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アルマ書 アルマはアルマの息子である。アルマ第一世の息子で、ニーファイの民を治める第一の大判事兼教会の大祭司アルマの記事。判事の治世を年代順に記す。国民の中に行われた戦いと不和の記事。ニーファイ人とレーマン人との間に戦われた戦争の記事。以上、第一の大判事アルマの記録による。 第一章 教会の敵ニーホル、ギデオンを殺し、裁判を受けて死刑に処せられる。祭司の偽善売教と迫害。改善された状態。祭司も民も平等であること。 モーサヤ王はすでに一生の間善の戦いを戦い、神の御前に正しい行いをなし、自分の後をついで国を治める王を立てずに世の人が必ず行かねばならぬ道を行ったが、王は亡くなる前に国王を立てて民がこれを承認した。従って、ニーファイ人を治める判事治世の第一年から後は、国民はモーサヤ王の立てた国法に従わねばならなかった。
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アルマが判事の職について世を治めた最初の年に、裁判を受けるためにアルマの前に引き出された一人の男があったが、この男は身体が大きく力が強いので名高かった。
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かれはそれまで民の間を歩き廻り自分で神の言葉と称した道を説いて教会に迫り、また祭司も教師も一人のこらず人望を得て、自分の手を働かせないで民に生活を支えられるのが当然であると民に言いひろめた。
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かれはまた万人は終りの日に救われるのであるから恐れたりおののいたりする必要はない、頭を高くあげて喜ぶがよいと言うことと、また主は万人を造ってこれを贖いたもうたから万人は終りの時になって永遠の生命を受けるはずであると言うことを民に向って証した。
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かれが熱心にこれらのことを教えひろめたから、多くの者がその言葉を信じてかれの生活を支えまた金銭をかれに贈るようになった。
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そこでかれはしだいに慢心がつのって高価な衣を身に着け、ついに自分の教理にかなう教会を建て始めた。
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しかしある時、かれは自分の言葉を信じている人々に説教をしようとして出て行く途中に、神の教会に属してその教師の一人に数えられる者に出逢い、烈しくこの者と論争して教会の聖徒らをまどわそうとしたが、教師もまた負けてはおらず神の言葉をもってこの男を戒めた。
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この教師はその名をギデオンと言い、神の御手に使われてリムハイの民を奴隷の境涯から救い出したのはこの人であった。
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ギデオンは自分と言い争うこの男に向い神の言葉を以て負けずに論じたから、この男はギデオンに向って激しく怒り剣を抜いて打ちかかった。ところが、ギデオンはもはや年をとっていたので、かれの打ちかかってくるのを避けることができずに切り殺された。
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それで教会の聖徒たちはその男を捕え、その犯罪によって裁判を受けさせるためにアルマの前に引いて行った。
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ところがこの男はアルマの前に立って大胆に自分の弁解をしたが、
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アルマはこれに答えて「見よ、この民の中に祭司の偽善売教の起るのはこれが始めてである。汝は祭司の偽善売教の罪があるのみならず、また剣の力を以てこれをひろめようとした。見よ、祭司の偽善売教をこの民の中にひろめて行わせたならば、民はことごとく亡びてしまうであろう。
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汝はこの民のためになる多くの善いことをした義人の血を流したのであるから、もしわれらが汝の命を許したならばその義人の血を流した責任はかならずわれらにかかって報復を受けるであろう。
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故にわれらの最後の王モーサヤがわれらに伝えた国法により、汝を死刑に処する。民はその国法を承認したのであるから、かれらはそれを守らなくてはならない」と。
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ここに於て民はこのニーホルと言う男をマンタイと呼ぶ小山の頂上へつれて行って、かれかこれまで人民に教えたことは神の道にそむくものであることを天地の間に於て白状させた。いやかれは自分からそれを白状してここに恥ずかしい最後をとげた。
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しかしながら、このようにしても国中に祭司の偽善売教がひろがるのは止まなかった。それは国中に浮世の無益なものを好む人が多く居て、富と名誉が欲しいために出て行ってうその教えを説いたからである。
