信じた人々は多くいて、みなバプテスマを受けて義しい民となり、その国に教会を設立した。
このようにして主の御業がレーマン人の中に始まり、また主はこの国の民に主の「みたま」を注ぎたもうた。これによって見るに、主の御手が悔い改めてその御名を信ずる人々にみなし伸べられることは明らかである。

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