|
第27章 イエス・キリスト、自らの教会に命名したもう。すべてのこと御父が書き誌したもう。人間はさまざまの記録に従って裁判を受ける。 イエスの弟子たちは旅をして歩いて、それまでに見たり聞いたりしたことを宣べ伝え、またイエスの御名によってバプテスマを施した。この弟子たちは、ある日のこと集って熱心に祈りと断食とをしていたが、
|
|
イエスの御名によって御父に祈りを捧げたところ、イエスがまた現われてかれらの中に立ちたまい「汝らは何をわれより与えられんと願うや」と仰せになった。
|
|
そこで弟子たちは答えて「主よ、この教会の名は何と言ったらよいか、これを私たちに教えたまえ。それはこれについて民の間に論争がある故に」と言った。
|
|
するとイエスは弟子たちに答えて言いたもうた「われまことに汝らに告ぐ、民がこのことにつきてつぶやき争うは何故ぞ。
|
|
かれらは『汝らキリストの名を受くべし』と言う聖文を読まざるか。キリストとはわが名にして、終りの日に汝らはこの名にて呼ばるべきなり。
|
|
さて、わが名を受けて終りまで堪え忍ぶ者は、終りの日になりて必ず救わるべし。
|
|
されば、何事にてもわが名によりてなさざるべからず。故に教会にはわが名をつけ、また御父がわがために教会を祝福したもうよう、わが名によりて御父に祈れ。
|
|
わが名をつけざるものはいかでわが教会ならんや。教会にもしもモーセの名をつけたらばそはモーセの教会なり。あるいはまたある人の名をつけたらばそはある人の教会なり。もしわが名をつけて、わが福音を基となさば、そはわが教会なり。
|
|
われまことに汝ら告ぐ。汝らはわが福音を基となす故に、何事にても名をつくるものはわが名前をつけよ。故に、教会のために御父に祈るときこれをわが名によりて祈らば、御父は汝らの祈りを聞き届けたもう。
|
|
さらにまた教会もしもわが福音に基けるときは、御父は教会に於てその御業を現わしたもう。
|
|
されど教会もしもわが福音に基かず人の業か悪魔の業に基かば、しばらくの間その業を喜ぶことあらんも、次第に終りの日近づき来りて、これらは切り倒され、一度入らば二度と出る能わざる火の中に投げこまれん。
|
|
これらは自らのなしたる行いの報いを受く。切り倒さるるはその行いの悪きによる。よりてわれがすでに汝らに告げたることを記憶せよ。
|
|
見よ、われはすでにわが福音を汝らに授けたるが、その福音を言い換うれば次のごとし。まずわが父われをつかわしたまいたれば、われは父のみこころを行わんとてこの世に来れり。
|
|
わが父のわれをつかわしたまいしは、われが十字架にかけられて、後にあらゆる人々をわれに引きよせんがためなり。また人がわれを十字架に上げたる故に、今度は御父が世の中の人を必ずひき上げて、これを各々の行いの善悪に応じて裁判するためにわが前に立たせたもう。
|
|
われが十字架にかけられたるはこのわけなり。すなわち、われは御父の権能によりてあらゆる人間をわれに引きよせ、それぞれの行いにより裁判をなす。
|
|
悔い改めてわが名によりてバプテスマを受くる者は聖霊に満さる。またその者が終りまで忍ばば、われが世の中の人々を裁判する日に、御父の前にてこれを罪無き者とせん。
|
|
終りまで忍ばざる者は、また切り倒されて火の中へ投げこまるべし。その者は御父の正義が要求するによりて、いつまでも火の中より出ずることを得ず。
|
|
こはすなわち御父が世の人々に告げたまいし言葉にして、御父は必ずこれを成就したもう。御父は偽ることなく、その告げたまいし言葉をことごとく実現させたもう。
|
|
そもそも、清からざる者は御父の王国に入ることを得ず。信仰をし、すべての罪を悔い改め、終りまで誠をつくし、以てわが血によりてその衣を洗いし者のほかには御父の安息に入り得る者なし。
|
|
さて、世界の隅々に至る者たちよ。汝らは聖霊を受けて聖められ、また終りの日にわが前に罪なしとせられんために今悔い改め、われに来てわが名によりてバプテスマを受けよ。これ汝らに与うる命令なり。
|
|
われまことに、まことに汝らに告ぐ、以上はわが福音なり。わが教会に於てなすべきことは、汝らすでによく知れり。すなわち、汝らが見たるわが行いを汝らもせよ。これらのことは汝らも行うべきことなればなり。
|
|
汝らその通り行わば、終りの日に高くあげらるる故に汝らはさいわいなり。
|
|
汝らが見聞きしたることは、禁ぜられたるもののほかみな記録せよ。
|
|
これまで民のなしたることを記録したるが、その如く今後もこの民の為すことを記録せよ。
|
|
すでに作られたる記録およびこの後作らるる記録によりてこの民は裁判せらるべし。これらの記録によりてこの民の行い明らかに人に知らるる故なり。
|
|
見よ、御父はすべてのことを書き誌したもう。それ故に、このさまざまの記録によりて世の人々は裁判を受くべし。
|
|
ここに汝らの知るべきことあり。すなわち汝らはわれが汝らに委ぬべき正義の裁判によりてこの民を裁判する者となるべき故に、汝らはいかなる人物にてあるべきか。まことに汝らはわれと同じ人物ならざるべからず。
|
|
さて、われは今御父のもとへ行くべきが、われまことに汝らに告ぐ、およそ汝らがわが名によりて御父に願い求むるものは汝らに与えらる。
|
|
すなわち、乞い求めよ、さらば求むるものを与えらる。門を叩け、さらば汝らのため門は開かる。何とならば、乞い求む者はみなその求むるものを与えられ、門を叩く人には門を開かるべければなり。
|
|
われが汝らとこの時代の人々に感ずる喜びは大いなる喜びにて満ちあふる。御父もすべての聖き天使もみなひとしく汝らとこの時代の人々とのために喜びたもう。そは一人もその中に断ち切らるる者のなき故なり。
|
|
されど、今言いたることは誤りなく了解せんことを欲す。わが言葉は今現に生けるこの時代の人々の中には一人も断ち切らるる者なしと言うことにして、われが喜びにあふるるのはこの時代の人々のみなり。
|
|
しかも今より四代目の者たちにつきてはわが心に憂いあり。そはかれらが「滅亡の子」のごとくサタンに誘いまどわされて、金銀ならびに虫の食うものと盗人押し入りて盗むものとに替えてわれを売るべければなり。その時われは各々その行いに報いて必ずこれを裁くべし」と。
|
|
イエスはこう言ってから、その弟子たちに向って仰せになった「永遠の生命に行く道は細く、その門は狭くしてこれを見出す者は少し。死に至る道は広くその門も広し。而して誰も働くこと能わざる夜のごとき暗やみの境涯来るまで、この死に至る道を旅する者多し。汝ら狭き門より入れ。」
|