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さりながら、うそを言う者は罰を受けるのであるから、かれらは国法を恐れて思い切ってうそを言わずに、自分の信じている教えを宣べている風に見せかけた。それで国法は信仰についてだれも罰する力がなかった。
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かれらはまた盗みをはたらく者は罰を受けることを知っていたから、国法を恐れて思い切って盗みをせず、また人を殺す者は死刑に処せられるから思い切って強盗殺人の罪は犯さなかった。
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しかし、神の教会に加わっていない者たちが神の教会に属してキリストの御名を受けた者たちを迫害しはじめ、
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いろいろな悪い言葉でもって教会員をなやましたが、これは教会員が謙遜で高ぶらず、金銭をとらずに無料で互いに神の道を教えて伝えたからである。
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さて教会の会員にはきびしいおきてがあって、教会員は教会に属していない人を苦しめてはならない、また互いに苦しめてはならないと戒めてあった。
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それにもかかわらず、ついに教会員の中に誇り高ぶって烈しく敵と争う者が多く起った。そして甚だしい者は互いに打ち合うほどになり、かれらは互いにこぶしを振って打ち合った。
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これはアルマの代の第二年にあったことで教会が多大の艱難に逢う原因となり、教会が多大の試煉を受ける原因となった。
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心がかたくなになったためにその名が消されてもはや神の民たちの中に数えられない者が少くなく、また自分から神の民たちの中から去る者も多かった。
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これはまことに信仰の固い人々にとって大きな試煉であったが、それにもかかわらず、これらの人々は信仰堅固に確乎として動かず神の命令を守り、自分たちが受ける迫害を辛抱して耐え忍んだ。
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そして祭司らが神の道を民たちに伝えるためにその仕事を休めば、民たちもまた神の道を聞くためにその仕事を休み祭司が民たちに神の道を説き終ると、民たちはみなすぐと帰ってまたその仕事にはげんだ。そして、教えを説く者はその教えを聞く者よりも偉いわけでなく、また教師はその教えを学ぶ者よりも偉いわけでないから、祭司は自分の教えを聞く者よりも偉いとは思わかった。このようにして民たちはみな平等であって各々みなその力に応じて働き、
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各々みなその財産の多い少いに応じて、貧乏な者や病気にかかっている者や苦しんでいる者たちに施しをした。かれらは高価な衣服で身を飾らなかったがその服装は見ても気持が良く小ざっぱりした服装であった。
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このようにかれらは教会の万事を整えて、多くの迫害を受けたにもかかわらずまたひきつづき平和を保つようになった。
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それで教会が確立したので教会員は非常に物持ちになり始め、必要な品物が豊かにあって、家畜の群、いろいろな肥えた家畜、穀物、金、銀、貴重品、絹布、良いリンネルやいろいろの良い常用の織物などを多く持っていた。
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そして、このように栄えていたとき、かれらは着る物のない者、飢えている者、渇いている者、病気をしている者、栄養の足らない者などを追い払わず、富に執着をず、貧乏な者があるなら年よりと若い者、男と女、自由の民と奴隷とを区別せず、教会員であると非教会員であるとの差別なくだれにも同じように惜しまず物を施した。
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このようにして教会員は栄えて、その教会に属していない者たちよりもずっと物持ちになった。
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それは教会に属していない者は魔法を使い、間違った神を拝み、怠けてばかり居てむだなことを言い、ねたんだり争ってばかり居たからである。またかれらは高価な衣を身に着け、自ら尊大にかまえ、うそを言い、盗みをし、強盗やみだらな行いや人殺しなどあらゆる罪悪を犯したからである。しかしながら、犯罪人はできるだけきびしく国法に照らし処分した。
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このように罪のある者に法を適用しそれぞれの犯罪に応じて罰したから、民はひときわ静かになり、公然と犯罪をあえてするようなことはなかった。従って、判事治世の五年目までニーファイの民は至極平和に暮したのであった。
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